野村→クレディ・スイス→IT企業 各業界で結果を残す営業マン
(画像=ZUU)
高橋 知久
高橋 知久(たかはし・ともひさ)
中央大学卒。野村證券→クレディ・スイス→freee→Yappli。学生時代はアメリカンフットボール部。チームスポーツで、適所適材と戦略の重要性を学ぶ。新卒で野村證券に入社、1年目の新規営業の成果はほぼビリ。そこからウェルス・マネジメント部まで這い上がる。クレディ・スイス移籍後はプライベートバンカーとして富裕層の資産管理を行う。ITの世界に興味を持ち、freeeに転職。THE MODELの営業体制の中、インサイドセールス/フィールドセールス/カスタマーサクセスを経験。個人のブランド力を高めるためSNSでの発信、よりマーケティングに近い業界に身を置くためヤプリに入社。

前回は【クレディ・スイスでプライベートバンカーとして実働!そこで感じた野村との違い】を書きました。今回は【クレディ・スイスからfreeeに移籍した経緯・理由・いま振り返って思うこと】について述べていきます。

クレディ・スイスからfreeeに転職したのは私の人生において最大の転身でした。

・11年身を置いた金融業界を離れる
・年収下がる
・家族5人で転居(名古屋→東京)

年収が下がっても、家族を巻き込んで転居をしてまでも、妻の反対を押し切ってでもクレディ・スイスからfreeeに移籍した理由は、大きく分けて3つあります。

・今の金融のビジネスモデルに限界を感じた
・時代の最先端に身を置いて事業の成長の貢献したかった
・新しいチャレンジができる自信が生まれた

当時クレディ・スイスに入ったのも、私にとって大きなチャレンジでした。野村證券という大企業のレールを外れることを「もったいない」と言われ、「騙されているのではないか」という心もとない声もたくさん浴びました。それでも私は環境を変えるという決断を下しました。

結果として、外資という世界に入り、今までの価値観とは全く違う人たちと働く機会を得ました。本国のスイスにも行き本場のビジネスを学ぶ機会も作りました。思い切って環境を変えたことで私の人間としての幅は大きく広がりました。一方、