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編集構成:ZUU online 編集部 菅野陽平
インタビューは2018年9月18日に行われました
ーーそれぞれの経歴を教えてください。
影山:野村證券平成23年入社で、生え抜き(初任地)は調布支店です。調布支店では3年強リテール営業を行っていまして、その後、同期の成績優秀者が選抜される海外修練制度でベトナムのホーチミンに約1年赴任していました。帰国後は名古屋支店営業部に赴任しまして、そこから1年半法人を中心に営業をしました。
1年目から地区賞(当時の首都圏第二地区)を受賞しており、2年目も通年の地区賞を受賞しています。あとCEO表彰を取っています。3年目も地区賞を通年で受賞しています。4年目は海外修練制度に行きまして、5年目も東海地区の地区賞を受賞している。そんな経歴です。
——続いて魯さん、お願い致します。
魯:野村證券平成24年度入社で、当時の地域型、今の総合職B型社員(転勤がないエリア総合職)として所沢支店に配属されました。そこから野村證券を退社するまでの4年2カ月ずっと所沢支店にいまして、個人の富裕層や中小企業のオーナーの個人口座に対して金融商品の提案を行っておりました。
私は影山さんほど表彰をされたことはなくて、確か3年目か4年目くらいに地区賞が1回あったかなくらいです。また3年目の最後にB型社員の上位15名が選抜されるトップガンに選ばれました。
——トップガンとは何でしょうか?
魯:私も正確に覚えているわけではないので間違っていたら申し訳ないのですが、初級職(1年目から3年目までの呼称)3年間の総合評価で選ばれます。A型社員(転勤のある総合職)から15名、B型社員から15名の合計30名くらいだったと思います。
影山:僕のときは営業企画部が、自分の担当地区の中から「この人とこの人かな」と候補者をピックアップしていって、候補者を並べて最終決定していたはずです。けっこう雰囲気で決めていたと思いますね(笑)
魯:我々のときは、資金導入、コミッション、ストック純増の3項目の総合点が高い順でしたので、あんまり恣意的なものを入れないで選んでいたような気がします(笑)
ーー地区賞はどのように選ばれるのですか?
影山:地区賞ですと、ポイントが積み重なっていく形で、初級職のなかでトップ3の人が表彰されました。今は違う形式かもしれませんが、当時は資金導入、コミッション手数料、ストック収入純増、この3つがメインでポイントとして加算されていました。基本的にはバランスよくやらないと、上にはあがっていけないものかなと思います。
ーーCEO表彰はどのように選ばれるのでしょうか?
影山:入社2年目のときに選ばれたのですが、そのときは2年目社員のなかで、半期で原本差し引き(資金導入)トップ3が選ばれました。2年目まではコミッションは全く関係なく、資金導入だけです。3年目からは手数料、資金導入、ストック、この3つをバランスよくやった人が選ばれるというルールだったと思いますね。
1年目、2年目、3年目にやっていたこと
——新人時代(1年目)の行動を教えて下さい。
影山:預かりゼロ、担当顧客ゼロの状態だったので、1年目は飛び込みを1日120〜150件くらいしていました。調布エリアがどちらかというと個人のマーケットなので、ひたすらピンポンをしているような状況ですね。自分で電話外交が上手くないと思っていたので、ほとんど飛び込み外交をしてました。調布ですとリタイヤメント層、地主、お医者さん、税理士、弁護士、このあたりがメインのターゲットでした。
魯:私が赴任した支店は「B型の新人は新規外交をやらない」という方針でして、96口座(休眠口座)のリストを、ひとり最初500件くらいもらって、それをとにかく上から下まで電話し続けるということを毎日毎日やってました。支店に配分される募集債券、埼玉県だったので埼玉県債、個人向け国債を勧めながら、店頭の事務手続きを学ぶための店頭対応だったり、あとは社内の受電対応だったり、そういったことをやってました。96口座が再稼働したら、自分の担当顧客にして良いという感じです。
ーー2年目、3年目はどのような動きをしましたか?
影山:2年目も基本的にはリテール営業なんですけど、支店長と一緒にロータリークラブとかに顔を出して、優良法人を一緒に開拓するみたいことはしていました。30件くらい優良法人リストを作って、そこを継続外交してました。先程申し上げた地主さん、お医者さん、弁護士さん、こういうところを中心に営業しつつですね。2年目も飛び込み外交が非常に多かったなと。3年目になると上記にプラスして、1~2年目に開拓したところの紹介で、けっこう口座開設をしてもらっていました。あとは96口座で誰もあたってないところを自分でセグメントして、そこに外交していました。
魯:2年目くらいから、けっこう退職した先輩のお客様の引き継ぎというのが発生しまして。上位顧客は年配やベテランの先輩方が引き取られるのですが、あまり稼働しない口座を引き継ぎさせて頂きまして、2年目の始めで100件くらい担当口座がありました。96リストに電話しながら、自分の担当口座にも電話をしていくというようなイメージですかね。あとは自分が担当させて頂くからには、ちょっとご挨拶というか、自転車に乗って会いに行くとか、少しずつ外に出るようになった時期だったのかなと思います。
担当顧客数と預かり資産残高、月間平均コミッションは?
——担当顧客数と預かり資産残高は覚えていますか?
影山:1年目は123件の新規口座開設をしたと思います。1年目終了時の預かりは3.5億〜3.6億円くらいですかね。東日本大震災があった2011年だったので、マーケット環境も悪く「野村自体もMUFGに買収されるのでは?」と噂されていましたね(笑)2年目は最終的に200件くらい口座があって、預かりで10億くらいです。
魯:預かりは2年目終了時点で20億くらいありました。退職する直前は500口座、80億以上あったと思いますね。もちろん全て稼働しているわけではなくて、1億2億入っているけど3年間電話に出たことすらありません、みたいな先もありましたが。そのような先でも、頻繫にポスティングをしたり訪問したりして、段々とお取引を再開して頂けたケースもありました。
ーー月間コミッションはどうでしょうか?
影山:1年目は月平均30万とかだと思います。2年目は月間平均が400万〜450万の間くらい、3年目が月平均500~600万くらい。4年目は2カ月間しか支店営業しなかったのですが過去最高が出まして単月1400万円でした。
魯:私は驚くほど昔のことを覚えてないので大体ですが(笑)、自分の与えられた収益目標を常にクリアしよう、達成率100%超えしようと思って行動していました。たぶん1年目は50万とかだと思うんですね。2年目が100万。3年目4年目あたりの記憶がないんですけど、けっこう早い段階で月500万くらいになったと思います。最後は月700万とかだったと思います。責任数字を達成しつつ、たまにボンッと上振れる月があるといったイメージです。
ただ私の場合、同年代のB型社員に比べて預かりが多かったのかなと思います。特にB型は債券のロールとかで安定的にコミッションを出しやすいので。3年目くらいから支店の手数料を稼ぐほうのセールスとして数えられていました。
ここに転職するとき提出した職務履歴書があるんですけど(笑)、4年目だった2015年のコミッション達成率が1月から112、131、120、111、112、140、168、118、79、106、90、117でした。100を大きく割っているのは2015年夏に起こったチャイナショックの影響だと思います。そのときはさすがにって感じですかね。このときたぶん月500万が責任数字だったと思うのですが、コンスタントにやっていたようですね、私(笑)
ブレークスルーのきっかけは「○○営業」
——ご自身が思う「ブレークスルーの瞬間」はありましたか?