「なぜ、これほど優秀な日本人が、英語ができないというだけで卑屈にならなければならないのか」──。
株式会社メタリアル代表取締役CEOの五石順一氏の出発点は、英会話業界の内側で感じたこの疑問にある。
かつて株式会社NOVAで経営企画室長を務め、同社の上場を導いた五石氏は、英語というハンディキャップそのものをなくすべきだと確信し、AI翻訳の世界に飛び込んだ。
2004年にロゼッタ(現メタリアル)を創業。法務・医薬・金融・機械など2,000もの専門分野に対応する独自のカスタマイズ戦略で、GoogleやMicrosoftとは真逆のポジションを築いてきた。
いま同社が到達しつつあるのが、修正率0.05%という「人手による修正が不要な翻訳」だ。さらに五石氏の視線は言語の壁だけにとどまらない。「人類をあらゆる制約から解放する」をミッションに掲げ、メタバース(XR)領域にも事業を広げている。
創業の数奇な経緯から、AIがもたらす産業翻訳の変革、そして「現実の定義」を書き換える未来像まで、五石氏に話を聞いた
企業サイト:https://www.metareal.jp/
※ITR「ITR Market View:対話型AI・機械学習プラットフォーム市場2026」翻訳市場:ベンダー別売上金額シェア(2025年度実績・2026年度予測)
目次
見知らぬ人物からの打診と独立への決断
── 独立のきっかけについて教えてください。
五石氏(以下、敬称略) まるでおとぎ話のような、不思議な出来事から始まりました。
当時、英会話学校だった株式会社NOVA(現・NOVAホールディングス株式会社)で経営企画室長をしていました。上場してひと段落した後、社内ベンチャーとして翻訳事業を行う株式会社GLOVAを立ち上げたのですが、とはいえ独立するつもりはありませんでした。
そんなある日、知人でもなければ、お会いしたことすらなかった方が訪ねてきて、「社長にならないか」と打診されたのです。
証券会社の方でしたが、あまりに突然で、最初はお断りしました。当時の私は、まだその会社に留まるつもりでしたし、他社へ移ることはまったく考えていませんでしたから。
しかし、当時の部下にその話をすると、意外な反応が返ってきたんです。彼女は「その話を断ってはいけない」と言うんです。他社の社長になるのではなく、こちらから独立の相談をすべきだ。
半信半疑でしたが、彼女の言葉に従って「独立の支援はできないか」と提案したところ、その方は快諾してくれ、資金調達からスポンサー探しまで、すべてをアレンジしてくれました。
その方は証券会社で企業の上場が担当だったんです。その方がきっかけで独立し、現在も当社の社外取締役を務めてくれています。
また、独立を勧めてくれた部下も、現在は執行役員として当社に在籍しています。本当に奇妙な縁ですが、これが私の独立の真相です。
── なぜAI翻訳という領域を選んだのでしょうか。
五石 明確な理由があります。前職の英会話業界では、ネイティブの講師が教え、日本人のビジネスマンが学ぶという構図でした。
裏方から見ていて感じたのは、
生徒である日本人は非常に真面目で、仕事においても優秀な方々ばかりだということです。
当時は「英語が話せなければ出世できない」と盛んに言われていた時代でした。経営企画として「国際化のために英語が必要だ」と発信する立場にありましたが、次第に疑問が芽生えたわけです。
なぜ、これほど立派で優秀な日本人が、英語ができないというだけで卑屈にならなければならないのか。英語が話せないことが、なぜこれほど大きなハンディキャップとして扱われるのか。
アメリカ人は日本語が話せなくても困りません。もしアメリカで「日本語ができなければ出世できない」というルールがあれば、経済は崩壊するはずです。
それと同じ理屈が、日本では当たり前のように通用していました。研究や開発、営業などで優れた能力を持つ人が、英語一つで正当な評価を受けられないのはおかしいと考えました。
そこから、私の理想は「英語を勉強しなければならない世界」をなくすことへと変わりました。
英語を学ばなくても、AIが翻訳することで対等に仕事ができる時代を創るべきだと確信したのです。
誰一人ついてこなかった創業期とリーマンショックの苦闘
── 創業から上場までの道のりで、大きな決断はありましたか。
五石 最初の大きな壁は、創業時に誰一人としてついてこなかったことです。以前の会社は、人間が翻訳を行うアウトソーシングの会社でした。
新しく立ち上げたロゼッタ(当時。現メタリアル)は、人間ではなくAIが翻訳を行うことを目的としていました。当時の社員から見れば、AI翻訳などおもちゃや遊びにしか見えなかったようです。
「そんなもので翻訳ができるわけがない」という冷たい目で見られましたね。自分たちが稼いだ利益を、社長が趣味のような事業で無駄遣いしていると思われていたのでしょう。
結局、文字通り一人もついてきませんでした。唯一、先ほどお話しした「予言」をした女性だけが、ロゼッタのスタートに参加してくれました。
上場したとき、多くの幹部や社員がストックオプションなどで利益を得ましたが、創業時のメンバーはいません。全員が新しいメンバーで、ゼロから作り上げた組織でした。
二番目の大きな決断、あるいは試練は、2008年のリーマンショックです。ご存じのとおり、世界中の経済が凍りつき、当社も倒産寸前の状態に追い込まれました。
