株式会社しゃぶ禅

しゃぶしゃぶ・すき焼きの食べ放題という業態を切り拓いたのが、1983年創業のしゃぶ禅である。父はもともとバブル期に全国展開したディスコの経営者だったが、学生だった菅野雄介氏は父の会社に入社し、不動産部門などを経て、25歳のときに借り入れを起こして独立。ほぼ未経験のまましゃぶ禅のFC会社の社長に就任し、店舗経営をスタートさせた。

2017年、直営店・フランチャイズ店を取り仕切る、しゃぶ禅株式会社の社⻑に就任。2020年に代表取締役社⻑となってからは、BSE問題やリーマンショック、コロナ禍といった数々の危機を、本業からぶれない経営で乗り越えてきた。店舗ごとに店長や調理長の色を出すブランド戦略や、みずから遅れを自覚するインバウンド対応、そして「食べ放題」のイメージそのものを変えようとする挑戦について、菅野氏に聞いた。

菅野雄介(かんの ゆうすけ)──代表取締役社長
1974年1月、東京都生まれ。学生時代に、ディスコ「マハラジャ」などを全国展開していた父のグループ会社に入社し、不動産部門などを経て25歳で独立。その後同グループが1983年に六本木で始めたレストラン「しゃぶ禅」を父から引き継ぎ、2017年に社長、2020年に代表取締役社長に就任した。
しゃぶ禅株式会社
1983年12月、東京・六本木で創業。しゃぶしゃぶの食べ放題をいち早く取り入れ、日本料理「しゃぶ禅」と「ごまいち」を展開。国内外の顧客に愛されている。 企業サイト:https://www.shabuzen.jp/

目次

  1. 父のディスコ事業から、25歳での独立が原点に
  2. 自身が直面した承継の苦労
  3. BSEからコロナ禍まで、本業を貫いた危機対応
  4. 店舗ごとに色を出すブランド戦略とインバウンドの遅れ
  5. エリア集中出店と「食べ放題」の再定義で目指す次の10年

父のディスコ事業から、25歳での独立が原点に

── しゃぶ禅は、もともとお父様がディスコやカラオケ、レストランなどを全国展開していたことが原点だと聞いています。そこから入社するまでの経緯を教えてください。

菅野氏(以下、敬称略) もともと父がディスコやカラオケ、レストランなどを全国展開していた会社で、1980年代後半から90年代前半にかけて、まさにバブルの時期にそうした店舗展開をしていました。私はまだ小学生から中学、高校に上がるくらいの年齢だったので、直接携わっていたわけではなく、そういう事業をやっているんだな、というくらいの感覚でした。

大学在学中には海外にも行かせてもらったのですが、自分が至らないところがあり中途半端になってしまいました。特にこれといった目標ややりたいこともなかったので、そのまま流れで、父から「お前はどうしようもないやつだから、うちで働くしかないだろう」と言われ、大学を卒業せずに入社しました。

── 入社後は、まずどのような業務を担当していたのですか?

菅野 最初はちょうど不動産関連の部署の担当者が退社するタイミングだったので、不動産事業を引き継ぐような形で2年半ほど担当しました。当時はディスコ以外にもしゃぶ禅や、カラオケバー、パブといった夜のお店もあったので、昼の仕事が終わったあとはそうした店舗の手伝いもしながら、接客業とはどういうものかを少しずつ学んでいきました。

── そこからしゃぶ禅を中心とした事業へ進んでいったのですね。独立を決めた経緯を教えてください。

菅野 20代後半のある秋に、今後はしゃぶ禅、いわゆるディナーレストランを主力としていこうという流れがあり、父もまだ健在だったので、本格的にやってみないかと声をかけてもらいました。

25歳のときに別会社を立ち上げ、借り入れも起こしてフランチャイズ会社の代表として開業したのですが、それまで店長やマネージャーのような現場経験があったわけではなく、ほぼ未経験でオーナー店長のような役割を担うことになりました。ハードルは高かったですが、いずれ引き受ける仕事なら早いか遅いかの違いだけだと思い、やってみようと決めました。

自身が直面した承継の苦労

── フランチャイズ店の運営を25歳で任せられました。その際に、大きな会社を築いたお父様のご子息であることは、重荷でしたか、それとも武器だったと感じますか?

