運用の道に入るきっかけとなった投資顧問会社への出向は不本意だったと振り返る大島氏だが、成果を出し、銀行の関連会社としては最年少で執行役員になる。しかしそれからわずか数年で、「退職」の2文字が脳裏に浮かぶように。それはなぜだったのだろうか。(取材・濱田 優 ZUU online編集長/写真・森口新太郎)

(取材は2019年4月上旬に行われました)

特集大島和隆02
(画像=solarseven / shutterstock.com, ZUU online)

出世コースから外れた? 投資顧問出社初日に「明日から来なくていい」

――投資顧問会社に行ったのがブラックマンデーの直後とのことでした。先日、元シティグループ副会長の藤田勉さんインタビューで、当時の壮絶な状況をうかがいました。そんなときに投資の会社に行けといわれたことを考えると、心中、複雑だったのではないかと思います。実際のところ、お気持ちはどうだったんですか。

まず「(出世コースから)外れたな……」という感じでしたねえ。今でこそ戦略子会社への出向とかありますし、出世に悪影響のない出向もありますが、昔は出向ってカッコ悪いものだったし、出世競争を続けた結果脱落していくというイメージが広くあったと思うんですね。自分は入行してまだ3年目でしたし、親からも「もうか?」って言われましたからね。

――たしかにひと昔前は「出向」にはそういう意味合いを持っていましたね。ただ今は出世コースの人こそが一度出向を経るということはありますね。

日米会話学院に語学研修に行くのが毎年3人ずついて、5年次分の人が行くんですね。だから入行3年目から8年目までで計15人いるんです。研修が終わる時、15人が会議室でコの字型に座った状態で、端から人事部長が辞令を渡していくんです。忘れもしない、12月24日でした。

それで皆、語学研修を経ているから国際的な部署に配属されていくわけです。「国際資金証券部」「国際企画部」「国際審査部」……中にはニューヨークにそのまま赴任する人もいて。それを聞きながら「かっこいいな」とか言いながら、自分の番を待っていたんですね。それで「大島くん」と自分のことが呼ばれて、ドキドキしていたら、「東京人事部詰め、太陽神戸投資顧問会社出向」と言われて、「なんですか、それ?」って感じでしたよ。

でも当時はインターネットなんかないから、「投資顧問会社」というワードも検索できないし、「何をやってる会社なんだろう?」って疑問ばかりで。

当時は12月28日が大納会で、29日から休みだったんですね。それで投資顧問会社に出社した日が26日か27日だったので、社長に「君、明日から来なくていいから」って言われて。要は仕事納めで年明けてからでいいよってことなんですが、とにかくサプライズの連続でしたね。