「海馬」を育てて、「思い出す力」を取り戻そう
40代になると、「若い頃より記憶力が衰えた」「もの忘れが激しくなった」という人が多い。しかし、実は「脳は鍛えれば伸び続けるし、記憶に関する細胞も増やすことができる」と説くのは、脳科学者の枝川義邦氏。最新の研究に基づく記憶力の鍛え方についてうかがった。《取材・構成=西澤まどか》
「歳をとると記憶力が落ちる」は迷信!?
「40歳を過ぎてから、もの覚えが悪くなった」――そんな声をよく耳にしますが、実はそうとばかりは言えないことが、最新の研究でわかっています。
かつては、脳の神経細胞は、生まれたときに多くて、その後は減る一方であると言われていました。しかし近年の研究では、神経細胞は大人になっても新しく生まれること、また神経細胞をサポートするグリア細胞は増殖していることが知られています。つまり、脳は何歳になっても「鍛えられる」のです。
とはいえ、「人の名前がすぐに思い出せなくなった」「新しい情報が入ってこなくなった」など、若い頃より記憶力の衰えを実感する人が多いのも事実でしょう。これには二つの理由があります。一つは、「年齢を気にしている」から。そしてもう一つは、「忙しさのために、ワーキングメモリがいっぱいになりやすい」という理由です。
一つ目の「年齢を気にしている」という理由について、ある実験結果をご紹介しましょう。ノースカロライナ州立大学のヘス博士らは、六十歳以上の男女約百人を集めて記憶学習のテストを行ないました。彼らを二つにグループ分けし、一方には、「年をとると記憶力が衰える」という情報を与えました。もう一つのグループには、「記憶テストの成績に年齢は関係ない」という情報を与えました。すると驚くべきことに、後者の「記憶力と年齢は関係ない」と教えられたグループのほうが、成績が良かったのです。
このテストから見えてくるのは「思い込み」は現実になる、ということ。あなたが「もう40だから仕方ない」と思い込むことによって、記憶力は低下してしまうのです。
「忙しさ」があなたの記憶を奪う!
続いてもう一つの、「忙しさ」が記憶にどう影響するかについて説明しましょう。脳の記憶には、三つの段階があります。新しい情報が脳に刻まれることを「記銘」、その情報を脳内に保つことを「保持」、思い起こすことを「想起」と呼びます。
四十代ともなると、役職がついたり部下ができたりと、仕事の忙しさが増し、また家族のことでもいろいろと時間を取られるなど、悩み多き世代です。
忙しくなると、インプットされた情報をとりあえず置いておくための「ワーキングメモリ」が情報過多になります。ワーキングメモリは、いわば「記憶の作業台」です。新しく入って来た情報も、すでに脳内にある情報を引き出して処理する場合も、まずはこの作業台に乗せます。その際、作業台が情報で溢れていると、新しくものを乗せられません。忙しくて首が回らない人というのは、常に作業台が情報で溢れ返っている状態なのです。これでは新しく記憶することも、記憶を引き出すこともできなくなってしまいます。
この「記憶の作業台」であるワーキングメモリは、すぐに一杯になりやすいので、意図して片づけるようにしたいところ。そのカギを握るのが、脳の「前頭前野」という部分なのです。
「記憶の作業台」を昼寝でリセット
ワーキングメモリという記憶を蓄える仕組みは、脳内のネットワークで形成されていますが、前頭前野がメインプレイヤーを担っています。
この前頭前野の機能が低下したときによいのは、まず「昼寝」をすることが挙げられます。前頭前野は、会社で言えば社長や役員のような、高位な意思決定機関です。そのため、朝起きてからずっとさまざまな情報が入り、昼過ぎには積み重なっている状態に。それをいったんリセットするのが「昼寝」というわけです。
昼寝が難しければ、何も考えずボーッとするだけでも、前頭前野の休息になります。同様に、自身を内省する「瞑想」をするのも良い方法です。
「昼休みに脳を休ませる」というと、スマホでネットを見たりゲームをしたりすることを思い浮かべる人もいるかもしれません。しかし、それでは別の情報が入ってきてしまうので、気分転換になっても、脳の休息にはなりません。あくまで情報をシャットアウトする時間を持つことが重要なのです。
「筋トレ」で記憶力が高まる理由とは?
脳の中で記憶の「保持」にとくに重要な役割を果たすのが、海馬です。海馬は、前頭前野に入ってきた記憶を、長期に渡り定着させるのか、破棄するのかを判断する役割を担っています。
知識を得ようとするとき、海馬は刺激されます。これを繰り返すと、海馬の入り口付近では、神経細胞が新しく生まれる「神経新生」が生じることが分かってきました。つまり、覚えようとすることそのものが、記憶力に関わる細胞を増やすのです。
ところで、ロンドンのタクシードライバーに関するエピソードをご紹介しましょう。道が複雑なことで有名なロンドンでは、タクシードライバーは道を隅々まで熟知しています。ロンドンのベテランタクシードライバーの脳を調べたところ、海馬が一段と大きかったそうです。道を新しく覚え、その記憶を「保持」し、タクシーを走らせるときに「想起」することを繰り返したために、海馬が大きくなったと解釈されています。覚えるのが得意な人は「覚え続けている」人であるということです。
また、「筋トレ」を習慣にすることも、記憶力の手助けとなります。筋肉を鍛えると負荷がかかり、筋繊維が一度破壊され、その後、強く太い筋繊維が再生されます。このとき筋繊維に含まれていた物質が血中に放出されるのですが、その中に「イリシン」というホルモンがあります。イリシンは、脳で「BDNF(脳由来神経栄養因子)」と呼ばれる、神経新生をサポートする物質を増やすと言われています。身体を鍛えることも、記憶力アップにつながるのです。
枝川義邦(えだがわ・よしくに)早稲田大学研究戦略センター教授/脳科学者
1969年、東京都生まれ。1998年、東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了、博士(薬学)。2007年、早稲田大学ビジネススクール修了、MBA。同年、早稲田大学スーパーテクノロジーオフィサー(STO)認定。2014年より現職脳の神経ネットワークから人間の行動まで、マルチレベルな視点による研究を行なう。『記憶力ドリル』(総合法令出版)など、著書多数。(『The 21 online』2018年2月号より)
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