目次

  1. 1年目、2年目、3年目にやっていたこと
  2. 担当顧客数と預かり資産残高、月間平均コミッションは?
  3. ブレークスルーのきっかけは「○○営業」
  4. CEO受賞者が語る「地主や住宅地の開拓方法」
  5. トップガンが語る「休眠口座の掘り起こし方」
  6. 見込み顧客は「商品ニーズ」「時間軸」「RMの深さ」で管理
  7. 月間コミッションの内訳
  8. それぞれの「金融パーソンとしてのこだわり」
  9. いま野村證券1年目に戻ったら?
元野村證券のCEO表彰者とトップガンが語る「私の金融営業」と「いま1年目に戻れたら」
(画像=ZUU)
影山 哲也(かげやま・てつや)
野村證券、平成23年度入社。調布支店に配属後、3年連続で地区賞を受賞。2年目にはCEO表彰を受賞。成績優秀者が選抜される海外修練制度でベトナムのホーチミンに約1年赴任後、名古屋支店営業部に着任し法人営業に従事。名古屋でも地区賞を受賞。5年半、野村證券に勤務しZUUへ転職。趣味はお祭りでよさこいを踊ることで、2007年末の紅白歌合戦にも出演。
魯 瑶(ろ・やお)
野村證券、平成24年度入社。所沢支店に配属後、4年2ヶ月リテール営業に従事。地区賞受賞1回、入社3年間の成績上位15名が選抜されるトップガンに選出、2015年度就活パンフレットにも掲載される。両親ともに中国人で、天安門事件の最中、天安門に一番近い病院で生まれる。小学校3年生で来日してから日本で暮らしているため、日本語もネイティブと遜色ない。趣味は動画サイトで中国語の動画に日本語訳をつけること。

聞き手:元野村證券のZUU online編集部 菅野陽平
インタビューは2018年9月18日に行われました

ーーそれぞれの経歴を教えてください。

影山:野村證券平成23年入社で、生え抜き(初任地)は調布支店です。調布支店では3年強リテール営業を行っていまして、その後、同期の成績優秀者が選抜される海外修練制度でベトナムのホーチミンに約1年赴任していました。帰国後は名古屋支店営業部に赴任しまして、そこから1年半法人を中心に営業をしました。

1年目から地区賞(当時の首都圏第二地区)を受賞しており、2年目も通年の地区賞を受賞しています。あとCEO表彰を取っています。3年目も地区賞を通年で受賞しています。4年目は海外修練制度に行きまして、5年目も東海地区の地区賞を受賞している。そんな経歴です。

——続いて魯さん、お願い致します。

:野村證券平成24年度入社で、当時の地域型、今の総合職B型社員(転勤がないエリア総合職)として所沢支店に配属されました。そこから野村證券を退社するまでの4年2カ月ずっと所沢支店にいまして、個人の富裕層や中小企業のオーナーの個人口座に対して金融商品の提案を行っておりました。

私は影山さんほど表彰をされたことはなくて、確か3年目か4年目くらいに地区賞が1回あったかなくらいです。また3年目の最後にB型社員の上位15名が選抜されるトップガンに選ばれました。

——トップガンとは何でしょうか?

:私も正確に覚えているわけではないので間違っていたら申し訳ないのですが、初級職(1年目から3年目までの呼称)3年間の総合評価で選ばれます。A型社員(転勤のある総合職)から15名、B型社員から15名の合計30名くらいだったと思います。

影山:僕のときは営業企画部が、自分の担当地区の中から「この人とこの人かな」と候補者をピックアップしていって、候補者を並べて最終決定していたはずです。けっこう雰囲気で決めていたと思いますね(笑)

:我々のときは、資金導入、コミッション、ストック純増の3項目の総合点が高い順でしたので、あんまり恣意的なものを入れないで選んでいたような気がします(笑)

ーー地区賞はどのように選ばれるのですか?

影山:地区賞ですと、ポイントが積み重なっていく形で、初級職のなかでトップ3の人が表彰されました。今は違う形式かもしれませんが、当時は資金導入、コミッション手数料、ストック収入純増、この3つがメインでポイントとして加算されていました。基本的にはバランスよくやらないと、上にはあがっていけないものかなと思います。

ーーCEO表彰はどのように選ばれるのでしょうか?

