アメリカ3大財閥の1つといわれるメロン財閥ですが、ロックフェラー、デュポンと比べると、その歴史や実績は、日本ではあまり知られていないように思われます。「自分の直感を信じ、起業家としてアメリカの経済に貢献する」という創始者の教えをもとに、メロン家はいかにしてこれだけの財産を築いたのでしょう。
目次
アメリカ3大財閥の1つ「メロン財閥」とは
メロン財閥は、アメリカの財閥の1つに数えられます。財閥とは、本社を中心に、持株や融資・重役派遣などによって多数の子会社を多角経営する独占企業集団をいいます。一族・一門による同族支配が特徴で、ときに国家権力と結びつき影響力を強めることもあります。日本の財閥である、三井や三菱、住友、安田などをイメージするとわかりやすいでしょう。
はじめに、メロン財閥以外の2つの財閥を簡単に紹介します。
メロン財閥と並ぶアメリカ三大財閥1:ロックフェラー財閥
ロックフェラー財閥は、1839年にアメリカのニューヨークで生まれたジョン・D・ロックフェラーを創始者とする財閥です。1970年に設立したスタンダード・オイル・オブ・オハイオ社を石油の独占会社にまで発展させることで、巨万の富と財閥としての地位を確立しました。
その後は、ロックフェラー財団を設立し慈善事業に多額の献金をしたり、シカゴ大学やロックフェラー医学研究所を創設したりするなど、社会事業にも積極的に取り組んでいます。また、ジョン・D・ロックフェラー2世の三男であるネルソン・ロックフェラーが1970年代にフォード政権の副大統領に就任するなど、政治との深いつながりも持っています。
メロン財閥と並ぶアメリカ三大財閥2:モルガン財閥
モルガン財閥は、国際的な金融財閥です。南北戦争や普仏戦争への資金調達で大きな利益を得たのち、鉄道事業や鉄鋼業への投資を行うことで、財閥としての立場を確立しました。第二次世界大戦後は政府による反独占政策などにより、財閥の規模は縮小。しかし、チェース・マンハッタンとJ・P・モルガンの合併による新会社JPモルガン・チェースを設立するなど、現在も国際金融財閥として強い影響力を持っています。
メロン財閥創始者は北アイルランド出身のトーマス・メロン
ここからは、メロン財閥について詳しく紹介していきます。メロン財閥は、1818年に北アイルランドからペンシルベニアに移住したトーマス・メロンから始まりました。トーマス・メロンがつくった財閥の基礎を、子どもであるアンドルー・W・メロンとリチャード・B・メロンが拡大し、孫のリチャード・キング・メロンが組織として成熟させることで、3大財閥と呼ばれるまでになったのです。
メロン財閥はメロン・アンド・サンズ銀行から始まった
メロン財閥の始まりは、トーマス・メロンが1870年に設立したメロン・アンド・サンズ銀行(父子銀行)といわれます。
財閥創始者のトーマス・メロンですが、実は最初から実業家だったわけではありません。ピッツバーグ大学を卒業後は、弁護士として働いていました。トーマスは、弁護士で得た報酬を何かに投資しようと考えます。そこで選んだのが、ピッツバーグ周辺の不動産です。不動産への投資は、トーマスの狙い通り大成功を収めました。これにより、財閥への第一歩となる資産を得たのです。
1860年代には、アメリカ国内で南北戦争が起こります。南北戦争は機関銃がはじめて実用化されるなど、近代的な戦争となったことで知られています。そこでトーマスは石炭産業や林業、銀行業へ投資を行い、さらに財産を増やします。この時期に、大学卒業後から続けていた弁護士を辞め、実業家としての道を選びました。その後は、機械工場や鋳物工場にも投資先を広げていきます。
このようななかで1870年に設立したのが、財閥の基礎となるメロン・アンド・サンズ銀行です。ではなぜ、トーマスは銀行を設立したのでしょう。それは、グループ内に銀行を保有することで、事業会社に対する、より強固な金融支配を目指したからです。その狙いは当たり、メロン・アンド・サンズ銀行は、“鉄鋼王”と呼ばれたカーネギーが1889年に設立したカーネギー・スチールなどへの融資も行い、財閥の資産と影響力をさらに増大させていきました。
メロン財閥躍進の要因1:産業資本と「金融」「政治」の深い結びつき
