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編集構成:ZUU online 編集部 菅野陽平
インタビューは2018年9月26日に行われました
——新卒で入社した山一證券ではどんなお仕事をされていらっしゃったんですか?
山一が自主廃業した年の新卒だったので半年しか居なかったのですが、基本的には飛び込み訪問です。大阪の堺支店に配属になりまして、そこで自転車に乗って1件1件訪問していくということをずっとやっていました。山一のときも同期トップ10には入っていたと思います。
——法人ですか?個人ですか?
主に個人です。いま振り返ればお客さまに助けられてばかりでしたね。たまたま飛び込んだ喫茶店のマスターが株好きで、通ううちに色々な人を紹介してくれるようになりました。また、その喫茶店の前に安田生命の支店があって、営業の方が喫茶店の常連客だったのですが、仲良くなるうちに「山一證券も安田生命も同じ芙蓉グループだから」と支店に出入りさせてもらえるようになりました。
その年はJR東海やフジテレビのIPOがあり、JR東海のときには安田生命の朝会で私がスピーカーになって、上場について説明する時間までもらいました。そこで新規口座が30件ぐらいできて、そのうちのひとりが武田の株を4000万円ぐらい持っていて、それを移管してくれて…。そんな事例もありましたね。
ただ、お客さまに非常に申し訳ないことをしたときもありました。当時私が入社した時の山一證券の株価は400円ぐらいだったのですが、それがどんどん下がり、11月頃には50円ぐらいになっていたんです。申し上げたように山一證券は芙蓉グループだったので、「いずれ富士銀行が助けてくれるんじゃないか?」と社員は思っていて、私もそのとき開拓したお客さまに100万円から200万円単位で山一證券の株を買ってもらっていたんです。
そうしたら、次の週に会社がつぶれてしまって…。今は前受け制度で先に入金して頂くことが一般的ですが、当時はそのような制度が無かったので注文を先にもらうんですね。それで4営業日後までに入金してもらう。木曜日か金曜日に1株50円で約定して、土曜日につぶれるわけです。もう次の週は値段がつかないですよね。株価1円です。
数日にして100万円、200万円で買った株が紙切れになるわけじゃないですか。それでもお客さまは100万円や200万円を支払わないといけない。お客さまに土下座して謝りましたね。当然「絶対払わへん」「だまされた」みたいな感じになるわけですよ。「でも払ってもらわないと困るので…」と一升瓶持って何度も行って…。いま振り返れば壮絶な半年間でしたね。
——山一證券の破綻後、メリルリンチ日本証券に移りました。
当時、山一証券の社員は6000人ぐらいいたと思うのですが、そのうち1500人くらいがメリルリンチに移ったと思います。20、30代の若手社員はほぼ全員移れたのではないかと思います。
——メリルリンチでもリテール営業をされていたのですか?
そうですね。大手町支店に配属されて、また富裕層開拓の日々でした。山一の首都圏の支店から移ってきた人は山一時代のお客さまにあたることができますが、私を含めて全く東京には縁がない人は、またゼロからの開拓です。
2年間で80億円集めた「新規開拓のコツ」とは?
——そのようななか、メリルリンチでトップセールスになりました。ずばり新規開拓のコツを教えて下さい。