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日立は、2009年に7800億円の赤字を計上して以来、事業構成の見直しを積極的に行い、2011年3月期、2012年3月期と2期連続で過去最高益を更新しました。今や製造業復活のモデルケースとまで言われるようになりましたが、日本メーカーの生き残り戦略としては、ひとつの方向性を示しているのかもしれません。


利益率が世界的プレーヤーの重要条件

日立は中西宏明氏が社長に就任した2010年4月は、合計1兆円近くに及ぶ4年連続の赤字を計上しておりましたので創業100年以上の歴史の中で暗黒の時期だったといえます。日本の競合他社が家電の販売低迷と円高に苦しむ中、好転を果たし2年連続の過去最高益を計上しました。2012年3月期連結決算では純利益が前期比45%増の3471億円と発表の裏には強かな戦力があります。それは、携帯電話やコンピューター部品・薄型テレビの家電関連を切り離したことにあります。変わって目をつけたのが、利益率の高い発電所・鉄道・水道関連事業に特化したのです。この決断が年間売上高約10兆円へと繋がりました。

かつては原子力発電所からテレビ家電の製造といった900もの傘下企業を抱える日立グループだったのです。徹底したコスト削減を実施することで世界的な優位企業を目指し、利益率は2015年までに10%近くまで倍増させる戦略を大胆に実施しました。  日立が行った改革は、「身の丈に合った経営」ということになります。不採算事業の撤退・採算事業でも無理な拡大はしないで、利益率を重視した結果が、全体として筋肉質の会社に変貌したわけです。この日立の成功例は、国際的な競争力を失いつつある日本メーカーの生き残り戦略としてはひとつの方向性を示していると言えます。


利益率2ケタは世界企業では当たり前

利益率10%は別に驚くことではなく、米ゼネラル・エレクトリック(GE)、独シーメンス、米IBM、スイスABBといった具合に益率はすべて2ケタ台が当たり前の時代です。ところが日本的経営の国内メーカーを見ますと、NEC、東芝、富士通といった日本の電機大手の利益率は(利益がある場合でも)5%を下回るのが現状です。

世界を見れば国内メーカーとか肩を並べて安閑としていては株主からも経営能力が疑われます。日立にとってはいち早く考え方の変革を実行したまでの結果であったと言えます。経営危機に直面していた日立は「総合電機メーカー」のプライドを捨て、上場5社を完全子会社化した上で、携帯電話事業はNECに、液晶事業はパナソニックにそれぞれ移管しました。


大量の博士号取得者を抱える研究部門にも大ナタを振るった

かつては総合電機メーカーとして君臨した日立は11兆円を超える売上高を誇っておりました。2002年米IBMからハードディスク事業を買収し(当時のレートで約2500億円)ハードディスクをグローバル事業の柱と位置づけていた時期もあり積極的な投資をしていたのですが、運も悪く全社的な不振からこの事業も手放す結果となり研究所の研究者にも波が押し寄せ、配置転換などで月額数千円のインターネット接続サービスのセールスまでもやらされた逸話さえあったのです。ここまでした結果、日立は身軽な業態で混在するコンパクトな総合電機メーカーに生まれ変わったのです。 後に中西社長は、「私以上に日立を知っている人間はいない」と述べております。

日産自動車のカルロス・ゴーン最高経営責任者(CEO)と違い、地道に這い上がってきた人間ですから良く日立を見てきております。家電製品とその部品部門からの撤退を断行し、代わりに英国の鉄道やリトアニアの原子力発電所といった世界規模のインフラ事業に照準を合わせたのです。その結果、家電事業は日立の売り上げの10%未満を占めるにとどまる数字となっております。

日立とソニーの違いは、ソニーはテレビ事業で損失を出してきたが、同事業からの撤退ではなく方向転換で対処しようとしたことです。このことでソニーは創業60数年以来過去最悪の水準でsる4500億円近い損失を出してししまったのです。プライドを捨てた日立とプライドをギリギリで守ろうとしたソニーの差は余りにも大きかったようです。