本記事は、トマス・チャモロ-プリミュージク氏の著書『「自信がない」という価値』(河出書房新社)の中から一部を抜粋・編集しています。

評価
(画像=RerF / stock.adobe.com)

なぜ人の評判を気にしなければならないのか

他人からの評価を気にしなければならないというよりも、むしろ本当の自分を知るには、それしか方法がないと言ったほうが正しいだろう。他人からの評価は、本人の自己評価の影響を受けている部分もたしかにあるが、基本的には実際の行動を見て判断しているからだ。私たちはいつも自分のことばかり考えているので(少なくとも、他人があなたについて考えるよりはたくさん考えているはずだ)、なかなかこの点に気づかない。人々が興味を持っているのは、あなたの自己イメージではなく、あなたの行動だ。昔から言われているように、「考えているだけでは向上できない。行動してこそ向上できる」ということだ。

自分の行動に注意しよう。特に、自分の行動が他人からどう解釈されるか考えること。そうすれば、本当の自分というものが、よりはっきりとわかるようになるだろう。その努力を怠っていると、かなりとんちんかんな自分像ができあがってしまう ―― 誰からも共感してもらえない自己評価だ。自己中心的になりたくなかったら、ただ他者中心的になればいい(もちろん、これはかなりのアップグレードだが)。

他人の意見は気にしないという考え方は、たしかに魅力的だが、完全に間違っている。そもそも、なぜこの考え方は魅力的なのだろうか。それは、まるで自由と成功へのパスポートのように宣伝されているからだ。では、なぜ自由と成功へのパスポートになるのか? それは、次のような理屈だ ―― 他人の意見を気にするのをやめれば、社会のプレッシャーから解放されて自由になり、地位と栄光を手に入れることができる。では、なぜこの理屈がバカげているのか? それは、地位と栄光を手に入れることは、社会のプレッシャーから自由になることと正反対だからだ。つまり、他人の意見を気にしなくていい2つの理由は、そもそも互いに矛盾していて、両立しないのである。

他人の意見を無視して地位や栄光を手に入れた人はいない。成功した人は、むしろその正反対だ ―― 他人の意見を最大限まで気にしている。私は今までに、たくさんの企業幹部の研修を担当してきた。研修の目的は、同僚や上司、部下との関係を改善することだ。研修の成果がきちんと出たのは、他人の意見の大切さが理解できた人だけだ。そして理解できなかった人は、例外なく左遷されるか、降格させられている。

他人の意見を無視していると成功できないことはわかったが、それでは「他人の意見を無視すると自由になれる」のほうは本当なのだろうか。答えは「ノー」だ。むしろ、自由になるには、他人の考えを理解することが欠かせない。

他人の考えを理解しようとするという経験がないと、言語の習得といった、正常な発達段階を確立することができない。その極端な例が、オオカミやチンパンジーに育てられ、幼少期に人間とまったく接触しなかった子供だろう。子供が言葉を覚えるプロセスを考えてみよう。耳に入ってきた音をまねて、その音と物事を結びつけ、そして自分の限られた語彙の範囲で、他の物事について質問する。そうやってたくさんの言葉を獲得していく。

ここで大切なのは、言葉の意味を教えてくれるのは、いつも他の人間だということだ。そのため、他人の考えが理解できないと、ほぼすべてのことが理解できなくなる。発達に問題があり、他人の考えが理解できない子供は、生涯にわたって苦労することになる。そのもっとも顕著な例が自閉症だ。自閉症患者は、どんなに軽度でも他者への興味がごく薄く、精神的に社会から切り離されている。

ジェニファー・ビアー博士のチームの研究など、数多くの心理学の研究によると、他人や自分の感情が理解できないという症状は、脳のある部位に損傷があることと関係があるという。その部位は眼窩前頭皮質と呼ばれ、目の後ろにあり、人との関わりを司っている。

ビアー博士のチームは、被験者を眼窩前頭皮質に損傷のある人とない人に分け、自分について説明するというタスクの結果を比較する実験を行った。どんなタスクがあるかというとたとえば過去の恥ずかしかった出来事や、罪悪感を覚えた出来事について語ってもらうという内容だ。損傷のない被験者は、たいてい具体的には語らず、「友達を傷つけたときに罪悪感を覚えた」「ジョークがわからなかったときに恥ずかしかった」など、一般的な表現を使って答えた。

その一方で、眼窩前頭皮質に損傷のある被験者の答えはもっと具体的だ。「浮気をして妻を裏切ったときに罪悪感を覚えた」「店の試着室でセックスしているところを見つかったときに恥ずかしかった」など、個人的で隠しておきたいような経験でもそのまま語っていた。それに加えて、そのような過去の出来事を打ち明けたときの感情について尋ねられると、損傷のある被験者は、話したことをまったく後悔していないし、恥ずかしくもないと答えた。現実の世界では、自分が周りからどう見られるかということを気にしない人は、集団にうまく溶け込めない存在になる。

つまり、人の意見は気にしないという態度でいると、自由も名声も手に入らないだけでなく、社会からも孤立してしまうということだ ―― そして人間が住める場所は、「社会」しかない。ある意味で、人間が他の動物と決定的に異なるのは、他人の思考や感情を読み取る能力がある点だとも言えるだろう。