影山:入社2年目のときに選ばれたのですが、そのときは2年目社員のなかで、半期で原本差し引き(資金導入)トップ3が選ばれました。2年目まではコミッションは全く関係なく、資金導入だけです。3年目からは手数料、資金導入、ストック、この3つをバランスよくやった人が選ばれるというルールだったと思いますね。

1年目、2年目、3年目にやっていたこと

——新人時代(1年目)の行動を教えて下さい。

影山:預かりゼロ、担当顧客ゼロの状態だったので、1年目は飛び込みを1日120〜150件くらいしていました。調布エリアがどちらかというと個人のマーケットなので、ひたすらピンポンをしているような状況ですね。自分で電話外交が上手くないと思っていたので、ほとんど飛び込み外交をしてました。調布ですとリタイヤメント層、地主、お医者さん、税理士、弁護士、このあたりがメインのターゲットでした。

:私が赴任した支店は「B型の新人は新規外交をやらない」という方針でして、96口座(休眠口座)のリストを、ひとり最初500件くらいもらって、それをとにかく上から下まで電話し続けるということを毎日毎日やってました。支店に配分される募集債券、埼玉県だったので埼玉県債、個人向け国債を勧めながら、店頭の事務手続きを学ぶための店頭対応だったり、あとは社内の受電対応だったり、そういったことをやってました。96口座が再稼働したら、自分の担当顧客にして良いという感じです。

ーー2年目、3年目はどのような動きをしましたか?

影山:2年目も基本的にはリテール営業なんですけど、支店長と一緒にロータリークラブとかに顔を出して、優良法人を一緒に開拓するみたいことはしていました。30件くらい優良法人リストを作って、そこを継続外交してました。先程申し上げた地主さん、お医者さん、弁護士さん、こういうところを中心に営業しつつですね。2年目も飛び込み外交が非常に多かったなと。3年目になると上記にプラスして、1~2年目に開拓したところの紹介で、けっこう口座開設をしてもらっていました。あとは96口座で誰もあたってないところを自分でセグメントして、そこに外交していました。

:2年目くらいから、けっこう退職した先輩のお客様の引き継ぎというのが発生しまして。上位顧客は年配やベテランの先輩方が引き取られるのですが、あまり稼働しない口座を引き継ぎさせて頂きまして、2年目の始めで100件くらい担当口座がありました。96リストに電話しながら、自分の担当口座にも電話をしていくというようなイメージですかね。あとは自分が担当させて頂くからには、ちょっとご挨拶というか、自転車に乗って会いに行くとか、少しずつ外に出るようになった時期だったのかなと思います。

担当顧客数と預かり資産残高、月間平均コミッションは?

——担当顧客数と預かり資産残高は覚えていますか?

影山:1年目は123件の新規口座開設をしたと思います。1年目終了時の預かりは3.5億〜3.6億円くらいですかね。東日本大震災があった2011年だったので、マーケット環境も悪く「野村自体もMUFGに買収されるのでは?」と噂されていましたね(笑)2年目は最終的に200件くらい口座があって、預かりで10億くらいです。

:預かりは2年目終了時点で20億くらいありました。退職する直前は500口座、80億以上あったと思いますね。もちろん全て稼働しているわけではなくて、1億2億入っているけど3年間電話に出たことすらありません、みたいな先もありましたが。そのような先でも、頻繫にポスティングをしたり訪問したりして、段々とお取引を再開して頂けたケースもありました。

ーー月間コミッションはどうでしょうか?

