野村→クレディ・スイス→IT企業 各業界で結果を残す営業マン
(画像=PIXTA、ZUU)
高橋 知久
高橋 知久(たかはし・ともひさ)
中央大学卒。野村證券→クレディ・スイス→freee→Yappli。学生時代はアメリカンフットボール部。チームスポーツで、適所適材と戦略の重要性を学ぶ。新卒で野村證券に入社、1年目の新規営業の成果はほぼビリ。そこからウェルス・マネジメント部まで這い上がる。クレディ・スイス移籍後はプライベートバンカーとして富裕層の資産管理を行う。ITの世界に興味を持ち、freeeに転職。THE MODELの営業体制の中、インサイドセールス/フィールドセールス/カスタマーサクセスを経験。個人のブランド力を高めるためSNSでの発信、よりマーケティングに近い業界に身を置くためヤプリに入社。

高橋知久です。前回は、私が野村證券に入社してから富裕層部署に至るまでの経緯をお伝えしました。今回は、初めての転職「野村證券→クレディ・スイス」に移籍して経緯/理由/今振り返って思うことを書いていきたいと思います。

初めての転職とは、初めての決断を意味する

31年間の人生の中、自分の頭で必死に考えて自らの意思で決断したことは一度もありませんでした。常に周りの期待を察して、世間の成功と言われた道を進むことを目指して走ってきました。誰に頼まれたというわけではなく、常識というレールに乗っていれば周りからほめられるから自然とそうしていました。

いつからか自分の気持ちよりも周りからの「いいね」を優先するのが当たり前になっていました。野村證券という大企業を辞める決断すなわち初めての転職は、私の人生で一番大きな決断でした。

周りからは、大企業というレールから外れる時、看板を外すのはもったいないと言われました。世間の常識というレールを外れるのは、何者でもなくなってしまうのではないかと感じました。

結果として、想定したことは現実で全く起きませんでした。逆に予想外のポジティブなことが起きました。

同じ決断をした新しい仲間と出会えました。勇気をもらったと応援してくれる人がいました。何より自分の足で進んでいく覚悟が生まれました。

31歳での初めての転職がきかっけとなり、私の人生は予想できない方向に向かっています。今ではレールは自分の力で引くものだと思っています。

偉そうに申し上げましたが、最初はビビって怖じけていた一歩目(笑)当時を振り返り、自分の環境と心境の変化を紹介します。

次のような状況にいる方は読み進めていただけるとヒントを見つけられます。
・転職を経験したことがない方
・今転職を検討している方
・一度転職を検討したが、転職しなかった方

それでは参りましょう。

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