ー中山先生の金融教育に対するアプローチや経験についてお聞かせください。
中山厚教授
私は長年財務官僚として金融行政に関与してきました。金融行政の担当者としての経験を経た後、現在は金融機関の役員(社外監査役)も務めています。こうした私自身の経験をベースに、大学の講義を展開しています。
講義では、可能な限り学生たちと共に問題を考える双方向の議論を目指しています。具体的には私が金融行政を担う中で知り、経験したことをベースに、我が国の金融や経済の問題点・課題について学生たちと一緒に考えていく形式です。
公務員時代には北海道大学公共政策大学院で、大学院生に対して金融を講義したこともあります。大学院のゼミですから、最大10名程度の学生と一緒にディスカッション形式で行い、高い学習効果が得られたと思います。大学院の教え子たちは、財務省、内閣府、政府系金融、投資銀行、商業銀行、証券会社等に就職しています。
愛知学院大学でもここ数年は、新型コロナウイルスの影響でオンライン授業も導入しています。しかし、事情の許す限り対面形式で行い、学生との対話を重視し、議論しながら学ぶスタイルを今後も維持したいと考えています。
ーさまざまな経験を経て、大学教授になろうと決断したきっかけは何だったのでしょうか?
中山厚教授
教員や教育者として後進を指導することに、面白さや意義を感じたことが理由です。若い学生たちと議論し、ものの考え方、知識、経験を伝えるのは、本当に楽しいひとときです。
私は学生たちに、単に制度、仕組みを習得するだけでなく、過去の失敗を研究し、社会の課題に対する新たな解答を見つけ出すよう指導しています。これらの経験が彼らにとって深い学びになると確信しています。
1981年に東京大学法学部を卒業し大蔵省に入りました。大蔵省では、金融、国税、関税などの行政業務に携わりました。中央官庁は基本的に制度の企画立案が主な仕事ですが、私は執行業務において現場を直接経験することにやりがいを感じました。
金融や国税などの現場では、民間の関係者とも直接対話し、行政を遂行する立場にいました。
こうした中でバブル時代の金融危機も経験しており、その時の対応は今でも学習の題材にしています。これらの経験を反省も含め学生たちに伝えることが重要だと考えています。
ー中山先生は、日本の金融リテラシーや経済状況についてどのようにお考えでしょうか?
中山教授
我が国においては、多くの国民は概して金融知識に乏しく、金融商品の運用やリスクについて不安を抱える人が多いのが実情です。他国と比較して、これまで国が主導して金融教育を推進してこなかったといえるのではないでしょうか。金融庁の方針は当然と思います。後輩たちに期待しています。
我が国の家計の資産運用状況は、他国と比較すると特異です。たとえば、家計の金融資産における預貯金の比率は全体の約55%を占め、この比率は過去から変わっていません。先進国はもちろんのこと、途上国と比べても預貯金比率が高いと言えます。
我が国は民間において資金需要より資金供給が多い金余り状態ですが、余っているお金はどこに流れるでしょうか?国の財政赤字をファイナンスする一方、我が国では株式への認知信用度が低く、資金の一部が不動産に流れます。その結果、投資資金によって不動産価格が上昇し、都会では実需による購入は困難となるなど、経済にゆがみが生じています。
また、新型コロナウイルスの影響により消費・企業の投資が抑制された結果、家計・企業の余剰資金はさらに拡大しています。こうした中で政府によりコロナ対策としてさらにお金が拠出されました、日銀の資金循環統計によると家計の金融資産は22年末までに2年間で約87兆円増えています。コロナの困窮者を救済することの意義は否定しませんが、将来世代の負担を原資に金余りを助長することがなすべき政策と言えるのかは疑問です。こうした政策による弊害のほうが、経済成長にとってコロナの直接の影響より大きいかもしれません。
お金が実体経済に回らないと、すなわち消費・設備投資等が行われないと、まず経済の成長はありません。この数十年我が国経済は停滞し、生み出される付加価値がほとんど増えていません。それが今の日本経済の現状です。「貯蓄から投資へ」は、国民の資産形成を図り、資産効果で消費を促すとともに、市場にリスクマネーを提供しイノベーティブな投資も後押しする至極的を得た政策です。金融リテラシーの重要性が問われるようになったのは、こうした背景事情があると考えられます。
ー学習指導要領の改訂により、2022年度から高校の授業で金融教育が必修化されました。この政策に関して率直な感想をお聞かせください。
中山厚教授
家庭教育においても、お金についての議論は重要だと思います。日本では、学校教育の中でお金について議論する機会が少ないため、その点は今後改善していく必要があります。
お金は生活に欠かせないものです。そのため、金融知識の学習は避けては通れません。私が学生に伝えているのは、「社会に出れば金融から逃れられない」という現実です。リスクの概念を理解し、特にお金に関連した仕組みを知ることが、いかに重要であるかを認識してほしいと思っています。
お金に関する仕組みを理解するためにまず教えるのは、契約が履行されるにあたっての2つの条件です。1つ目は相手が支払う能力を持っていること。2つ目は相手が実際に支払う意志を持っていることです。支払い能力があっても、借りたお金等を支払う意志がない人も現実に存在します。したがって、その人が本当にお金を支払う意志を持っているかどうかを見極める必要があります。これは一種の人間観察と言えるでしょう。
さらに重要なのは、相手の支払能力の確認です。仮に今現在十分なお金を持っている場合でも、資産と収益の関係をチェックする必要があります。また、収益から返済するか、あるいは他の手段を通じて返済してもらうかも考慮しないといけません。
ー全世代を通じて平等に金融教育を提供するために、大学が果たすべき役割とは何でしょうか?
