1985年9月22日ニューヨークの「プラザホテル」で行われたG-5(先進5カ国蔵相中央銀行総裁会議)により決定されたドル安誘導政策。ドル円は240円程度から1988年の120円まで下落した。「基軸通貨であるドルに対して、参加各国の通貨を一律10~12%幅で切り上げ、そのための方法として参加各国は外国為替市場で協調介入をおこなう」というものであった。プラザ合意の狙いは、ドル安によって米国の輸出競争力を高め、貿易赤字を減らすことにあった。その背景には、1980年代前半の米国は、レーガン政権が減税とインフレ抑制のために金融引き締め等のポリシーミックスを採用し、これにより高金利となり、世界中の資金が米国に流入してドル高となったまたことにより、米国の貿易赤字をがさらに増えたことにある。このプラザ合意により、日本においては、日本銀行は低金利政策を継続し、そして企業が円高メリットを享受し始めたこともあり、国内景気は回復に転じた。しかしその後、低金利局面と金融機関による過度の貸出が過剰流動性を招き、不動産・株式などの資産価格が高騰し、いわゆるバブル景気が起こることとなった。