影山:1年目は月平均30万とかだと思います。2年目は月間平均が400万〜450万の間くらい、3年目が月平均500~600万くらい。4年目は2カ月間しか支店営業しなかったのですが過去最高が出まして単月1400万円でした。

:私は驚くほど昔のことを覚えてないので大体ですが(笑)、自分の与えられた収益目標を常にクリアしよう、達成率100%超えしようと思って行動していました。たぶん1年目は50万とかだと思うんですね。2年目が100万。3年目4年目あたりの記憶がないんですけど、けっこう早い段階で月500万くらいになったと思います。最後は月700万とかだったと思います。責任数字を達成しつつ、たまにボンッと上振れる月があるといったイメージです。

ただ私の場合、同年代のB型社員に比べて預かりが多かったのかなと思います。特にB型は債券のロールとかで安定的にコミッションを出しやすいので。3年目くらいから支店の手数料を稼ぐほうのセールスとして数えられていました。

ここに転職するとき提出した職務履歴書があるんですけど(笑)、4年目だった2015年のコミッション達成率が1月から112、131、120、111、112、140、168、118、79、106、90、117でした。100を大きく割っているのは2015年夏に起こったチャイナショックの影響だと思います。そのときはさすがにって感じですかね。このときたぶん月500万が責任数字だったと思うのですが、コンスタントにやっていたようですね、私(笑)

ブレークスルーのきっかけは「○○営業」

——ご自身が思う「ブレークスルーの瞬間」はありましたか?

影山:1年目でいくと、口座開設や初ペロ(注文)は支店の同期で一番遅かったです。そこからは根性論である程度開拓できたのですが、9月頃からまったく口座開設できなくなって…。そこで「今の自分は商品の売り子になっているな」と気が付きました。リレーションをしっかり築いて、ニーズをつかむ必要があると強く意識して回り初めたら、そこからまた盛り返して120件以上の開拓ができました。

2年目以降を振り返ると、大きく分けて2つポイントがあります。ひとつめが1年目の商品戦略がよかったこと。当時のインストラクター(育成担当者)から「債券をひたすらやろう」と指示されていたので1年目から債券をずっとやっていたんですけど、当時は金利がどんどん低下していくタイミングで、債券単価は上昇し、2年目の頃にはほとんどの債券が含み益になっている状況でした。債券なので大きく損を出して離脱してしまったお客様も少なかったですし、そこから投資信託とか株式とか、リスクを取った商品をスムーズに提案できましたね。いわゆる「含み益営業」です。

ふたつめがアベノミクスです。これはアベノミクスの恩恵を受けたというより、いや恩恵は受けたんですけど、どちらかと言うとアベノミクス発動前後から、今まで他の支店で動いてなかった法人口座がぼこぼこと株で動き始めて、今までの営業手法では同期に劣後する危機感が募りました。実際に手数料で勝てなくなり始めまして。そこから「お客様の財産の9割を預かる」という営業をかなり意識して行動しました。どちらかというと「件数×金額」で勝負しにいったことが、だいぶ戦える材料になったのかなと思います。

ーー「資産の9割を預かる」というのは大変なことだと思いますが、どんなことを意識されていたのですか?

影山:2年目の後半からほとんどポートフォリオの提案しかしてないです。なので全体の相場感、マクロ環境を共有して、そのうえでポートフォリオの話をして、各アセットを順次タイミングを見て埋めていきましょうという提案を徹底していました。

ーー魯さんはブレークスルーのきっかけは何かありましたか?

:ブレークスルーのきっかけは分かりやすくて、株好きのお客様との出会いですね。外国株式を頻度高く売買するお客様や、信用取引をなさるお客様などです。どれも引き継ぎで担当になった先です。先輩から信用取引のお客様を引き継ぎついたのものの、制度自体よくわからないし、株の情報も分からないから、そのお客様に喜んで頂くため必死に勉強してついていっていたら、気づいたら自分も株好きになって、株に詳しくなって、他の人にもどんどん勧めるようになりましたね。どこの支店でも「外国株に力を入れよう!」という時期があったと思うんですけど、そのときは人を見れば連続増配銘柄を勧めていましたね(笑)

ほとんどの銘柄は大きく上昇したので、影山さんと同じく含み益営業で良い循環に乗れました。やはりお客様は証券会社のプロに意見を聞きたいと思うので、ちゃんとプロとしての意見を言えるように勉強しましたね。相場に関しては、支店の女性社員のなかでは、かなり話せるほうじゃないかなと思います。それは私が偉かったわけじゃなくて、お客様に育てて頂いたと感じています。