メロン財閥が3大財閥と呼ばれるまでに躍進した要因は、3つあると考えられます。その1つめは、産業資本と金融・政治を強く結びつける事業展開をしたことです。そのような事業方針は、1882年にトーマスの息子であるアンドルー・W・メロンが、メロン・アンド・サンズ銀行の経営を引き継いだことで、より強化されていきます。
アルミニウムや石油へ積極的に投資したアンドルー・W・メロン
事業を引き継いだアンドルー・W・メロンは、産業資本への投資を開始します。彼が行った事業の一例は、表1のとおりです。
表1.1880年~1890年代にアンドルー・W・メロンが行った事業の一例
年 | 事業内容 |
1889年 | ユニオン・トラスト社設立(財閥の中核金融機関として、ピッツバーグおよび西部ペンシルベニアの諸銀行を支配) |
1890年 | 石油産業への投資を開始 |
1891年 | アルミニウム精製会社ピッツバーグ・リダクション社の設立を援助(*1) |
1901年 | J・M・ガッフィー石油設立を援助(*2) |
1902年 | メロン・アンド・サンズ銀行をメロン・ナショナル銀行へ継承 |
(ピッツバーグやボストンの中小銀行を買収) |
*1:ピッツバーグ・リダクション社設立の援助
1891年、アンドルーは弟のリチャード・B・メロンとともに、アルミニウム精錬会社であるピッツバーグ・リダクション社の設立を援助します。ピッツバーグ・リダクション社は、世界最大手のアルミニウム製造会社であるアルコアの前身会社です。ピッツバーグ・リダクション社はその後、半世紀にわたってアルミ製造の完全独占企業となり、メロン財閥に大きな利益をもたらしました。
*2:J・M・ガッフィー石油設立を援助
J・M・ガッフィー石油は、1901年にテキサス州に油脈が発見されたときに設立された石油会社です。石油産業への投資は、同じく石油産業へ積極的に投資していたロックフェラー財閥に対抗して行われました。J・M・ガッフィー石油は、のちにガルフ石油と改称されます。
このようにメロン財閥は、産業資本に出資することでグループ内に独占的な会社を誕生させ、巨額の利益を得ました。また、産業界に対する影響力も増加させていったのです。
アンドルーの政界進出により、メロン財閥はより強固なものに
産業資本と金融の結びつきを強化したアンドルーは、財閥の影響力をさらに強めるべく、1920年に政界進出を果たします。1921年には、ウォレン・ハーディング政権下で財務長官に任ぜられました。その後、カルビン・クーリッジ、ハーバード・フーヴァーと3政権に渡りその職を務めたことで、メロン財閥の立場をより強固なものとします。財務長官退任後は、1932年には駐英大使となるなど国際的な地位も手に入れました。
なお、アンドルーが政界に進出したことにより、事業経営は弟のリチャード・B・メロンが引き継いで行いました。その間、ガルフ石油は国際石油資本となり、メロン・ナショナル銀行はアメリカ有数の銀行へと成長しています。
メロン財閥躍進の要因2:1945年以降のグループ企業の再編により財閥の地位強化へ
メロン財閥躍進の要因の2つめは、リチャード・キング・メロンがグループ企業再編による、財閥の地位強化と近代化を図ったことです。
リチャード・キング・メロン、グループ会社の経営を再編
1945年、リチャード・B・メロンは息子であるリチャード・キング・メロンに事業を引き継ぎました。創始者から三世代目にあたるリチャード・キング・メロンはメロンファミリーの総帥となり、事業の再編に着手します。引き継ぎ時にメロン財閥の傘下にあった会社の一例を、表2で確認しましょう。
表2.1945年にメロン財閥の傘下にあった会社の一例
会社名 | 詳細 |
ウェスティングハウス | 総合電機メーカー。発電設備事業、原子力発電設備事業、陸・海軍の原子力施設の管理などを行っており、政府との取引が多かった |
ユナイテッド・テクノロジーズ | 世界有数の航空機エンジンメーカー |
コンソリデーション・コール | 総合エネルギー企業。石油の生産・精製・販売,天然ガス・液化天然ガスの生産などを行う |
PPGインダストリーズ | ガラスおよび総合化学会社 |
