冷戦を生き延びた資本主義はその後、2つの形態に分かれたーー。資本主義が生み出す病弊の根本原因に迫るブランコ・ミラノヴィッチのベストセラー『資本主義だけ残った』(ブランコ・ミラノヴィッチ、西川美樹=翻訳、みすず書房)をテクノロジー、金融、投資分野で活動する編集者の谷古宇浩司がレビューする。

東西冷戦終結後の世界に残った唯一の経済イデオロギーである「資本主義」の現状と未来をドライに分析した論考。著者のブランコ・ミラノヴィッチは「大不平等 ―― エレファントカーブが予測する未来」「不平等について ―― 経済学と統計が語る26の話」などの邦訳著書がある経済学者だけに、資本主義が生み出す社会の歪みを指摘する時、その筆鋒はいよいよ鋭くなる。
ミラノヴィッチによると、現代の資本主義には2つのモデルがある。1つはアメリカ合衆国が牽引する「リベラル能力資本主義」、もう1つは中華人民共和国やロシアで見られる「政治的資本主義」だ。
リベラル能力資本主義 ―― 格差拡大は止まらず

リベラル能力資本主義とは、モノとサービスの生産/交換が個人間で効率的に分配され、なおかつ階層間移動の自由を担保するシステムを意味する。個人の能力次第で社会階層を駆け上ることが可能な「アメリカン・ドリーム」の思想基盤と言ってもよいが、近年、その負の側面が強調される傾向にある。
ミラノヴィッチが目を向けるのは「格差(不平等)の拡大」だ。本来であれば、リベラル能力資本主義下の社会では、エリート層と非エリート層の断絶の溝は縮小するはずだが、実際にはその格差は拡大し続けている。アメリカにおいて富の所有者の上位10%があらゆる金融資産の90%を保有している、とミラノヴィッチは、エドワード・ウォルフ(Edward N. Wolff)の『アメリカにおける富の一世紀』(A Century of Wealth in America)を引きながら主張する。
このような格差は、エリート層同士の結婚、その子どもたちへの質の高い教育の付与等でさらに拡大していく。加えて、エリート層は政治的影響力に投資をすることで、法律を自らの階層の保護と強化のための武器としていく。
エリート層の人生観をミラノヴィッチが「脱道徳的」と記述しているのは興味深い。彼らは合法と非合法の境界(道徳に反するものの、名目上は合法)を行くか、あるいは法を破っても告訴されないようにさまざまな工夫をこらすようになる。
政治的資本主義 ―― 腐敗を抑制するのは困難

「西側」で発展した資本主義をリベラル能力資本主義とする一方、「東側」で成長した資本主義をミラノヴィッチは「政治的資本主義」と呼ぶ。1970年代後半から鄧小平指導体制のもとで実施された「改革開放」路線は、中国を「社会主義市場経済」(ミラノヴィッチによると「共産党に支配された経済」のこと)に導いた。それはある種の資本主義の形態を意味する。多くの所有形式に明瞭さが欠けること、法の適用がエリート層(支配層)の自由裁量であることなどがその主な特徴で、それらがミラノヴィッチが言うところの「政治資本家階級」の権力をいっそう強化することに貢献している。
政治的資本主義下の社会で見られるシステム上の負の側面に「腐敗」がある。「腐敗は政治的資本主義に根付いたものだから、これを根絶するのはそもそも不可能だ」とミラノヴィッチは言い、さらに「腐敗を根絶するには、このシステムがリベラル能力資本主義へと方向転換するか、あるいは経済自立的なものになるほかない」とする。
グローバリゼーションと2つの資本主義の未来
この2つのタイプの資本主義はグローバリゼーションが進行する世界の状況と密接に関係し、それぞれで影響を及ぼし合っている。つまり、リベラル能力資本主義下の社会における不平等の拡大と、政治的資本主義下の社会での腐敗の横行は、現在のわたしたちが生きる巨大な経済システムにガッチリと組み込まれているということだ。
「ハイパーグローバリゼーションにはその知的上部構造として金儲け(あらゆる類いの)を正当化するイデオロギーが必要であり、そこでは経済的成功が他のあらゆる目的に優先され、そもそも道徳観念の欠けた社会が生まれる」――。ミラノヴィッチのこのドライな指摘は、グローバリゼーションが資本主義の負の側面を強化し、さらには促進さえするのでは、とも読める。そのほか、グローバリゼーションの時代には、移民と市民権の問題、富裕国における労働者の交渉力の喪失問題、低スキル労働者の賃金停滞問題など、すでに、社会問題化しているものも含め、資本主義が生み出すさまざまな問題の出来が予想される。
「資本主義の究極の成功とは、誰もが苦痛や快楽、損得の優れた計算機になるよう人間の性質を変えることができたときだ」とミラノヴィッチは皮肉を込めて言う。その結果、どのような社会が生まれるのだろうか。「『親切で』協力的な態度をとる空間が縮んでゆく。誰もが一回限りの取引相手にすぎなくなったら、無償で感じよく接してもらえる余地はどこにもなくなるだろう。行き着く先は、富のユートピアと同時に対人関係のディストピアとなるだろう」
この恐るべき予言は一部が現実のものとなっている。そして皮肉にも、わたしたちが生きるこの社会を駆動するパワーともなっていることをミラノヴィッチのこの著書は暗示しているのである。
金融、投資、テクノロジー分野で活動する編集者/ジャーナリスト。2021年8月から「ZUU online」のメディア戦略策定に助言。「ITmedia エンタープライズ」「ITmedia マーケティング」編集長、「DIGIDAY[日本版]」創刊プロデューサー、「Business Insider Japan」創刊編集長を歴任。