特集『withコロナ時代の経営戦略』では、新型コロナウイルス感染症の感染拡大が続く中での、業界の現在と展望、どんな戦略でこの難局を乗り越えていくのかを、各社のトップに聞く。

株式会社浜松建設は、1993年の創業。それ以前は、現社長の父・濵松武久氏が木材業を営んでいたが、雲仙普賢岳の噴火の被害にあい、再起を期して浜松建設へと組織変更した。本社周辺の耕作放棄されていた蜜柑の果樹園を社長自らが重機を操作して「風の森」へと生まれ変わらせた。そこにカフェなどのテナントを誘致して人々が集える環境を整備。その森を起点に同社のファンが広がり、ひとつのブランドが形成されていった。関東・関西から、同業者の視察申し込みが殺到し、一時は、年間で200社もの視察を受け入れていた。単に住まいのデザインではなく、ライフスタイルの提案をめざして、宿泊できるモデルハウスを建設。好評を博している。

(取材・執筆・構成=大久保賢一)

(画像=株式会社浜松建設)
濵松 和夫(はままつ・かずお)
株式会社浜松建設代表取締役社長
1966年長崎県生まれ。島原工業高等学校卒。
高校卒業後に東京の建設会社に就職。3年ほどで長崎県島原市の実家に帰ってきた後、材木業「まるは木材」の専務取締役として働き、当初8,000万円の売上を5年後には7億円にまで伸ばすことに成功。平成15年に株式会社浜松建設の代表取締役社長に就任。

本社を建てても人は来ないが、森をつくれば人が集まってくれる

――先代は大工から始まり、材木業から建築業へと転進されてきました。

もともと、私の父は大工をしていました。弟子が10人ほどいて、父は彼らを独り立ちさせようと熱心に教育していました。その甲斐あって、弟子たちが成長して次々と独立していったのです。しかし、そのため地域でお客さまを奪い合うような状況になってきてしまいました。そこで父は大工を辞め、独立した大工たちに木材を提供する材木業を始めました。

――本社を移転して、その本社のまわりにご自身が重機を操作して森をつくられました。

材木業として順調に歩みを進めていましたが、1992年、雲仙普賢岳の噴火に伴う被害を受けて材木業が続けられなくなってしまいました。もともと、材木業の傍ら建築の仕事もしていましたので、被災をきっかけに建築専業に転換することにしました。

材木業と建設業を兼業していた当時は、材木屋が建築にも手を染めていると、地元の建設業の皆さんから非難があったため、島原市から離れた諫早市に建設業の本社を開くことになったのです。

諫早市の中で、本社を何回か移転して、2002年に現在地に本社を構えました。本社のまわりは、荒廃した蜜柑の果樹園だったのですが、私は、そこに森を蘇らせようと決意しました。建設業の本社だけでは、モデルハウスがあったとしても、ほとんど人は訪ねてきてくれません。森をつくり、カフェやガーデンショップなども作れば、お客さまも遊びに来てくれるだろうと考え、私自身で重機を運転して樹木を植え、「風の森」をつくりました。

初めは数軒のショップしかありませんでしたが、今では、カフェ・生活雑貨・雑貨と小物・パワーストーン・セレクトショップ・生地とオーダーの店・ガーデニングショップなど10軒以上のお店と建物が集まっています。

(画像=株式会社浜松建設)

木への強いこだわり、森づくりから始まる企業ブランディング

――森づくりは建築業の業績にどのような影響を与えてくれたのでしょうか?

「風の森」には、多くのテナントが入ってくれましたが、収益面では厳しい状況でした。それでも、人が来てくれることが利益だと思っています。私は、「風の森」の事業を浜松建設のブランディング事業だと考えています。

今では、この「風の森」をはじめ、「風の森まなびの」「風びより」と3つの森をつくり、多くのお客さまをお迎えできています。また、この森を訪れた多くの方が、私たちがお伝えしたかった浜松建設のイメージを感じ取ってくださっていると思います。私は、地元のFMラジオやテレビ、コミュニティFMに出演させていただいており、これも、浜松建設のPRとブランディングにつながっていると思います。

――「木が呼んでいる」という表現から、木への強いこだわりを感じました

大工と材木業を経営してきた父からは、木材の目利きをずいぶん仕込まれてきました。おかげ様で、今では、木が私を呼んでくれるのです。福岡県大川市に250種類の木材をそろえる取り扱い木材世界一の製材所があるのですが、そこに行っても「私を使って」と呼びかけてくる木材があります。木というのは、日当たりが良くても悪くても、暑くても寒くても、与えられた環境の中で一生懸命に育っているのです。その一本一本の木をどう使うか、どう料理するかが建築家の腕なのだと思います。

私は、特に傷があったり割れていたりしてハネられた木材が大好きで、それを見るとどう活かして使おうかとアイデアが生まれ、ワクワクした気持ちになります。例えば、木材に穴があいていると、その穴を埋めようと考えるのが普通ですが、私は「ちょうど穴をあけておいてくれたんだ」と思うわけです。せっかく、一生懸命に育ってきた木ですからね。活かしてあげなければ可哀そうですよ。

(画像=株式会社浜松建設)

時代に適応した事業展開の新しいスタイルを推進

――かなり前から、「働き方改革」にも取り組んでいらっしゃいます。

浜松建設では、10年ほど前から働き方改革に取り組んできています。現場や事務所などの場所にとらわれずに仕事ができるよう、社員全員にiPadを支給し、どこに居ても情報共有のできるシステムを整えています。例えば、今日のこの取材の予定も、全社員が知っていますよ。

また、コロナ禍に見舞われる前から当社はテレワークを実施していました。そうした業務の経験から、私自身もIT活用について、いろいろとノウハウを得ることができました。今では、業界大手のITシステム開発会社のアドバイザー的な役割もしています。建設業向けのアプリ開発にあたって、業界に最適なソフトウェアとなるようにアドバイスをしているのです。そうしたアプリのおかげで、ますます快適なテレワークが実現しています。

新型コロナウイルス感染症の拡大を受けて、多くの企業がテレワークを導入しています。私たちは、これまでの経験を踏まえて長崎市内のホテルの1階に、サテライト・オフィスとしても使っていただけるカフェを作りました。今こそ、私たちが時代に先駆けて実践してきた働き方改革とテレワークの経験を、社会の皆さまに還元していく時だと思っています。

――宿泊体験型のモデルハウスを作られましたが、その目的はどこにありますか?

2013年に、橘湾と普賢岳を一望できる長崎県南島原市深江町に「ゲストハウス居里」を完成させました。ここは、宿泊体験型のモデルハウスです。ここの大黒柱にはケヤキ、梁にはスギ、床にも無垢のスギ板を使うなど、多彩な木材がふんだんに使われています。

また実際にそこに滞在して、木の家での暮らしを体験できるようになっています。令和2年4月には「ライフスタイルホテル風の宿り」をオープンし、18人までが同時に食事のできるメインラウンジや広いデッキを備えたステイルームなどがあり、デッキでのテレワークを体験していただくこともできます。1日1組の予約制になっており、この時期でも安心して宿泊体験をしていただけます。

私は「建設業は建設業には学べない。異業種に学ぶべきだ」と考えています。そのため、本来はホテル業のカテゴリーである人が泊まるための施設にして、そこでの時の過ごし方を体験していただいているのです。これからは、家のデザインの提案だけではなく、ライフスタイルの提案が重要なのだと考えています。