CEO受賞者が語る「地主や住宅地の開拓方法」

ーーここからは新規開拓について伺いたいと思います。

影山:基本的には1年目はリストとかなくて、住所全部にローラー外交してました。そのなかからペンディングになったところは、2年目も引き続きあたっていました。別の観点では、僕の場合、地主系の方によくあたっていました。地主系の方、その地域で有名な名字ってけっこうあると思うので、そこを中心にあたって、紹介してもらって、というのを繰り返し行っていたようなイメージです。

プラスして、売り上げと利益から30件くらい優良法人リストを作って、1日中その30件を回る日を決めて、飛び込み外交をしてました。30件のうち、結局起きた(開拓できた)のは3件でしたね。とにかく「週1で伺う」を徹底していたので、うち1件はほぼ客注(お客様からの注文)で起きたというケースもありましたね。

ーー地主さんとのリレーションを深めるコツはありますか?

影山:都心の地主だとあまりないかもしれませんが、調布の地主さんですと、けっこう畑仕事をされている方が多くて。なので午前中にお伺いすることは意識してました。午前中だと畑にいらっしゃるので、お話できる確率が上がります。あとは、差し入れのコーヒーを1本持っていくとか、そんな人間くさい接触を意識して営業してました。

地主さんに限らずですが、玄関口まで入れたときは、玄関口にある花の花言葉を覚えて手紙に書いたり、玄関口にあるものに関して必ず褒めたり。玄関に置いているということは来客にも見てもらいたいということだと思うので「その人が訊かれたい、褒められたいポイントは何か?」をなるべく意識してRMしてました。

地主さんという特性上なのか、キャピタルゲインを果敢に狙う、リスク商品をごりごり回すという方は少なかったですね。不動産運用が好きなので、インカムゲイン系の金利商品とか相続対策とかが多かったです。

ーー会心の開拓事例はありますか?

影山:とある財団法人が起きまして、それで資産導入が3億何千万という事例がありました。買付け商品は国債だったんですけど、当時は金利がまだあった時代だったので、手数料も200~300万くらい頂戴できました。

あとは未婚の姉弟の開拓事例で、2人合わせて4億5000万くらいお預かりさせて頂きました。お姉さんも未婚、弟さんも未婚で、多額の資産をどうしようかというニーズがあった先で、子どもがいない場合の税制度や生前贈与、相続税などの話を盛り込みつつ、ポートフォリオを組んで資産導入したという流れです。

トップガンが語る「休眠口座の掘り起こし方」

ーー魯さんはいかがでしょうか?96口座の掘り起こしも一種の開拓と言えますよね。

:個人向け国債の買い付けキャンペーンは大いに活用させて頂きました。今はキャッシュバック金額が減っていると思うのですが「1000万円分の個人向け国債を買ったら5万円あげますよ」みたいなキャンペーンです。それだけで初年度は0.5%の定期預金みたいなもの、個人向け国債は預金じゃないですけどね。

個人向け国債は1年後に元本を確保した状態で解約可能なので、とりあえず1年国債にしておきましょうというセールストークでかなり資産導入しましたね。月1億円の導入とかやっていました。1年間色々な形でリレーションを図って、インフレヘッジの必要性を共有し、国債が全部ファンドラップになった事例も多かったですね。

96の電話外交では、過去履歴を見ると「要らない」とか「電話でず」と書いてある人が多かったので、まっとうに連絡しても何も聞いてもらえないリスクを感じ、電話する前にものすごく時間をかけて準備しました。預かりが見えていたので何を持っているとか、昔買ったときに担当者から何を言われて変心してしまったのかとか、そのあと下がってフォローがなくなったタイミングなんかをチェックしたりして。

「先日のFOMCで利上げが決定され、お持ちの○○には〜〜の影響がありそうでご連絡しました」とか「預かり資産を送ったんですけど届きましたか?実はお持ちの△△が大きく動いてまして…」とか、そういう報告系、少なくとも3分は話を聞かないとだめだなって思うようなテーマで連絡するようにしてました。

