目次

  1. 近年、話題の出光興産 その業績は?
  2. 創業者、出光佐三のこだわりとは
  3. 変わるべきか? それとも?
  4. お家騒動にもかかわらず株価は過去最高

※2018年1月配信記事を再編集したものです。

近年、話題の出光興産 その業績は?

出光興産 <5019>といえば、思い出すのは「海賊と呼ばれた男」(百田尚樹著、講談社)だ。

この作品は2013年に本屋大賞を受賞、16年には岡田准一主演で映画化もされている。そして、その主人公のモデルは出光興産 の創業者、出光佐三である。「海賊とよばれた男」のカルチャーと遺伝子を引き継いだ出光興産は、かなり「男前」の会社であったように思う。17には「お家騒動」などに揺れる場面も見られたが、これからも変わらず「男前」の会社であり続けて欲しいものである。

その出光興産の業績を見てみよう。

創業者、出光佐三のこだわりとは

出光興産の歴史は古い。1911年、福岡県門司市(※現在の北九州市門司区)で出光商会として創業した。

創業者の出光佐三が目指したのは、直売することで大手よりも安く供給するビジネスモデルであったとされている。しかし、当時の石油元売りの新参者は自由に石油を扱うことができないうえ、門司市での商売も難しい状況であった。そこで彼は打開策として軽油を扱い、門司市でなく域外の「海の舟の上」で商売をした。彼が「海賊」と呼ばれたのはそのためである。

彼が掲げる企業理念・カルチャーは人を尊敬し、店員を家族として扱い、愚痴らず、常に正しいことに向かって前向きに進むことだった。「大家族主義」という日本的経営を標榜し、かつてはタイムカードも定年制もなかったことでも知られている。

また、彼は管理された日本よりも海外に成長の可能性を見出し、行動した。満州では寒さに強い高品質の石油を武器に、当時の米スタンダード石油の顧客であった満州鉄道との取引に成功している。直売のために独自でタンカーも所有し、新しい調達先を求めてイランとも取引を始めた。

第二次世界大戦後、石油は米国GHQの管理下に入った。大手石油元売り会社は米国メジャーの傘下に入ることで生き延びる道を選んだが、出光興産はあくまでも独立した「民族系」として事業拡大を目指した。

変わるべきか? それとも?