「傾斜13度」を追究して意匠権を取得

JR東日本では、ICカードをかざすアンテナ部に工夫を凝らすことにしました。試行錯誤の末、少し手前に傾いて光っているアンテナ面だと、多くの人がそこにICカードを当ててゲートを無事に通過できることがわかりました。

また、「かざしてください」ではなく、念のために「ふれてください」と言葉でガイドすることにしました。こうした数々のアイデアが功を奏して、読み取りエラーはほとんどなくなり、ようやく実用化することになりました。

2001年11月、JR東日本管内の首都圏424駅3200通路でSuica改札機が導入される運びとなったわけです。ちなみにSuica改札でタッチするアンテナ部の傾斜は13度。この角度が最も読み取りエラーが少ないとして意匠権を取得。いまでは日本国内の多くのICカード自動改札が同様のアンテナ部を採用しています。

Suicaの使えない駅はもはや考えられませんが、それが実用化するまでには行動観察による改良が必要不可欠だったのです。人間と機械が接する場面では、ユーザーインターフェースをどう設計するかは非常に重要です。ユーザーインターフェースが魅力的な商品が市場を席巻する事例は多いですが、Suica改札機のデザインにおいて行動観察が活用されているのは、分野は違うもののスマートフォンのユーザーインターフェース作りにおいて活発な行動観察やアイトラッキング調査が実施されていることに相通じるのではないでしょうか。

Suica改札で行動を観察、読み取りエラーでも皆慌てず

Suica改札機が普及して15年近くが経った今、利用者はどんな行動をするのでしょうか? そこで、休日の昼下がりに筆者はSuica改札機(ホーム側)の前で、2時間ほど改札に入る人たちを簡易的に行動観察をしてみました。約500人の利用者を改札の中から行動観察した結果、以下のことがわかりました。

・ ほとんどの利用者はSuicaをパスケースや財布に入れており、カードのまま利用する人は皆無。財布のままタッチも多い。
・ 50人以上の利用者が、明らかに読み取り部の液晶を見ていない。まっすぐ前を向いたままタッチして通過。
・ 約30人が通過時に読み取りエラーや残高不足などでゲートが閉まる。
・ 改札を通過した後、そのままチャージする人が5人。改札を通った時に残高を確認してチャージを判断している。
・ 逆手(左手)でタッチする人は、約30人。スムーズにタッチしていることから普段から逆手で実施している可能性大。
・ タッチ部で立ち止まる人も、約30人。使い慣れていないシニアの方や大荷物の人、音楽を聴きながらコードの絡まる人等。

これだけ普及した自動改札ですから、当初は全員が同じ様な行動で通過していると想定していましたが、利用者に様々な学習効果が蓄積されていることには大きな発見がありました。

読み取りエラーでブザーが鳴る人やタッチ部で立ち止まる人も、休日ということもあってか1割近くいましたが、誰もが慌てずもう一度タッチし直していました。立ち止まってタッチする人たちも、どの程度の速度で通過できるか分かっているそぶりでした。

また、通過する仕草に無駄がなく、通過時に液晶部を一切見ない利用者も少なくありません。まさに15年前に見出された13度の傾斜が私たちの生活の中に浸透している、そんな結果と言えるでしょう。

こうした観察から、利用者が無意識の中で「Suica改札とはこういうものだ」ということを認識していることが分かります。

この様に習慣化された行動が形成され、利用者にとって心地よい状態、つまりコンフォートゾーンが出来上がっている場合、そのユーザーインターフェースは利用者をロックインします。逆にわずかな仕様やインターフェースの違いによってコンフォートゾーンから外れているインターフェースは、利用者が感覚的に嫌うのです。つまり、行動観察によって見出す成果の一つに、この“コンフォートゾーン”の発見があるのです。

パソコンのキーボード、自動車のハンドルやブレーキの位置、スマートフォーンのインターフェーズなどなど、実は私たちの身の回りにはコンフォートゾーンを意図的に作り出しているデザインは少なくないのです。

高橋広嗣(たかはし・ひろつぐ)
フィンチジャパン 代表取締役。早稲田大学大学院修了後、野村総合研究所経営コンサルティング部入社。経営戦略・事業戦略立案に関するコンサルタントとして活躍。2006年「もうひとつの、商品開発チーム」というスローガンを掲げて、国内では数少ない事業・商品開発に特化したコンサルティング会社『フィンチジャパン』設立。著書に『 半径3メートルの「行動観察」から大ヒットを生む方法 』がある。