前にも登場した社会学者のチャールズ・ホートン・クーリーは、「鏡」の比喩を使って、アイデンティティの形成で他者が果たす役割について説明している。クーリーによると、私たちは、「他人が自分をどう見るか」ということに基づいて自己イメージを決めている。自分の人格が他者の中に「映し出され」、その映し出された像を見る能力によって、社会の中に存在する個人としての自分を認識する。

実力よりも自信のほうが高い人は、他者の中の「自分像」が実際よりよく見えている。そして実力よりも自信が低い人は、他者の中の「自分像」が実際より悪く見えている。つまり言い換えると、自信が高すぎる人も、低すぎる人も、他人が自分をどう見ているか正確に把握できていないということだ。

他人が自分をどう思っているかが正確に把握できないと、社会生活にも支障が出る。高名な哲学者のジョージ・ハーバート・ミードも、「個人の精神は、意味を共有する他者の精神との関わりの中だけで存在できる」と言っている(*1)。

*1:G. H. Mead and D. L. Miller, The Individual and the Social Self: Unpublished Work of George Herbert Mead (Chicago: University of Chicago Press, 1982), 5.

もっと最近の話では、心理学者のロイ・バウマイスターも同じようなことを言っている。彼によると、人間は、他者との強い絆を感じたいという気持ちを経験するために進化したという。また彼は、人間の自尊感情が進化した理由は大きく2つに分けられるとも言っている。1つは、社会生活に支障を来すような行動を抑制することであり、もう1つは社会生活を円滑に行うための行動を促すことだ。

たとえば、太りすぎを気にして自尊心が低い人は、その自尊心の低さを解消し、他者から拒絶されるのを避けるために、体重を減らそうとするだろう。失業した、試験に落第したなどの理由で落ち込んでいる人は、自尊心の低さをきっかけに、他者からの承認を失い、人間関係も失うかもしれないと気づくことができる。

このように、どんなに心の奥深くにある感情でも、他者とつながっていて、また他者によって形作られているのだ。そしてそれらの感情のおかげで、私たちは健全な人間関係をはぐくんでいくことができる。

過去30年の間で、心理学者たちは、いわゆる「自己意識感情」について数多くの調査や研究を行ってきた。自己意識感情とは、屈辱、誇り、罪悪感、恥といった感情のことだ。これらの感情は、喜び、怒り、悲しみ、嫌悪といった基本的な感情とは異なり、他人の目を気にしたときに生まれてくる。この分野の研究の第一人者であるマーク・レアリーは、「自己意識感情は、必然的に他者からの評価を推論することから生まれる。ただ単に自分の行動と自己イメージを比較しているだけではない」と言っている(*2)。

*2:M. Leary, “Motivational and Emotional Aspects of the Self,” Annual Review of Psychology 58 (2007): 317-44.

自己意識感情は年齢とともに発達するので、小さな子供の中には見られない。たとえば、もう気づいているだろうが、子供が自分を恥じることはめったにない。大人なら絶対にそうなっている状況でも、子供は平気だ。しかし大きくなるにつれて、他人の目がどんどん気になっていく。そして大人になると、自己意識感情はますます重要性を増し、社会生活を円滑に送るうえで欠かせないものになる。

またそれと同じ意味で、大人の感情は、他者からの評判の受け取り方によっても決まっている。カリフォルニア大学バークレー校のビアー博士の研究チームは、自己意識感情は、自分の自己イメージではなく、他者が自分をどう思うかということと密接にリンクしていることを発見した。

たとえば、ビアー博士のチームによると、人が恥ずかしいと思うのは、たいていの場合、他人からネガティブな評価を受けたと思うときだ。自己評価はそこまでネガティブではなくても、他人の評価のほうが優先される。また、罪悪感の場合も、自分で悪いことをしたと思っていなくても、他人がそう思っていると感じれば罪悪感を覚える。博士のチームはこう言っている。「人が自己意識感情を経験するのは、自分で自分をどう評価するかではなく、自分が考えた他者からの評価が原因になっている」(*3)

*3:J. S. Beer and D. Keltner, “What Is Unique About Self-Conscious Emotions?” Psychological Inquiry 15, no. 2 (2004): 126-70.

つまり、自分という人間を正確に知りたかったら、「他人が考える自分」に注目することが不可欠だということだ。自己啓発のカリスマたちが言っていることとは、むしろ正反対なのだ。他人の意見を無視していると、自由にもなれないし、成功もできない。むしろ、間違った自分像を持ってしまい、他人との関係に支障を来すだろう。ニーチェも言っているように、悪い評判は良心の呵責よりも問題だということだ。良心の呵責を覚えるのは、他人のことを気にかけているからであり、悪い評判が立つのは、他人の意見を気にかけていないことの証拠だからだ。

「自信がない」という価値
トマス・チャモロ-プリミュージク
社会心理学者。ロンドン大学教授、コロンビア大学教授。パーソナリティ分析、人材・組織分析、リーダーシップ開発の権威として知られる。J.P.モルガン、Yahoo、ユニリーバ、英国軍ほか組織コンサルタントとしても活躍。

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