支店によっては毎日100件電話しなさいとか、架電件数をカウントしている支店もあると思いますが、うちの支店はたまたまそこが自由だったので、多い日でも1日20件かけれてたかなって感じですね。だんだん仲良くなって、30分以上しゃべっちゃう人もでてきて、そうすると知らず知らずのうちに、セールスコードは96なんですけど、自分の担当は魯さんだと思ってくれるみたいで、私宛に来店したり、電話がかけてきたりするようになりました。

ご来店頂いたときは、せっかく来て頂いたのだからと何かしらの粗品をプレゼントしていました。別にたいしたものじゃなくてティッシュ一個とかですけどね。そういうことをし続けたからなのか、アポなしで来店されるお客様が圧倒的に多かったです。

一番すごいときには5人がフィフスブッキング?しちゃって、魯さん待ちの行列ができたことも…(笑)その時はお客様同士が相談のうえ、お年寄りのほうが待つのがしんどいだろうから、ご年齢順でお会いすることになりました。

影山:僕も支店の96をいくつか担当したときは、女性社員ってあんまり会いに行かない人がほとんどだったので、敢えてどんどん会いに行きましたね。差別化を図って、顔を覚えてもらって、というのを徹底してました。

ーー確かに「たまに電話はくるけど、顔見たことないんだよね」って言われるシーンはありますよね。

:それはけっこうやってましたね。1日2件は絶対アポありの訪問を入れて、ついでにアポ先周りの96先の数件に飛び込みしたりして…。とりあえず1日2件はアポ、5件くらいは飛び込みピンポンする先を準備して、不在であれば資料と名刺を投函しておいて、会社では2時間くらいは誰かしらと電話をするというのをずっとやっていた感じですかね。

アポを毎日2件入れ続けるのは楽ではなかったけど、単純にお客様に会いたかったから、商品を売りたいというより本心で「遊びに行っていいですか?(笑)」って言いながらアポを取っていました。それで訪問したらお茶して、お客様の作った野菜とか食べて、孫が最近冷たいんだとか、嫁がムカつくんだとかそんな会話を楽しんでいましたよ(笑)

目立ったことは何もしてなくて、ずーっとコンスタントにやってましたね。一番こだわっていたのが、どんなときも来月や再来月のことを考えてやり続けること。どうしてもできてるときって、ちょっとさぼっちゃたりとか、気が抜けたりすると思うんですけど、数字ができているときほど「来月はできなくなるかも」って思って、新しい人にどんどん顔を覚えてもらうこと、次の対象先を作ることを意識していました。

見込み顧客は「商品ニーズ」「時間軸」「RMの深さ」で管理

ーー見込み客(ペンディング先)管理について伺いたいと思います。

影山:まずペンディング先の定義ですが、何かしらヒアリングできた、もしくは会えたら全部見込み顧客として定義していました。個人の場合はどなたでもいいので、会えた瞬間にもう見込み顧客に入れていました。一回会うと、人間そのあと断りづらくなります。そこは会いやすいところなので、見込み顧客に入れていました。また、インターホン越しに断られても「○○証券でもうやってるので…」など何か1個でもヒアリングできたら見込み顧客に全部入れていました。法人の場合は、オーナーとなにかしら接点を持てたら見込み顧客という定義にしていました。

飛び込み外交するときは、毎回文言を変えていましたね。1回目回るときは例えば単純に「野村證券の影山です」と。2回目回るときは「定期預金の見直しです」と。3回目回るときは「外貨預金の見直しです」と。4回目は「UFJ銀行さんの定期預金の見直しです」とか。後輩から聞いたんですけども、同じエリアを何十回と回っていたせいか、いまだに僕のことを覚えてくれている人がいらっしゃるらしいんですね、お客さんじゃない人でも。

文言を変えつつ、どれに引っ掛かるか、この人はどこに関心があるか、どことお付き合いがあるかというのを明確にしていきました。それをずっと管理してましたね。管理方法はエクセル中心です。商品毎と、今月か中長期かに分けて管理してましたね。

ーー中長期の見込み客には、どれくらいの頻度で接触するのですか?