このように、当時のメロン財閥はアルコアやガルフ石油などに加え、政府や国家産業との関りが深い会社を多く傘下に取り入れていました。リチャード・キング・メロンは、これらの企業の経営をテクノクラート(高度な専門知識を持った技術官僚)にゆだねることで、経営の安定と財閥の強化を目指したのです。
外国籍企業への積極的な投資も開始
リチャード・キング・メロンは、グループ会社の再編・強化と併せ、以下のようなアメリカ国内の企業への投資も開始します。
- ゼネラル・モーターズ(GM)
- パン・アメリカン航空
- ロッキード(現ロッキード・マーチン)
- ペンシルバニア鉄道
このように、メロン財閥はグループ以外の有力企業への投資をすることで、産業界での影響力をさらに強めていったのです。
バンク・オブ・ニューヨーク・メロンの前身となる金融持株会社メロン・ナショナルを設立
1972年、メロン財閥は現在のバンク・オブ・ニューヨーク・メロンの前身となる金融持株会社「メロン・ナショナル」を設立します。これにより、銀行部門を子会社化するなど金融部門の再編を進めました。メロン・ナショナル設立以降の変遷は、表3のとおりです。
表3.メロン・ナショナルの変遷
年 | 詳細 |
1984年 | メロン・ナショナルをメロン・バンクに改称 |
1999年 | メロン・フィナンシャルに改称 |
2006年 | バンク・オブ・ニューヨーク(※)と合併し、バンク・オブ・ニューヨーク・メロンとなる |
※バンク・オブ・ニューヨークは、「アメリカ合衆国建国の父」の1人といわれるアレクサンダー・ハミルトンが、1784年に設立したアメリカ最古参の銀行です
メロン財閥が金融業に注力するようになった要因には、ガルフ石油の業績不振があると考えられます。1901年の設立以降、ガルフ石油は堅調な利益を上げ続けてきました。しかし、1973年および1979年に、オイルショックが起こります。特に1979年の第二次オイルショックは大打撃となり、それ以降ガルフ石油の業績は大きく悪化しました。
業績不振に悩むガルフ石油は、1984年にはついにロックフェラー財閥傘下のシェブロンに救済買収されることになります。メロン財閥躍進の大きな役割を担ってきたガルフ石油の買収劇は、産業への投資により財産を築いてきたメロン財閥が、金融帝国形成に舵を切るきっかけの1つになったといえるのかもしれません。
メロン財閥躍進の要因3:時代を読む力-近年は仮想通貨への投資でも話題に
メロン財閥躍進の3つめの要因は、時代を読む力に優れていた点です。財閥創始者のトーマス・メロンは、南北戦争時に必要とされる石炭業や林業・銀行業に投資することで、財閥の基礎を作りました。2代目のアンドルー・W・メロンは、産業と金融・政治の結びつきに着目し、財閥の立場を確立します。また、創業者から三世代目となるリチャード・キング・メロンは現状に満足することなく、時代に合わせたグループの再編に積極的に取り組みました。
このように、メロン財閥は世の中の流れを読み、的確な投資をすることで3大財閥と呼ばれるまでになったのです。そんなメロン財閥が近年注目していたもの。それは、「仮想通貨」です。
仮想通貨とはインターネット上でやり取りされるお金
仮想通貨とは、インターネット上でお金のようにやり取りされる通貨のことです。仮想通貨の特徴を、以下にまとめます。
- インターネット上で電子データのみでやり取りされる
- 紙幣や硬貨のような現物がない
- 特定の国家による価値の保障がない
- 専門取引所などで円やドル・ユーロ・人民元など実際の通貨と交換ができる
仮想通貨のメリット・デメリットも表4で確認しましょう。
表4.仮想通貨のメリットおよびデメリット
メリット | デメリット |
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仮想通貨は送金時の利便性が高いなど、新たなシステム作りの手段として期待されています。また、値動きが大きい通貨のため、投機目的として購入している人も多くいます。
トーマス・メロンの直系子孫であるマシュー・メロンは「ビットコイン」に投資していた
