株式会社ベンチャーウイスキーアイキャッチ
(画像=株式会社ベンチャーウイスキー)
肥土 伊知郎(あくと いちろう)
株式会社ベンチャーウイスキー代表取締役社長
1988年東京農業大学農学部醸造学科卒 サントリー株式会社入社を経て、1997 年に父の経営する酒造メーカーに入社。経営不振により、その会社が営業譲渡され人手に渡る。廃棄予定のウイスキー原酒を引き取り、2004年に有限会社ベンチャーウイスキーを設立。2005年に残された原酒をもとにイチローズモルトを発売。その後、軽井沢蒸溜所やスコットランドのベンリアック蒸溜所にてウイスキーづくりを学び、2008年2月より秩父蒸溜所にてウイスキー造りを開始。その間、ワールドウイスキーアワードやウイスキーアドボケートアワードなど数多くの受賞歴があり、2019 年には、ISC(インターナショナルスピリッツコンチャレンジ)にて、マスター ブレンダー オブザイヤーを受賞。
株式会社ベンチャーウイスキー
羽生蒸溜所創始者の孫である肥土伊知郎が創業。秩父蒸溜所を運営。2008 年 2 月に稼働を始め、秩父の風土に根ざしたシングルモルトウイスキーづくりが行われています。蒸溜所は埼玉県の西部、自然豊かな秩父に位置しており、夏は高温多湿、冬は朝晩が氷点下にいたる寒さの厳しい環境ですが、その厳しい環境はウイスキーの熟成に多大な影響を与えると言われ、短い熟成期間にも関わらずフルーティでバランスの良いウイスキーが仕上がっています。

これまでの事業変遷について

ーはじめに、株式会社ベンチャーウイスキーの設立から現在までの事業の変遷について教えていただけますか?

私たちの家系は、元々酒造業を営んでいて、それは江戸時代から続くファミリービジネスでした。祖父の代になると、日本酒だけでなく、他のお酒も製造するようになり、その中にはウイスキーも含まれていました。しかし、会社の経営が思わしくなく、2004年には会社を手放すしかない状況に追い込まれました。父にとっては、大変な苦渋の決断だったと思います。

ーその後、どのような流れでウイスキー事業に興味を持つようになったのですか?

私自身、ウイスキーには大きな可能性があると感じていました。当時、ウイスキーはあまり売れていなかったのですが、プレミアムウイスキー、特にシングルモルトが確実に人気を博していることを感じていました。またバーに足を運ぶと、ウイスキーを楽しむ若者や女性が増えていることに気づきました。

しかし新しいオーナーは、ウイスキーの売れ行きが鈍いと考え、製造に時間と場所を必要とするウイスキーは、資金も時間もかかるため、製造を止めるという決定を下しました。 その結果、引き取り手が見つからなければ廃棄するという方針を打ち出しました。

ーそれは大変な状況でしたね。その後はどうされたのですか?

私は新しいオーナーの下で働くように言われていましたが、その考え方には大きな違和感を感じていました。そこで、自分自身で会社を創ることに決めました。

ーウイスキーが廃棄されるという事態に対して、自ら会社を立ち上げるという強い意志を持ったんですね。それがベンチャーウイスキー設立のきっかけだったということでしょうか。

はい、その通りです。ただ、ウイスキーはお酒ですから、独断で倉庫を借りて引き取るということはできません。免許のない場所に移動すると、その時点で高額の手数料を支払わなければならず、数千万という単位になります。自己資金が豊富にあるわけではなかったので、それは難しいと判断しました。

そのため、関東近郊でウイスキーを引き取ってくれる先がないかと探しました。相手が免許を持っていれば、未納税ということで税金がかからずに移動できるのです。しかし、当時ウイスキーは売れ行きが悪く、自社の在庫を減らすように言われている状況で、他社のウイスキーを預かるということは難しいというのが現状でした。

そんな中、笹の川酒造さんがウイスキーの免許を持っていることを思い出し、ウイスキーを引き取っていただけないかと話をしました。お話をしたところ、そのような貴重なお酒を廃棄するのは業界の損失だと言っていただき、倉庫をお借りすることができました。 そのおかげで、原酒の廃棄を防ぐことができました。これが創業の大きなきっかけでした。

ーその後はどのようにウイスキーを販売したのですか?

会社を設立したのが2004年の9月で、2007年まではウイスキーの市場は縮小傾向にありました。最初にボトリングしたウイスキーは600本で、この600本を売るのに約2年かかりました。 販売の際にはブランドではなく味で評価してくれる人を重要視しようと考えました。その結果、自分がよく通っていたバーのバーテンダーさんが、味で評価をしてくれると思い、ウイスキー専門店に扱っているバーを中心に一軒一軒バーを訪れました。またその際に取り扱っている酒屋さんを伺って、その酒屋さんに商品を持ち込んで、そのバーに納品いただきました。

約2年間で、延べ2000軒のバーを訪れ、杯数で言えば6000杯以上のウイスキーを飲んでいました。バーテンダーさんには、ウイスキーの種類や特徴、味わいについて教えていただきました。 このように最初の頃は、私たちの製品に興味を持っていただける方々に、製品を紹介し、購入いただくという形で地道に活動していました。

ーその活動の中で、お客様にどのようなお話しをしてウイスキーを販売していたのですか?

