アメリカは今もこれまでも、小さな政府の自由放任主義国家で、政府による経済への「干渉」に強い不信感を抱き、大きな政府には懐疑的で、権力をはっきり制限した骨抜き政府のほうがはるかにマシだと考えている――かかる通説を否定するところから本書は始まる。

著者たちの見るところ、アメリカ政府は建国以来、抽象的なイデオロギーに拠ることなく、実利本位(プラグマティズム)の政策によって繰り返し経済を再設計し、不完全ながらも成功を収めてきた。ただし、1980年代に始まった直近の再設計を除いては……。

アメリカ経済政策入門――建国から現在まで
著者:スティーヴン・S・コーエン&J・ブラッドフォード・デロング
訳者:上原裕美子
出版社:みすず書房
発売日:2017年3月10日

ハミルトン流のプラグマティックな経済政策

アメリカ建国の父祖のひとり、アレグザンダー・ハミルトンにたいする著者たちの評価は、きわめて高い。その半生を描いたミュージカルが話題となった、あのハミルトンである。ハミルトンこそ、イギリスの重商主義政策によって強いられた北米植民地の農業経済を設計し直した人物であった。ハミルトンは、高関税率などの幼稚産業保護政策を通じて、工業化の促進をめざした。

商工業を成長させるためには、才能や構想を持った人びとと資産家とをマッチングさせなければならない。それを実現するための第一段階が「アメリカ国債という厚い市場で、アメリカの金持ちたちを証券の売り買いに慣れさせること」であり、第二段階が「手形交換所の役割を果たす国立銀行の設立」であった。ハミルトンの場合、アメリカ経済の金融化は、理念的な目的からではなく、実利的な手段として追求された点に留意する必要がある。

ハミルトン以降のアメリカも、リンカーン、セオドア・ルーズヴェルト、FDR、アイゼンハワーらの下で、大がかりな経済の再設計が繰り返されてきた。そして、それらが不完全ながらも、概ね成功を収めてきたのは、彼らの政策が「高尚でイデオロギッシュな真理や抽象的理論」に導かれたのではなく、「つねに具体的。きわめて実利的。非常にアメリカ的だった」からだと著者たちは主張する。

1980年代からの経済の再設計

ところが、1980年代以降のアメリカの経済政策は間違っていたという。著者たちはこれを整形手術に譬え、この「現時点から見て最後の再設計」は、アメリカと東アジアの国々(日本、韓国、中国など)の政府からなる合同チームがメスを揮い、アメリカ経済という肉体をえぐり、できた空洞に脂肪をつめこんでいったのだと説明している。

すなわち、工業製品の(対米)輸出に邁進する東アジア諸国の政策をアメリカ自身が「唯々諾々と受け入れ、他国との競争を強いられる産業からリソースを引き揚げて(中略)より価値の高い未来の産業と思われるものにリソースを投じる」政策を実施したのである。

その「未来の産業」は、捉えどころのない抽象的なイデオロギーによって選ばれ、具体的に描かれることはなかった。著者たちはそれを次のように巧みに表現している――そんな経済政策の「はっきり見えない手(stealth hand)」がまいたタネを、経済の手品を起こす「見えざる手(invisible hand)」が拾って、ならば咲かせてやろうと動いたのである、と。

だが、東アジア諸国の開発モデルは、もとはといえばアメリカのハミルトンが考え出したものである。彼が『製造業に関する報告書』(1791年)で提示した経済発展の理論は、ドイツの経済学者フリードリヒ・リストに受け継がれ、ドイツの急速な工業化を促進した。さらにその後、経済発展を成功させた(日本を含む)後発の国々も、自国の開発戦略の策定にあたって、ハミルトンの思想に強い影響を受けたにちがいないと著者たちは見る。

金融規制の撤廃

アメリカ経済の直近の再設計において台頭した産業の一つが、金融業である。著者たちは、端から金融を否定しているわけではない。その効率性や必要性はもちろん認めている。問題なのは、国の成長を金融セクターに担わせる政策がなんら実利的視点に基づかずに採用され、その結果、産業構造を歪めるほどに金融を肥大化させた(=製造業の巨大な落ち込みを招き、その巨大な穴の大半を金融業が埋めた)点である。

金融規制の撤廃は、商工業において1950年代と1960年代ほどの急速な経済発展をもたらさなかった。元FRB議長のベン・バーナンキは、当時の「今よりも抑圧された金融システム」のほうが、実質経済成長を大きく妨げず、むしろ大きな安全性をもたらしていたことを否定しなかったという。

アメリカ人が金融セクターの管理・規制について、実利ではなくイデオロギーを持ち込むようになったのは1970年代以降であると著者たちは指摘している。それは、「社会全体の幸福をめざす金融税制制度ではなく、規制撤廃に対するイデオロギーまみれの利害関心を最優先にした」ものであった。

1970年代のアメリカで、金融規制を撤廃し、市場の統治に任せるべきだと考えられるようになったのはなぜか? その一つの要因として、「システムの安定を目的とした規制に成功している金融システムには、その規制を捨てさせてガンスリンガー・ファイナンス〔ハイリターン・ハイリスクな投機を試みること〕を生み出そうとする強い圧力が発生する」からだという経済学者ハイマン・ミンスキーの説が挙げられている。

むろん、「金融規制の撤廃を決めた政府判断が奏功し、好循環を生み出したという点」や、「低コストの仲介業(チャールズ・シュワブなど)や、低コストの投資ファンド(バンガードなど)といった、見事なイノベーションの数々を生み出した」効果については、著者たちも否定はしない。

しかしながら、たとえば、ジョージ・A・アカロフとロバート・J・シラーが共著『不道徳な見えざる手』(東洋経済新報社)で述べている「カモ釣り(phishing for phools)」の横行を招いたことをもって、社会への恩恵と捉えることは難しい。

本書は、過去数十年のあいだにその大半が忘れ去られてしまったアメリカの経済政策の歴史を掘り起こしている。著者たちは、イデオロギーに差配された政策によって均整が失われ、いびつな姿と化した現在のアメリカ経済のあり方を根底から問い直している。そこには、われわれ日本人にとっても、けっして他人事では済まされない問題が提起されているように思われる。(寺下滝郎 翻訳家)