「山本仁商店」- この名に息づくのは、享保年間から続く深い歴史と一貫した精神「仁愛」である。その歴史を刻み、今日まで通し続けてきた現代の仁三郎、代表取締役の山本佳陽子氏。彼女の語る企業理念と未来のビジョンとは何か。本稿では、時代の流れを読み取り、その時代時代に合った独自の商品を提供し続ける山本仁商店の魅力に迫る。300年以上に亘るその歴史から紡ぎ出される知識や経験をどのように現代の事業に活かしているか、そしてこれからの展望について伺いました。

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(画像=株式会社山本仁商店)
山本 佳陽子(やまもと かよこ)
株式会社山本仁商店代表者
昭和47年、山本家の四人姉妹の末っ子四女として生まれる。当時の商家としては男児が生まれることを願っていたが、佳陽子の誕生は家族にとって大きな喜びとなった。子供時代は京都で過ごし、様々な演劇を観て学びたいという一心で京都から東京の日本大学芸術学部に進学。卒業後は服飾専門学校に通いながら、大阪のデザイン事務所で仕事をする。その後、家業である山本仁商店の手伝いとして仕事を始める。培った感性とスキルを活かし、現在は同社の代表取締役を務めている。
株式会社山本仁商店
発祥の地は美濃釜石、現在の岐阜県で、当時は様々なモノを商う。現在の繊維に関わる商いを始めたのは11代仁三郎で、大正9年京店を出店。昭和になり、繊維商が軒を並べる京都室町へ本社を移し、現在の場所で商いを始め、人造絹糸(レーヨン)の販売を始める。そこから、時代の流れもあり、このレーヨンや紡績一連の仕事は好調に推移。京都に居を移しそこで伝統文化の文様や意匠に出会い、白生地ではなく、そこに京都で培った意匠を染めてゆく道へと変化。山本仁商店は世代世代に商うものこそ変われども、その時代に合った『仁』の心を大切にこれからも商いを続けてまいります。

企業の歴史とその挑戦を掘り下げる

―まず最初に、御社の事業変遷についてお聞かせ頂けますか?

株式会社山本仁商店・山本 佳陽子氏(以下、社名・氏名略)::私たちは江戸時代に創業し、屋号の由来は創業者である山本仁三郎(やまもと にさぶろう)に由来して付けられています。元々創業した岐阜では生活雑貨や小間物などを取り扱っていました。その後、布類の取り扱いを始め、大正9年に京都の室町に出店しました。

昭和8年には、白生地を主に取り扱うようになり、それを多くの企業に向けて販売していました。しかし、昭和27年頃には、朝鮮戦争の終結と共に産品取引所の取引が停止してしまう程に追い込まれ、布地の価格が暴落し、それによって事業の方向性を見直す必要が出てきました。

以降、企業としては着物の図案を手掛ける事業に転換しました。母が京都で豊かな文化が育まれる中で生まれた絵に対する理解があったこと、そして、いつの時代も着物は必要とされるため、白生地だけでなく、自社で文様を施した製品を作り出すことで新たな価値を提供したいと考えました。

こうした経緯から、会社の事業は大きく変わりました。元々は白生地販売が中心でしたが、風呂敷や座布団などのさまざまな商品に模様を付けるようになり、現在でもその原点を忘れずに、曽祖父の時代からは繊維に関わる事業を続けています。

―詳細な説明、ありがとうございます。岐阜から京都へ進出する際に事業の転換として具体的なものはあったのでしょうか?

岐阜は綿の産地として有名だったため、綿の加工に力を入れていましたが、京都に進出する際にシルク製品、特にレーヨンという人工繊維が台頭し始めたため、そこに着目し、早期から取り扱うことで京都での事業を広げていました。

曽祖父の時代は、京都で商売をする際には地元とのつながりが非常に大切だと考えられていたため、商工会議所に所属することなどで地元との関係性を築くための取り組みをしていました。

その中で、母が京都の老舗から嫁いできたことは大きな要素でした。古くから京都で商売をしてきた知識と経験が大きな財産となり、その後の業態変化につながっていると思います。

―先代の時代から京都で商売をする上で大変ご苦労されたのですね。東京ではなく、京都を選んでよかった点などはあったのでしょうか?