影山:中長期は月1回ですね。月に1回は何かしらの形で訪問してました。それ以外は、商品が出たらDMを送るなどですね。

ーー魯さんは、ペンディング先の管理はどうされてましたか?

:見込み客で言うと、自分に与えられた96リストのエクセルは見込み客という認識でやってました。管理はエクセルとCRM両方使ってました。エクセルのほうは影山さんと同じで、縦に商品、横に見込み顧客の名前を書いてました。興味がありそうな商品に丸をつけていて、「昨晩のNYが大きく動いたから今日は株の電話がしたい」と思ったら、株にマルがついている人に電話するといった具合です。

外国株、日本株、円債、外国債、保険、ファンドラップとかで分けていましたね。特にもう口座があって、何度も電話で話している人のことはすごくよく分かるはずだから、あんまり見当違いのことを言わないように、電話の前は念入りに準備していました。CRMの使い方としては履歴をめちゃくちゃ入れていました。とんでもない長さの履歴を入れてました。なんならしゃべったことを全て文字起こししたくらいの(笑)

家族構成とかも聞いたら、孫が3人、今年1年生、夫はどこどこ繋がりで、とかそういうのを全部。履歴はかなり入れるタイプでしたね。1回入れると覚えちゃうので、入れることによって覚えていた感じですかね。あとはいつか誰かが引き継いだとき助かるかな、と思って入れてました。

影山:既存のお客様対応でいくと、RMの深さでセグメント分けしてました。私を信頼して下さって私主導で色々なビジネスをさせて頂けるお客様、そこまでではないが真剣に検討して下さるお客様、とりあえず話は聞いてくれるお客様、電話口でしか話せていないお客様に分けて管理をしてましたね。

9割の財産を預かるのがゴールなので、今どの位置にいるのだろうって毎月ちゃんと振り返るのがポイントだと考えていました。一番RMが深いセグメントに入っていないお客様とは何が足りてないんだと意識して行動を立案します。逆に完全にRMできている人は、あんまりアポへ行く必要がないので、電話で対応して、月1回くらいの面談にとどめるとか。会うべき頻度をRMの深さで分けていったという感じです。

月間コミッションの内訳

ーーどんなに綺麗事を言っても数字をあげないと評価されないのが野村證券のセールスです。どういった商品でペロ(注文)を切っていたか教えて下さい。

影山:僕は債券と投資信託が多かったです。基本的に株系の投資信託はまったくやらないので、投資信託も債券系がほとんどですね。「顧客の資産の9割を預かる」のが目標ですから、リスクが比較的低い商品が中心になります。ただ一部の資産で株式とブルベアをやっていました。いわゆる「コア・サテライト戦略」のサテライト部分で、短期のキャピタルゲインを狙うイメージですね。

ーー債券は個別ですか?投信ですか?

影山:半々くらいですかね。個別だとレアルやリラや南アフリカのDDB(ディープディスカウントボンド)を中心に、定期的な分配が欲しいというニーズのある方は投資信託で、みたいな感じでしたね。手数料全体を100とすると、株式が30、投信を含めた債券50、保険が20くらいのイメージでしょうか。

手数料という観点でいくと、最大手は先ほどお話した未婚の姉弟ですね。合わせて4億5000万くらいの預かりだったんですけど、完全にポートフォリオを組んでいて、動かさないお金は中長期で置いておいて、とはいえ相場の上下があるということで、ブルベアとか株式で取っていく。だいたいどのお客さんも同じ手法ですね。株式の比率を増やそうと思えばもっと増やせたのですけど、確か2割と決めて売買してましたね。転勤前に月間1400万できたのは、お姉さんが弟さんにもう少し資産を残してあげたいというので、保険を一部増やした結果です。

ーー魯さんはいかがでしょうか?