菅野 重荷でしかなかったですね。20代からせいぜい30になるかならないかの、大して経験を積んでいない人間が、当然自分より年上で経験も豊富なスタッフばかりの中に入ることになります。

私が面接して採用した人ももちろんいましたが、ほとんどはそうではなく、もともと交流もそれほどなかったので、そうした方たちと人間関係を一から築くのはかなりしんどかった記憶があります。

── その後、フランチャイズ店運営の経験をかわれ、2017年には直営店・フランチャイズ店を取り仕切る、しゃぶ禅株式会社の社長に就任となります。社長が変わることで、周囲の反発が大きかったというケースもあると聞きます。御社の場合はいかがでしたか?

菅野 特定の右腕のような立場の方はいなかったと思いますが、各部署に役職者は何人かいました。社長が代わるということは社風や考え方が変わるということなので、役職者を含めていろいろな方から例えば「なぜ急にこんなことを言い出すのか」というような反発は非常に多かったです。

ただ、そうした諸先輩方はしゃぶ禅をそれまで支えてきてくれた方々です。今まで支えてくれてありがとうございますという気持ちを持ちながらも、時代は変えていかなければいけないので理解してくださいという姿勢を忘れずに接することで、徐々に関係を築いていけたのかなと思っています。

BSEからコロナ禍まで、本業を貫いた危機対応

── 経営に携わってから、BSE問題やリーマンショック、震災、コロナ禍など大きな危機があったと思います。最も苦労したのはどの局面でしたか?

菅野 BSE問題やリーマンショック、東日本大震災もありましたし、直近ではコロナもありました。それぞれ売り上げが半分ぐらいになるような大きな出来事で、苦労した記憶しかないのですが、コロナが一番長引いた分、影響も大きかったです。

ほかの危機は3ヵ月から長くても半年ぐらいで客足が戻ってきたのですが、コロナは年単位で影響が続き、我々の業界として一番こたえた部分でした。デリバリーをはじめたり、当時できた新しい補助金や制度も活用しながら、新しい事業にも取り組みました。

── そうした危機を乗り越えられた要因はどこにあったと考えていますか?

菅野 最終的には本業からぶれなかったことが一番だったと思います。私たちのしゃぶ禅は、長年通ってくれている常連のお客様に支えられて40数年になりますが、しゃぶ禅を気に入って来てくれている方がほとんどです。それは価格が安いからとか、料理が美味しいからというだけではないと思っています。

目先の売り上げが下がると焦りますし、従業員の生活や給料、家賃、仕入れ業者への支払いもあるので、何かを変えたくなる気持ちも当然出てきます。それでも、しゃぶ禅として変えないことが一番大事なのかなと思っていて、結果としてそれがよかったのだと思います。

店舗ごとに色を出すブランド戦略とインバウンドの遅れ

── 同業のしゃぶしゃぶ専門店やチェーン店と比べて、御社の強み、独自性はどのようなところにあると考えていますか?

菅野 しゃぶしゃぶやすき焼きは、家庭でも再現できる料理です。スーパーでいいお肉やポン酢、胡麻だれも売っているので、1人2000円か3000円あれば、それなりのものを家庭でつくれると思います。それでもあえて2倍、3倍の1万円前後を払って、わざわざ足を運んでいただけるのは、味が美味しいのは当然として、接客やおもてなしの部分だと思っています。

そのために、しゃぶ禅というひとつのブランドイメージにまとめるのではなく、六本木店はこういうお店、渋谷店はこういうお店というように、店舗ごとに店長や調理長の色を出しています。

その地域に合った料理や接客のスタイル、価格、制服まで含めて、お店単位でひとつのブランドとしてつくることを大切にしています。私たちは、全国に何十店舗も展開するような大型チェーンではないため、各店舗の特色や独自性を出しやすいという利点があります。

── 店舗ごとに裁量を持たせる一方で、経営の観点からは管理が難しくなる面もあると思います。裁量と権限のバランスはどのように取っているのですか?

菅野 相談や報告をしてもらう場、環境はつくっており、うちはこうしたいという話を日々してもらっています。基本的によほど外れたことでなければ、だめだと言うことはまずありません。

とはいえ、しゃぶ禅としてのイメージは崩してほしくないので、試食をして味のチェックをしますし、安売りをするといったことも当然あまり考えていません。いろいろなアイデアが出てくる中でそれを全部オーケーしてしまうと、お店のオペレーションが複雑になり、注文したものが出てくるのが遅い、作業が雑だといったイメージにつながってしまい、本末転倒になります。

そこは実際のお店の運営もイメージしながら、相談を受けたうえで判断しています。古くからいる店長は、社長ならこう考えるだろうという関係を構築しているので、今はよほど変なことを言ってくることもなく、ある程度裁量を持たせてやってもらっています。

── インバウンド需要への対応については、どのように考えていますか?

