株式会社MUGENSHA01-620x330

(この記事は2014年3月8日に掲載されたものです。提供: Biglife21


IT業界からの転身、「人」の  パイプが繋いだ職人人生

東京都荒川区の株式会社MUGENSHAは、専門化が一般的なインテリアデザイン業界にあって、店舗、オフィス、住宅のリフォームなど、幅広く手がけることが特徴だ。インテリアデザインの枠に留まらず、コンサルティングや出店プロデュースまで、「建築はコンテンツのひとつ」と無限のビジネスを展開する上田一成社長に聞いた。


最初の就職はシステムエンジニア

同氏はもともと、IT関係の専門学校を卒業後、大手電機メーカーの子会社に就職し、システムエンジニアとして働いていた。出向先の企業を転々としては、ひたすらプログラムのバグをチェックして取り除く日々を送っていたという。志していた職業ではあったが、「自分には分野が合わないなと。やりがいを見出せず、これは無理かなと感じていました」と、大きな会社の歯車として働く自分への疑問を募らせた同氏は、2年弱ほどで職を辞することになる。

退職時は職種まで変えるつもりはなく、町の小さな会社でPC関係を担当するような転職先をイメージしていたというが、具体的に転職活動にとりかかろうとする矢先、以前にアルバイトをしていた飲食店の店長から連絡が入る。

「店長はもう飲食店をやめていて、水道工事の会社に勤めていたのですが、人手が足りないからバイトで来てくれないかと頼まれました。新築のビルの現場で半年ぐらいだからということで、行ったんです」と、全く想定していなかった設備屋の仕事を手伝うことになった。システムエンジニアとは正反対と言っていい職業だ。


配管職人に転身、厳しい親方の下で

転職までの繋ぎのつもりで手伝った配管工の仕事だったが、「これが楽しかった」と語る同氏。給料も、サラリーマンだったそれまでとは違い、1日いくらという職人の世界だ。「やればやっただけもらえる」ことは新鮮だったという。やがてそこの親方から「一人前の職人になってみないか」と誘われた同氏は、二つ返事で正式に職人に転身する。

やりがいを感じる仕事に巡り合った同氏だったが、2年ほど経つころにその会社が倒産してしまう。幸い、工事プラント関係の仕事を通じて知り合った同業の会社から声がかかる。同じ水道の仕事だったが、はじめの会社は衛生設備や給排水など暮らしに直結する設備、二社目はスプリンクラーなどの消火設備を扱っていたという。

ここの親方(社長)が腕利きの職人だった。前職までは温かく育てられ、手取り足取り教えられていたという同氏だが、この親方は典型的な職人肌。「『お前は仕事があまりにも遅い、もっとスピードを上げないと全然使い物にならない』と、とにかく厳しかった」と振り返る。当時20代前半だった同氏は、「いくらやっても追いつかない、向いてないのかな」と悩むようになり、ついに飛び出してしまう。「どんなに頑張っても親方の望むようにはできませんと言ったら、そんなら辞めちまえって言われて。じゃあ辞めますと言って辞めました」という喧嘩別れのような形だった。

親方の下を飛び出したとはいえ、設備の仕事自体には愛着があった同氏。このときも、知り合いの縁を頼って同業の会社に入る。すると、自分はそこにいる同年代の職人たちよりも遥かに仕事ができることに気が付いたという。

「みんなから『お前すごいね』って言われて。そのとき初めて、親方が厳しかったのは仕事ができるように育ててくれていたからだと分かりました。目指していたのが親方だったから、全然追いつけないのは当たり前だったんです」

実は親方は同氏に目をかけており、育てたい気持ちからの厳しさだったと人づてに知ったのは、ずっと後のことだった。