:パーセンテージは大体ですが、信用を含めた株で20、投信系で25、ファンドラップが25、債券で20、保険で10といったイメージです。いま振り返ると、かなり色々なものをバランスよくやっていたと思います。もしかしたら株の割合がもう少し多いかもしれないですが。信用取引のお客様はいましたけど「この人が最大手」という方もいなくて…。

メインが投信とかファンドラップなので、1回買って頂いたら頻繁に入れ替えることはなかったため、毎月毎月、違うお客様とビジネスしていました。数名のお客様で月間コミッションの大半を頂くセールスもいると思うんですが、私はそのようなタイプではなかったですね。

お客様には「無理してほしくない」といつも思っていました。「1000万買う!」と言ってくれた方をあえて「500万にしましょう!」と止めたこともありました。それに、本気で良いと思ったものを勧めていたから、頻繁に売り買いする必要もないと思っていました。株は別ですけどね。

だからこそかもしれないのですが、お客様の離脱率も低かったですし、稼働する人がどんどん増えていったんです。売り買いを頻繁にせずに4年以上安定して成績を出すことは難しかったし、本当に苦しいときもあったし、でもそういうときこそ初心に立ち返って「どんどん人に会おう!どんどん新しいお客様を作ろう!1人でもファンを増やそう!」ととにかくサボらず継続して96外交を頑張りました。

それぞれの「金融パーソンとしてのこだわり」

ーー金融パーソンとして、どのようなこだわりを持って営業していましたか?

影山:全資産の9割をいかに預けて頂くか。本当にその人の人生を預かる仕事だと思ってやっていましたし、他の金融パーソンより私のほうが勉強している自信があったので、お客さまの幸せを考えたら「僕に預けるのが一番幸せである」と自信を持って営業していました。

もうひとつが僕の座右の銘でもある「力必達」という言葉を大切にしていました。努力すれば必ず目標を達成できるという意味です。今よりもベターな方法があると思って提案したのに動いてもらえないこともありますが、それは単なる自分のセールス力不足だと思っていたので、どうやったらお客様の背中をうまく押してあげられるのだろうというのを常に考え続けていたセールスでしたね。

:自分という人間に会ったということを覚えていてほしい、ファンになってほしいと思って営業していました。電話越しに野村證券って言うだけガチャ切りするような人でも、野村證券を好きになってもらいたいという気持ちでやっていました。なので、こっちから売りたいものを売るんじゃなくて、その人は何が欲しいのか、相手の気持ちを考えながら、野村證券へのマイナスの気持ちを解消してあげて、もう一回好きになってもらうにはどうしたらいいのかなという気持ちで営業していましたね。

あとは徹底的に自然体でいきました。変に丁寧に接することも止めました。野村證券の営業マンとして、お客様の担当として、なによりも魯瑶という人間として、お客さんを好きになり、そして好きになってもらえるように…。変な喩えかもしれないですが「爽やかな気持ち」でみなさんに接するようにしていました。

ーーこれは人によると思うのですが「売りたくないものを売っている」という罪悪感を感じながら営業する人もいます。罪悪感は感じていましたか?

影山:売りたくないものを売っているという罪悪感自体は、あんまり感じることなくここまで来れたタイプです。なぜかというと、いま何もしないよりは何かしたほうが良いのは確信していたので、ベターな選択肢が提供できていると思っていたからです。

ただ、あまり勉強をしないで提案しちゃったことが何度かあって、それはものすごく後悔しています。たとえばエルピーダという半導体の会社が上場廃止になりましたよね。大して研究もせずノリで「ここはつぶれないだろう」と思い、多くの方に購入してもらっていました。お客様に対して真摯的ではない行動、これはものすごく罪悪感に感じました。それから私はマザーズの銘柄はほとんどオファーしなくなりまして、バフェットじゃないですけど分からないものには手を出さないことを徹底しましたね。

とはいえ、公募株とか募集債券とか「これはちょっとな…」と思う商品もなかにはありました。それに対して、お客様とどう折り合いをつけるかがポイントだと思っていて。短期の成果を求めるお客様へ短期で損をしそうなものを渡すのは良くないですよね。でも中長期では上がりそう、ただ短期では下がりそうものであれば、中長期の成果を求めるお客様に渡すみたいなことを自分の中で意識していました。

「商品をハメる」っていう表現はもちろん好きでないですが、このお客様のニーズと時間軸はこうだから、それに合う商品をハメる、お客様のニーズに合わせたハメ方を意識してましたね。

