泉北ニュータウンの光明池地区。大型マンションが並ぶが、ニュータウン全体では人口減少と高齢化に苦しんでいる(写真=筆者)

目次

  1. 千里は復活、泉北は沈滞 その差はどこに
  2. 千里は老朽団地の建て替えで人口が回復
  3. 泉北は堺だけで4万人近く減少
  4. 地の利のハンディ克服へ新しいライフスタイルを提唱

※2017年9月配信記事を再編集したものです。

千里は復活、泉北は沈滞 その差はどこに

関西を代表する2つのニュータウンの人口の増減で明暗が分かれている。日本初の大規模住宅都市となる大阪府吹田、豊中両市の千里ニュータウンは、団地の建て替えが進み、人口の回復が進んでいる。これに対し、西日本最大規模を誇る大阪府堺、和泉両市の泉北ニュータウンは、急激な人口減少と高齢化の波に翻弄されたままだ。

老朽団地の建て替えがひと足早く千里で進んだことが最大の原因だが、大阪の南北格差や若い世代の都心回帰も影響を与えているようだ。

千里は老朽団地の建て替えで人口が回復

千里ニュータウンは開発面積1160ヘクタール(11.6平方km)、計画人口15万人。日本のニュータウンの先駆けとして1958年、府によって開発決定され、1962年から入居が始まった。1963年に制定された新住宅市街地開発法の初適用地区ともなり、全国のニュータウン開発のモデルとされてきた。

開発面積のうち、集合住宅と緑地・公園が各21%、戸建住宅が20%を占める。集合住宅は府や府住宅供給公社、都市再生機構などが管理し、吹田市に佐竹台、桃山台など8地区、豊中市に新千里東町など4地区がある。大阪市の中心部から北へ12キロの位置。阪急電鉄千里線の延伸など交通網の整備とともに、関西を代表するニュータウンに成長した。

しかし、やがて建物が老朽化し、千里で生まれ育った子供たちが独立していく。新規入居者は増えず、取り残されたのはリタイアした初期入居者だけ。高齢化したニュータウンは「オールドタウン」とやゆされるようになった。

人口減少も急速に進んだ。ピーク時の1975年には13万人近くを数えたものの、2007年には8万9000人余りまで減少。危機感を抱いた府や吹田、豊中の両市は千里ニュータウン再生指針を策定、若い世代の入居を促す団地の建て替えに動きだした。

先行したのは府と府住宅供給公社。府住宅供給公社は2005年から建て替えに着手し、既に計画した約2400戸を終えた。府も2015年春までに約3000戸を建て替えている。9000戸以上を管理する都市再生機構は、2017年度から順次、建て替えに入った。

建て替えは5,6階の低層住宅を高層住宅に集約する方式が主で、室内も若い世代に好まれる内装に改めている。空いた土地にはマンションが進出した。その結果、人口は2011年から徐々に増加に転じ、2013年に9万5000人を突破、2016年は9万9000人台に回復した。吹田市計画調整室は「建て替えの効果が表れてきた」と目を細めている。

泉北は堺だけで4万人近く減少