メロンファミリーとして近年話題になった人物は、トーマス・メロンの直系子孫であるマシュー・メロンです。マシュー・メロンは、実業家としてさまざまな事業を行っていましたが、鎮痛剤の依存症を患っており2018年4月に急逝しました。
マシュー・メロンは生前、アメリカの経済紙フォーブスが選ぶ「2018年 世界の仮想通貨長者ランキング」で5位にランクインしました。また、2016年時点での資産総額は、約1.2兆円だったといわれています。マシュー・メロンの資産を大きく増大させたものの1つが、仮想通貨「ビットコイン」と「リップル」への投資です。
ビットコインとは、2009年に取引が始まった仮想通貨です。取引開始当初は1BTC(ビットコイン)=0.07円ほどでしたが、2012年には1BTC=1,000円にまで上昇。その後はさらに値が上がり、2017~2018年にかけては1BTC=200万円を超えた時期もありました。2018年以降のビットコインの値動きは落ち着いており、2020年は1BTC=100万円ほどで推移しています。
マシュー・メロンがビットコインや関連事業に投資を始めたのは、2012年です。2012年と2020年の価値を比較すると、1,000倍に増えています。マシュー・メロンは、数年でビットコインや関連事業への投資はやめたといわれますが、それでも十分大きな利益を得たことが想像できます。もちろん、利益を得ただけでなく、実業家としてビットコイン市場の成長に一役買ったともいえるでしょう。
マシュー・メロンが投資した仮想通貨「リップル」とは
ビットコインへの投資後、マシュー・メロンは「リップル」に200万ドルの投資をしました。リップルとは、リップル社が運営する決済システムで利用される通貨で、2004年に開発され2005年から運用が開始されています。2020年5月末時点では、仮想通貨における時価総額ランキングで第3位となっています。
マシュー・メロンがリップルに200万ドルもの大金を投資した理由は、銀行や金融機関のプロジェクトに用いられる数少ない仮想通貨の1つだったからです。仮想通貨に対しネガティブなイメージをもつこともあったようですが、金融帝国を形成してきたメロン財閥の一員として、リップルの決済システムに将来性を見出していたのかもしれません。
リップルの技術は日本の銀行送金アプリ「マネータップ」にも提供
リップルはもともと、国際送金の課題とされた「高い手数料」と「送金スピードの遅さ」を解決するために開発されたシステムです。日本では、2018年にリップルの技術を活用したスマートフォン向けの送金・決済サービス「マネータップ」がスタートしました。
マネータップは、SBIホールディングスの代表取締役副社長である川島克哉氏が代表を務める、銀行送金アプリです。マネータップでは、24時間365日、手数料無料で銀行口座間での即時送金ができます。チャージが不要な点や、電話番号やQRコードで送金ができるなど、利便性の高さが魅力のシステムといえるでしょう。
2020年7月時点において、マネータップによる送金ができる金融機関は愛媛銀行、スルガ銀行、住信SBIネット銀行の3行にとどまっています。しかし、2019年10月にPayPay株式会社との業務提携、2020年1月には三井住友銀行による出資決定など、サービスの拡大が期待できる発表がされています。日本国内はもちろん、リップルの技術を活用したマネータップのようなシステムが世界的に広まれば、リップルの価値はさらに上昇する可能性もあるでしょう。
メロン財閥の成功の秘訣は、その時代が必要とする産業への投資
北アイルランドから移住してきたメロン家が、アメリカで3大財閥と呼ばれるまでに躍進した秘訣は、時代に必要な産業を見極め、惜しみなく投資をしたことといえるでしょう。その経営精神は、メロン・アンド・サンズ銀行設立から150年経った現在も、メロンファミリーに引き継がれています。
メロン財閥の歴史からは、アメリカ経済の発展やさまざまな産業の盛衰がみてとれます。今後、新産業が台頭した際は、メロン財閥がどのように関わっているかを追ってみるのも面白いかもしれません。
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