東京での生活を選んでいたら、戦争で全てが焼けてしまっていたのではないかと思います。京都を選んだことが結果的には良い方向に繋がっています。京都にある自宅は国の指定した文化財に認定されているのですが、そちらも戦争で焼けることなく残っています。今後も残し続け、次なる事業展開にも活用したいと思っています。

―ありがとうございます。京都に移住してから、独自の特徴やお母様の実家の経験を生かしながらビジネスを展開されてきたのですね。

伝統的なビジネスからオンラインまでの転換

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(画像=株式会社山本仁商店)

―御社の事業展開について教えていただけますか?売り上げの規模はどの程度で、かつては問屋さんが中心だったと思いますが、現在は完全に変化しているのでしょうか?

かつては市場や問屋さんとの取引が中心でしたが、コロナの影響で、問屋さんからの注文の減少にかなりのダメージを受けました。そのため、近年はオンラインショップなどで直接販売するようになりました。また、テレビ通販のショップチャンネルなども利用して、自分たちでデザインした商品を直接販売するチャネルも持つようにしました。

もの作りの現場を語ることができるのはやはり直接作っている私たちであり、問屋さんがものづくりを語ることは難しく、自ら発信する必要があると感じたので、ショップチャンネルで販売することにつながりました。そういった、ものづくりの現場を伝えるための媒体は今後も探し続けたいと思っています。

―やはり商品の販売をするためには、ものづくりの現場を理解することが重要ということですね。

はい。私たちは商品がどのように作られているかを理解し、それを消費者に伝えることを大事にしています。新人もその環境で育て上げることが大切だと強く感じています。私たちは、商品の品質を保つためにも、ものづくりのプロセスをしっかりと理解し、その中で我々がどう立ち位置を確立するかを考えています。

―それは興味深いですね。ただ商品を販売するだけでなく、それがどのように生まれたかというストーリーを共有することで、消費者により深い関心を持ってもらうわけですね。

はい。私たちのような中小企業には大手にはない、独自の商品作りのストーリーがあります。そこが私たちの強みであり、それを伝えるためにも物語を作り上げ、伝えるツールとして活用しています。そして、それが消費者が私たちの商品を選ぶ一つの理由になっていると思っています。

コロナ禍での挑戦

―新型コロナウイルスの影響によって御社の事業に影響はあったのでしょうか?

新型コロナウイルスの影響は大きかったと思います。オリンピックのときには、浮世絵や北斎など、海外の方々に興味を持っていただけるような商品を多数集めました。しかし、プロジェクトを進め春に向けて準備をしていた中でコロナが発生し、予期せぬ難題に遭遇しました。

―その難題とは具体的にどのようなものだったのでしょうか?

海外のお客様が増えてきたため、中国の通販業者である「タオバオ」を通じて、商品を販売していたのですが、複数のトラブルが発生しました。それまで山本仁商店のハンカチが好評だったのですが、ある日突然中国語で「山本仁商店の商品は偽物だ」との連絡がありました。調査のために中国から取り寄せた商品は、我々の商品を模倣した粗悪品で、大変驚きました。さらに、商標も取られてしまう事態になってしまいました。

―それは大変でしたね。その際、どのように対応されたのでしょうか?

現地に代理人を立てて異議申し立てを行い、訴訟を起こしました。そのおかげで、模倣商品の一部は取引ストップとなりました。

―そのようなご経験から、今後の対策を立てられたのでしょうか?