中山厚教授
私の担当する講義では、コロナ禍以後一時的にその制度が停止していますが、かつて社会人聴講生も受け入れていました。その際、学生と社会人聴講生が一緒に学んでいました。
金融に興味を持つ社会人が参加し、その社会経験をもとに議論に加わることで、学生たちは新たな視点を得られました。このように、社会人が大学の授業に参加することで、大学教育自体に新たな刺激が生まれます。
また、社会人聴講生は得た知識をすぐ実践に活かせます。これは金融の世界だけでなく、他の多くの分野でも同様です。
大学は、そのような学びの機会を広く提供し、多様な人々の学びの場となる役割を担うことができます。
ー大学に金融教育を積極的に導入する、あるいは機会を設けるメリットはあると思いますか?また、大学での金融教育における課題をお聞かせください。
中山厚教授
我が国の教育は、これまで社会の平等を重視し、安定した平穏な世界を作ることに力点を置いてきたような気がします。しかし、実際の経済社会は市場経済であり、競争による勝ち負けは避けられません。だからこそ、学生たちが市場経済の仕組みやその対応方法を学ぶことで、彼らに自信覚悟を植え付け、社会に出ても立派にやっていける力を育むことが大切です。
現在の高等教育の課題の1つは、基礎的素養の不足です。大学での高等教育は、基礎教育の上に築かれますが、最新の受験制度では、多くの大学が受験科目を減らし、学生の受け入れを容易にしています。その結果、基礎知識不足の学生が入学し、高等教育の質の低下を招いているのではないかと思います。
たとえば、基礎的な会計知識がないと、原価償却費などの専門的な話が理解できません。そのため、学生自身が自主的に会計を勉強したり、例えばファイナンシャルプランナーの資格取得を目指したりすることもいい方法と考えられます。資格が具体的な価値を持つかはケース・バイ・ケースですが、それを目標に勉強することは有益だと思います。
ただし、学問の知識をビジネスにどう活かすかは別問題です。たとえば、弁護士試験は依然として日本で最も難しいとされていますが、難関試験に合格して弁護士になってもサラリーマンの平均年収に満たない弁護士もいます。知識があっても、人間力や現実的な社会的対応能力がなければ、経済社会で成功する保証はありません。
ー学生の将来の経済的自立や金銭トラブルの防止に、金融教育はどのような役割を果たすと考えられますか?学生に対するメッセージとあわせてお聞かせください。
中山厚教授
金融リテラシーは、現代の市場経済社会に生きる上で必要不可欠なスキルです。金融知識なしに社会へ飛び込むのは本当に危険です。勉強しないこと自体がリスクのひとつとも言えるでしょう。
仮に原始時代にでも戻れるならば金融知識は必要ないかもしれません。しかし、取引が日常的に行われる現代社会で生きていく以上、金融リテラシーは避けて通れないスキルです。
もしかすると、「あいうえお」を学ぶのと同じようなレベルの必要性・重要性があるかもしれません。金融知識がなければ、大切な資産の形成、管理を誤る可能性があります。学生には金融リテラシーの重要性をしっかりと認識し、勉学に励んでほしいと願っています。