アップルやマクドナルドの日本法人トップとして活躍し、業績を急伸させた実績を持つ原田氏だが、もとはエンジニアとして生きるつもりだったという。経営者としての印象が強い原田氏のキャリア選択はどのようなものだったのか。

※本稿は『THE21』2020年8月号より、一部を抜粋編集したものです。

キャリアは自然に積み重ねる

ゴンチャ ジャパン,原田泳幸
(画像=THE21オンライン)

キャリアはプランするものではありません。足元の仕事を、期待以上、他人以上、今まで以上にやれば、向こうからやってきます。

アップルに入社したのも、シュルンベルジェを退社したあと、向こうから話があったから。同時にインテルからも話があって、入社のサインまでしていたのですが、安泰で先が見えるインテルはつまらないと思い直し、「ウィンテル」と呼ばれたマイクロソフトとインテルのコンビに圧倒的に押されていたアップルを選びました。

マクドナルドへ移ったのも、向こうから話をいただいたから。やはり、自分でプランしたわけではありません。同時にウォルマートからも誘いがあったのですが、興味がなかったので断りました。

そもそも、私はエンジニアとしてキャリアを始めていて、経営者になることは考えていませんでした。考えが変わったのは、シュルンベルジェで働いていたときです。

開発エンジニアとして入社したはずのヒューレット・パッカードで営業部に配属され、慰留されたので3年は我慢したものの、転職した先がシュルンベルジェでした。

シュルンベルジェは石油関連のフランス系グローバルコングロマリットで、M&Aでコンピュータ関連事業にも進出していました。日本では丸紅と東京エレクトロンを代理店として商品を販売していて、私の仕事は両社のテクニカルサポートでした。

ところが、代理店を通さず直販にするという方針転換があり、大企業に入社したはずが、私は米国人の上司とたった二人で、立川駅南口の1Rマンションをオフィスに、直販部隊をゼロから作ることになったのです。ビルの契約をしたり、人を採用したり、Apple IIを使って事業計画を作ったりと、すべて自分でやりました。誰も教えてくれないので、必死に勉強しました。

代理店契約破棄の交渉では、先方は弁護士も含めて5~6人も並んでいるのに、こちらは私一人。その状況で、先方もこちらの本社も説得しなければなりませんでした。

こうした経験を通して、エンジニアは組織にとって一つのコンポーネント(部品、構成要素)に過ぎないのだと実感し、経営に関心を持つようになったのです。37歳で取締役になったときには、エンジニアのことは頭から抜けていました。

ビジネススクールで学ぶことは否定しませんし、私もINSEADやハーバードビジネススクールで学びました。ハーバードでは、自分はなんのために仕事をしているのかを考えさせられ、家もクルマもゴルフの会員権も売るほど、考え方が変わりました。

しかし、知識は学校で吸収するものではなく、情熱をもって仕事に取り組んでいれば、無意識のうちに入ってくるものです。皆さんには、世間体など気にすることなく、足元の仕事に情熱をもって取り組んでいただきたいと思います。

原田泳幸(ゴンチャ ジャパン代表取締役会長兼社長兼CEO)
(『THE21オンライン』2020年08月13日 公開)

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