目次

  1. 労働者の経済〜分業というシステム〜
  2. 資本家の経済〜社会との対峙〜
  3. ある人事コンサルタントの悲哀
  4. 富裕層、資本家とつき合う要諦

筆者は普段金融関連の研究職をしている。

私は、経営者の立場に立ったことはないが、職業柄企業オーナーとお話をさせていただいたり、超富裕層といわれる方とお話をさせていただいたりすることも多々ある。 そのなかで、彼ら彼女らの労働に対する価値観や世界に対する価値観が、一般の人と違うことを感じることがあるのだ。

今回お伝えさせていただきたいのは、そうした価値観の違いがどのような経済メカニズムから生じているかということと、結果としてどういった価値観の違いがあるかという二点についてである。

労働者の経済〜分業というシステム〜

経済学の父祖アダム・スミスが興味深く着目した経済原理であり、いまもなお支配的な経済の仕組みがある。それは「分業」だ。

スミスは絶対優位という理論的な基礎から、分業を考察した。つまり、「得意な人が得意なことをすることで、効率的な生産システムが実現される」ということだ。現代の経済学では、絶対優位という概念は比較優位という概念に置き換えられて、分業は価格システムの中で、あくまでも相対的に位置づけられるものになっているが、ここではその仕組みについて詳しく論じない。

この記事の中で、私が問題にしたいことは、スミスが指摘していた分業の問題である。つまり、分業は社会を豊かにするが、その中で働く人間はどんどんと狭量になっていき、つまらない人間になってしまう、という弊害の指摘だ。

むろん、当時のイギリスの製造業の話を現代にそのまま当てはめることはできない。しかし、現代社会で行われている分業体制においても、非常に局所的な専門性を発揮することで、効率的な経営が実現されている点はそれほど変わらないだろう。しかし、専門家に求められる知識のレベルは、比類ならない水準になっているはずだ。

資本家の経済〜社会との対峙〜

労働の中である一つの役割を果たす、という仕事への専念は、資産を持つ人の価値観と大きく異なっている。

資産を持つ人は、そのお金を元に社会に対峙しているのだ。どのようなニーズが社会にあるか、価値があるものは何かということを、社会に対する考察を進めながら、投資を行う。

現代サラリーマンがジョブローテーションなどを行って、経営者の視線を身に付けようとしても、根本には、労働者と投資家(資本家)の見ているものの違い、価値観の違いがあるわけだ。

ここで富裕層が大事にしている教育に、価値観・生活スタイルの継承が含まれていることに着目していただきたい。富裕層の子弟として育てられた人は、一流の設備や指導のもとで習い事をしたり、海外のエリート用寄宿学校に留学したりすることで、価値観、振る舞いのレベルから、鍛えあげられる。

彼らの受ける教育が、決して目の前のお金を追うものではない、ということに着目していただきたい。その教育の目的は、この世界の中で何に価値があるかということを親から子へ伝達することであり、その価値の成り立ちやメカニズムを、教養として身につけることなのだ。

富裕層の求める「本物」の教育というのは、マーケターがニーズを捉える、という専門の市場調査能力ではなく、世の中において何に価値があるのかということを、感性や知性をフルに動員して、世の中の流れを感じ取ろうとする教育だ。

富裕層は確かに、自分の「役に立つ」ことを学ぶことに熱心である。しかしそれは、労働者が専門職能に「役に立つ」ことを学ぶこととは異質なのだ。

労働者が自分の手で稼ぎを得ようとして、技術や知識を身につけるときに、何が役に立ち、何が役に立たないか、という視点で世界を観察するのでは、資産を守ったり、事業を継続させようとする資本家の世界観をとらえることはできない。

ある人事コンサルタントの悲哀