夢を語っていました。その頃の私の使命は父が残してくれた原酒をボトリングし、販売することでした。しかし、本来、ウイスキーは先輩から引き継いだものを現在売らせてもらい、今造ったものを将来の財産として引き継いでいくものです。そのため、私はいずれウイスキーの製造を再開し、蒸溜所を立ち上げたいと考えていました。

当時、ウイスキー市場は縮小傾向にあり、大手メーカーでさえ苦労していました。しかし、私の夢を聞いた方々からは、小さなメーカーが新たに出てきてウイスキーを製造することは楽しいことだという言葉や、応援の意志、私たちのウイスキーを購入したいという意向を示していただきました。

それらの言葉は私にとって大きな励みとなりました。また、バーテンダーの方々は横の繋がりが強く、一つのバーで話をすると、知り合いのバーを紹介してくれることが多かったため、訪問すべき先がどんどん増えていきました。

自社事業の強みと成功実績

ーベンチャーウイスキーの強みについて教えていただけますか?

ウイスキーが低迷していた時期にその魅力に気づき、特にシングルモルトの世界で飲み比べる楽しみを提供したことが挙げられます。さらに、私たちがウイスキー専業メーカーであること、そしてウイスキーを愛する人々が集まって会社を運営しているという点も大きな強みと言えます。

最近では、クラフトウイスキーという言葉が一般的に通じるようになり、その分野でパイオニア、または第一号と評価されることもあります。これも私たちの強みの一つと言えるでしょう。私たちがウイスキーに対して徹底的にこだわり、そのこだわりが組織全体の強みとなっています。

株式会社ベンチャーウイスキーアイキャッチ
(画像=株式会社ベンチャーウイスキー)

過去にぶつかった壁とブレイクスルー

ー過去のブレイクスルーについて教えてください。

大きな飛躍を遂げた瞬間としては、まず一つに、父が残してくれたウイスキー原酒があったことです。ウイスキー事業は時間がかかります。最低でも3年、長ければ10年、20年という原酒を熟成する時間が必要です。父が残した原酒は、当時ウイスキーが売れていないと評価されていましたが、シングルモルトやプレミアムウイスキーという観点から見れば、そうではなかったと思います。

また資金面では非常に苦労しました。当時、ウイスキーはあまり売れていなかったので、金融機関からは「ワインなら理解できるが、なぜウイスキーなのか」という反応でした。

しかし、それは日本国内だけの話であり、世界全体を見ると違います。実際に、シングルモルトウイスキーの輸入量は2000年頃から増加傾向にありました。そのため、世界全体としてウイスキーの売上が伸びているデータを集め、海外の大きなマーケットに目を向けました。

ー海外の市場に注目したということですが、具体的にどのようなアクションを取りましたか?

運良く海外の代理店とのつながりを持つことができたので、海外のウイスキーイベントに参加しました。英語は得意ではなかったのですが、それでも勇気を振り絞って参加し、自社のウイスキーをアピールしました。その結果、不安な部分があっても、決めた方向に進み続けることで、大きな成果を得ることができました。

思い描いている未来構想や目指す世界観

ー将来思い描いている事業の展望についてお聞かせいただけますか?

まず個人として、30年もののウイスキーを飲むことが目標です。私自身がウイスキーの愛好家であり、蒸留所でウイスキーを造り始めた時からの人生の目標でした。実は、今年でちょうど15年が経ち、15年もののウイスキーが貯蔵庫の中に並んでいます。あと15年間、この事業を続けることで、自分が30年もののウイスキーを飲むことができるというのが最大の目標であり、励みにもなっています。

これを実現するためにどのような事業を展開をしていくかということを考えています。これまでもウイスキー専業メーカーとして、ウイスキー造りに関係することはどんなことでも挑戦していきたいと思い活動していました。規模や制約条件というものはありますが、その時々によってできることがだんだん大きなものになってきています。

例えば、地元の大麦でモルティングという作業を自社でやるようになったり、自社で樽作りをしたり、国産の水ならを使ってウイスキーを熟成させるということに挑戦できています。

また、グレーンウイスキーを製造したいと考えていましたが、巨額の資金と大きな生産設備が必要なため製造は難しいと考えていました。しかし、おかげさまで、今は北海道の苫小牧 にグレーンウイスキー製造所を建てるための工事が始まり、2025年にはそちらでグレーンウイスキーの製造が始まるという段階に来ています。

このような形で様々な挑戦をしながら、ウイスキー専業メーカーとして、お客様に支持される美味しいウイスキー造りを続けていけば、自ずと30年もののウイスキーが飲めると考えています。

ーありがとうございます。素晴らしい実業家でいらっしゃると同時に、酒造家という一面も感じました。肥土さんのウイスキーはどのようなお客様をターゲットにしているのですか?

富裕層をターゲットにしています。ただ、嗜好品なので一般の方もたまに贅沢できるような高品質な物を提供したいと考えています。自分へのご褒美として、一日の疲れを癒すものとして美味しいウィスキーを飲んでいただきたいです。

ユーザーへのメッセージ

ー読者に向けたメッセージをお願いします。

多くの方々は人知れず努力を積み重ね、さまざまなことを成し遂げていると思います。そのような努力をした後の自分へのご褒美として、美味しいウィスキーを飲んでいただきたいと思います。

私たちのウィスキーは、現在生産量が限られてしまっており、需要に対してお答えできていない状況にあります。できる限り多くの方に味わっていただけるようバーなどの飲食店さんに多くお取り扱いいただいておりますので、是非お時間ができた時にバーなどへお足を運んでいただければとても嬉しく思います。

ウイスキーは時間をかけて造られる飲み物であるため、皆様との長いお付き合いの中で、ウイスキーを楽しんでいただけたらと思います。この思いを胸に、これからも末永くお付き合いいただければと願っています。

氏名
肥土 伊知郎(あくと いちろう)
会社名
株式会社ベンチャーウイスキー
役職
代表取締役社長