商標の保護に関しては、今後非常に重要になると考えています。正直、自分たちのような小さな会社が模倣されるとは思っていませんでした。しかし、これは一方で、我々が良質な商品を提供している証拠かもしれません。そこで、今後は商標の取得に重きを置く予定です。コストはかかりますが、事業を拡大する上で必要な投資だと考えています。

会社の強みやビジョンについて

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(画像=株式会社山本仁商店 商品)

―御社の強みについて教えていただけますか。

私が代表に就任した際、社名に入っている「仁」という意味と共に、私たちが重視すべきことは何なのかと深く考え、知的好奇心を大きなテーマとして掲げることにしました。ものづくりにおいて、お客様が商品を手に取った際に「ワクワク」や「ときめき」が伝わることを重要視しました。そして、このテーマをもとにした京都風の図案や細部まで気を配った製品作りは弊社の大きな強みです。

もう一つの強みは、たくさんのデザイン情報を最大限に活用することだと思います。多くのアーティストやデザイナーから得た知識や技術を使って、ニーズにあった製品を作成しています。これは、決して容易なことではないのですが、全スタッフで最善を尽くしています。

また、活躍するアーティストの図柄を使って商品を作ることで、お客様には現代の美を感じていただける商品づくりをしています。その中には著名なデザイナーや普段接触する機会が少ないアーティストも含まれています。さらに、こういった取り組みの一部として、障がいを持つ方が制作したアートを商品化する試みも行っています。このような商品づくりが私たちの強みと言えます。

思い描く未来構想

―御社のこれからのビジョンについて教えていただけますか?具体的な長期計画や、それを達成するための戦略についてもお伺いしたいです。

現在、美術館関連のプロジェクトにも取り組みつつ、日本の名作を商品化するなどの新たな試みも行っています。日本の文化を広めていくために、著名人の方とともに文化サロンを行っています。大学等と共同でこれらのプロジェクトを進めており、コロナ前には、講演会などを行って、たくさんの方にご参加いただきました。これからもこの文化を広めていくことには力を入れていきたいと感じています。

―それらのイベントでは、具体的には何を提供されているのでしょうか。

アート作品やイラストなどです。これらをただ鑑賞するだけでなく、それらからインスピレーションを得てデザインの源泉を作り、楽しんでいただくことを目指しています。また、これらの作品を見ながら京都の町家でお買い物や会話を楽しむ体験型の美術館を計画しています。

そのような芸術的エッセンスを持つ製品を手に入れると、初めてアートに触れたときの感動が再びよみがえります。私たちは商品を通じてこの素晴らしい感動をお客様と共有したいと考えています。

―「感動」を提供するために具体的に意識していることはありますか??

私たちは、決してただのハンカチや手ぬぐいだけではなく、ストーリーを持つ商品を提供したいと考えています。そのために、我々の場を訪れたお客様に直接体験を提供し、商品造りの奥深さや面白さを共有しています。

さらに、私たちの商品を通して、日本の美しい文化を引き立てたいと思っています。そのために、例えば近いうちに京都に訪れる文化庁の来訪を利用して、それに関連したイベントを開催することも考えています。

読者へのメッセージ

―最後に、次世代の経営者にメッセージなどをいただけますでしょうか?御社のこれまでの歴史を踏まえ、これからの時代に必要な考え方などを是非ともお聞かせいただきたいです。

当社は17代と長く続いている中で女性がCEOに就くのは初めてのことです。そういった意味では私がまさかCEOを務めることになるとは思っていませんでした。しかし、これは時代の流れだとも捉えています。私たちは常に時代と共に進化していければいいと考えています。

今で言えば、働きがいのある企業であること、それが我々の目指すべき状態だと思います。重要なのはそれぞれの時代で従業員の方が楽しく働ける環境を作ることです。だから、楽しめる場としての企業を創り出すことを目指しています。

―素晴らしいお考えですね。貴重なお時間を頂き誠にありがとうございました。

ありがとうございました。

プロフィール

氏名
山本 佳陽子(やまもと かよこ)
会社名
株式会社山本仁商店
役職
代表者