菅野 コロナが明けて客足自体は戻ってきたのですが、団体のお客様や忘年会、送別会、歓迎会といった宴会の需要は少なくなってしまいました。鍋業態の店はみんなでわいわい鍋をつつくような大人数利用を前提にした店づくりが多いので、コロナ前後で同じ客数でも中身は大きく違います。

その分の売り上げを埋めるにはインバウンド需要が欠かせないのですが、これまでは日本食としての自然な人気にある程度頼ってきたところがあります。この数年、集客に力を入れている競合に非常に遅れを取ってしまっている実感があり、そこは私自身、反省している部分です。

今は集客専門の会社と組んで、減ってしまっている中国のお客様をどう取り込むかということと、欧米などそれ以外の国のお客様をもっと取り込むことの両方を、対策として仕掛けているところです。

── インバウンドの顧客と日本人の顧客とでは、求めるものが違うのではないかと思います。この点はどう考えていますか?

菅野 インバウンド専門でうまくいっているしゃぶしゃぶ、すき焼きのチェーン店の話もよく聞くのですが、正直なところ、日本料理ならではの楽しみ方を提案できていないお店も多いのではないかとも感じています。

日本料理は目で見て楽しんで、味はもちろん、おもてなしの心があってこそだと思います。注文したものをただ持っていくのではなく、しゃぶしゃぶの美味しい食べ方やすき焼きの美味しい作り方を、現場のスタッフが英語やジェスチャーを交えながら伝え、楽しんでもらうことを大切にしています。

もしかしたら二度と日本に来ないかもしれない方にとって、美味しかっただけでなく楽しかったと思ってもらえることが大事です。

日本人だから、外国人だからとスタイルを切り分けることは一切せず、同じスタイルで提供しています。国に帰ってから、しゃぶ禅を薦めておくよと言っていただけたり、接客スタッフを褒めていただけたりする場面は増えてきていると感じています。

エリア集中出店と「食べ放題」の再定義で目指す次の10年

── 今後の出店戦略について、どのように考えていますか?

菅野 しゃぶ禅を数十年続けさせてもらっていますが、しゃぶしゃぶ、すき焼きという業態の中でも知名度はまだまだ低いと思っています。焼肉で贅沢しようというときに思い浮かぶお店があるように、しゃぶしゃぶを食べたい、すき焼きを食べたいと思ったときに、まずしゃぶ禅が浮かぶという立ち位置を目指しています。

そのために、エリアを絞って集中的に出店し、来店数を伸ばすことで知名度も比例して上がると考えていますし、広告もあわせてうまく組み合わせたいと思っています。

ただ、人手不足を抱える中で無理に出店すると、私たちがこだわっているおもてなしの部分に影響が出てしまいます。悪評はあっという間に広まってしまうので、日々来ている出店案内も含めて、現状を吟味しながら慎重に考えたいと思っています。

── 次の10年、日本の食文化に対して果たしたい役割を教えてください。

菅野 ロボットやタッチパネルを使って効率よく運営する流れは、どこの業界でも強くなっていると思うのですが、あえてそこにおもてなしの心を感じてほしいと思っています。人口が減り、年配の方も増える中で、客数だけを伸ばすのは難しいので、今の客単価、もしくはそれ以上のものを目指して、質の良い料理とサービスを追求する方針は、この先10年、20年も変えるつもりはありません。

もうひとつは、食べ放題という言葉自体のイメージを変えたいと考えています。食べ放題というと、4人いたら4人とも同じプランを頼まなければいけない、といった当たり前とされてきたルールがあります。より自由に食べ放題を楽しんでもらえるような仕組みに変えていきたいです。例えば、1人は食べ放題を頼んで、もう1人は単品で注文するとか、Aという食べ放題とBという食べ放題を1つの鍋で一緒に楽しむといった、これまでタブーとされてきたことを崩したいと思っています。

安かろう悪かろうというイメージは、食べ放題や飲み放題という言葉に長年つきまとってきたものなので、そこを変えなければ成長はないと思っています。こうしたことを言い出せるのは、私のような立場の人間しかいないと思うので、率先して考えていきます。