640年にわたり欧州を支配下に繁栄を維持したハプスブルク家。「幸いなるオーストリア、汝は結婚せよ」という家訓が示すように、婚姻によって所領を増やした末の激動の運命をご紹介しましょう。

スイスの城主として幕を開けたハプスブルク家の歴史

ハプスブルク家の家訓から学ぶ「自立の重要性」
(画像=Yury Dmitrienko/Shutterstock.com)

ハプスブルク家の歴史は、スイス北部のアールガウ州に位置するハプスブルク城(鷹の城)の城主として幕を開けました。

1273年、ハプスブルク伯ルドルフ4世がドイツ王に選出され、1282年に2人の息子にオーストリアとオーストリアの連邦州の一つであるスティリアを授与したのを機に、同国の君主としての地位を確立。

その後、一時的な衰退をものともせず、歳月を経て勢力を拡大。第一次世界大戦後まで、長きにわたり繁栄を維持しました。

結婚政策で勢力を一気に拡大

「ハプスブルク家の男性陣は、特に戦に長けていた」との文献は見当たりません。戦に代わり同家を欧州の主要勢力に押し上げたのは、巧みな結婚政策だと言われています。

中世の権力者間において、政略結婚は領土拡大の手段として日常的に行われていました。しかし、ハプスブルク家の場合、わずか4回の政略結婚がもたらした効果が絶大であったため、「戦争は他家に任せておけ。幸いなるオーストリア、汝は結婚せよ」というフレーズが、家訓として歴史に刻まれているほどです。

同家に最大の富と権力をもたらした政略結婚は、1477年、後にローマ皇帝の称号を受けた皇帝マクシミリアン1世とシャルル・ブルゴーニュ公の娘、マリアの婚姻です。当時、西欧州で最も繁栄していたブルゴーニュと血縁関係を結んだことにより、ハプスブルク家は事実上、欧州最大の帝国を築くことに成功しました。

「自立心」の欠如とハプスブルク家の没落

ハプスブルク家は、近親婚が多かった一族としても知られ、それに付随する遺伝的な問題などにより同家が衰退する原因の一つになったと推測されています。

繁栄を極める意図で用いられていた手段とはいえ、「一族」の権力拡大に依存する姿勢が時代の流れとともに仇となり、結果的に衰退へとつながっていったのでしょう。「ハプスブルク家は婚姻だけで帝国を築いた」という認識は事実とはほど遠いものですが、婚姻による類まれな繁栄が、一族の運命を翻弄したこともまた事実かもしれません。

欧州一の華麗な歴史を築きながらも終焉を迎えたハプスブルク家。その一族の家訓からは、自立の重要性をはじめ、考えさせられる点が多くあるのではないでしょうか。

(提供:ANA Financial Journal

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