:影山さんの話を聞いていて一緒だなって思ったのですが、罪悪感を感じるのは自分がよく分からなくて、たとえば課長を連れていって、課長が勧めた商品を買って頂き、それが下がったときですね。自分が本当にいいなと思って提案したときよりも罪悪感を感じましたね。

あと、損切りの売りコミッションにも罪悪感は感じましたね。お客様は損しているのに私はコミッションをもらえて、自分のホワイトボードの数字は増えて、上司や先輩からは褒められる。もちろん、マーケットに合わせて資産の組み替えを提案するのがプロですし、損切りも時には必要だと思いますが「損切りの売りコミッションは頂かなくていいのにな」とも感じていましたね。

影山:それに関しては僕もありましたね。損切り、かつお客さんが離脱しちゃうタイミング。今下がっているのは本当に申し訳ないのですが、これから挽回できると思っているのにも関わらず、それをしっかりお伝えすることができずに、損切りして離脱してしまう方もいらっしゃいました。特に入社して1年半くらいは全く上がらない相場だったので、その後のアベノミクス相場を享受できずに、離脱させてしまった方には申し訳なかったと感じています。

いま野村證券1年目に戻ったら?

ーー最後の質問です。いま野村證券の1年目もしくは若手に戻って営業するとしたら、どんな行動をしますか?

影山:徹底してコミュニティというコミュニティに入ると思います。やっぱり紹介が一番楽なので。特に1年目は収益目標を課せられていないタイミングだと思うので、ありとあらゆるコミュニティにひたすら参加して入り込むというのがひとつですね。

もうひとつ、96を含めて個別セールスが担当していない口座を1000件くらい担当したいです。というのも、今この会社に来て、色々なマーケティング手法に触れて、母数があれば確率論でどんどん開拓できる仕組みを作れると思っています。そういう仕組み作りにチャレンジしてみたいなっていうのはあります。

96が分かりやすいと思うんですけど、多くの方が「とりあえず上から下まで500件電話かけるか」みたいなパターンになってしまっていると思います。そのなかで年齢別に切って、DMを送って、その返信率をちゃんと計算して、より良い方法を見つけていく、それがうまくいったら新規のほうにも広げていく、みたいな仮説と検証の繰り返しを作り込んでみたいなという思いはすごくありますね。

:いま1年目に戻ったら、誰もかも説得して、ド新規外交をやりたいと思います。実際に2年目か3年目のときに「私も新規をやりたいです」と支店長に申し出て、1カ月間やったことがあったんですけど、全然成果でなくて…。そのあと、やる気を買われて、そこから引き継ぎが増えていったという副作用はあったのですが、そうじゃなくて証券会社にいるからには、最初の1年目はイチから飛び込みをやりたいと今すごく思っています。

イチからというかゼロからですよね(笑)あのド新規外交っていうのは、歳を取るにつれてなかなかできなくなりますし、あのときもっとド新規外交をやっておけばよかったな、というのは、すごく感じています。営業スキルの基礎体力がつきますよね、きっと。だから野村證券出身のA型社員は、どこに行っても活躍できるのだと思います。

影山:あと今戻るとすれば、1年目から法人の勉強を徹底的にやりたいですね。1年目、2年目もリテールビジネスが多かったので、法人の勉強は3年目の途中から始めました。いま振り返るとかなり遅かったなと。もっと早く身につけておけば、法人がもっと起きて、もっと成果がでた…というイメージが湧くので、そこを徹底的にやりきれなかったのは、自分のなかで後悔のひとつですね。

:私も事業承継とかM&Aとか逓増定期とか、いわゆる男性の(A型)社員ががっつりやるような案件外交は「自分には関係ない」と思っていたんですが、案件を持てば、本社や税理士の同伴の機会も生まれて勉強できるし、学びながらお金がもらえるってすごいことだから、もっとやっておけばよかったと思います。

CFPやアナリストといった資格もそうですね。私自身の後悔から申し上げると、自分の金融パーソンの価値を高めるというか、人的資本を高めるのに野村證券は絶好の舞台だと思いますし、いま働いている若手の方には、ぜひその舞台を有効活用してもらいたいなって率直に思いますね。