社員のリストラも避けられず、精神的にも肉体的にも追い詰められました。あまりのストレスに食欲がなくなり、3年ほど肉が食べられなくなりました。
当時は開発資金のための上場というより、成長のためのマストなステップとして上場を見据えていました。苦しい時期を乗り越え、2015年にマザーズ上場を果たすことができました。
GAFAには不可能な「産業翻訳」への特化戦略
── Googleなどの巨大IT企業との差別化はどう考えましたか。
五石 同じ土俵で戦っても、GoogleやMicrosoftには勝てません。彼らは「ワンサイズ・フィッツ・オール」、つまり一つの仕組みを全員に使わせる戦略です。
私たちはその真逆を行きました。彼らが決して手を出さない、分野別の細かいカスタマイズに特化したのです。
法務、医薬、金融、機械など、2,000もの専門分野に対応しました。さらに、顧客ごとの完全カスタマイズも実施しています。汎用的な翻訳を避けることは、市場規模を限定することにつながります。
しかし、専門性の高い領域で勝つためには、この戦略しかありませんでした。
── AI翻訳の修正率はごくわずかだそうですが、人手によるチェックが不要になるということでしょうか。
五石 ええ。最新の「超高精度モード」では、修正率0.05%という数字を達成しました。この数字が意味するのは、「人手による修正がいらなくなる」ということです。現在のAI翻訳や生成AIは、一見するとそれらしい文章を出力します。
しかし、ハルシネーション(もっともらしい嘘)や誤訳が必ず混ざります。
そのため、専門業者がAIの出力をそのまま顧客に納品することは、まずありません。必ず人間がチェックし、修正を入れる工程が発生します。
私たちの目標は、このチェック工程をゼロにすることです。すでに、人間が確認すべき箇所を特定する技術を確立しています。
どこが間違っているかわからない状態では、結局すべてをチェックしなければなりません。 それでは、一から翻訳するのと手間があまり変わらないのです。
「ここだけチェックしてください」と特定できれば、作業時間は劇的に削減されます。そして数ヵ月以内には、修正そのものが不要なレベルまで到達する見込みです。
「修正不要」の衝撃。AI翻訳がもたらすバリューイノベーション
── 技術的なブレークスルーがあったのでしょうか。
五石 ええ。ざっくりと言えば、統計的な考え方の応用です。AIが一人であれば間違いも起こりますが、十人、百人と増やせば間違いは減ります。
しかし、より重要なのは「何をもって合格とするか」という価値基準のイノベーションです。
私はこれを「バリューイノベーション」と呼んでいます。
たとえば「1000円カット」は、洗髪や髭剃りを省き、短時間で髪を切ることに価値を置きました。セブン銀行は、融資をせずに出し入れの手数料だけに特化して利便性を提供しました。
これらは技術的な革新というより、価値観の転換です。私たちの翻訳も、プロの翻訳者に評価させることをあえてやめました。
プロの翻訳者は、人によって言うことがバラバラです。誰の意見を信じるべきか定まらないのが、この業界の常識でした。
そこで私たちは、「誰が見てもこれは間違いである」というものだけを排除する定義を作ったわけです。この基準の明確化こそが、大きなバリューを生んでいるのです。
生成AIの普及により、ニュアンスが伝わればよいという「ライトな層」はそちらへ流れています。
しかし、契約書やIR資料、製薬の申請書類などは、一箇所のミスも許されません。産業翻訳と呼ばれるこの領域では、間違いは致命傷になります。
私たちは、この「間違いが許されない領域」において、圧倒的な精度を提供します。
「現実は脳の信号」メタバースが解消する身体的制約
── 翻訳の先に、メタリアルが見据えている領域について聞かせてください。
五石 まずは翻訳の完全自動化、そしてその前後にある業務の自動化です。マニュアルの原本作成や、文書の整合性チェックなどを全自動化します。
しかし、AIが真の実力を発揮する戦場は、メタバース(XR)にあると考えています。
私は、将来的に「リアル」という概念は消えると信じています。かつてインターネットが登場したとき、それがビジネスになると信じる人は少数でした。AIも、人間に勝てるわけがないと言われていた時代があります。
それと同じように、私たちは将来、現実とは異なる「メタなリアル」の中に住むことになります。
これは「ポストスマホ」の姿です。
スマホという狭い画面を、歩くのも危険な状態で眺めている現代は、後世から見れば不便極まりない時代です。30年後には、誰もがXRの世界で生活しているはずです。
── 「リアルが消える」とは、具体的にどういう意味でしょうか。
五石 現実とは何か、という問いに行き着きます。私たちが現実だと思っているものは、実は脳に入ってくる信号にすぎません。夢を見ているとき、私たちはそれを現実だと信じて疑いません。外界に物質がなくても、脳に信号さえ送れば、それはその人にとっての現実なのです。
手紙がEメールになり、馬車が自動車になったように、物理的な実体は必要なくなります。 直接脳に信号を送れば、究極の効率化とエコが実現します。
この世界では、あらゆるハンディキャップが消滅します。足が不自由で歩けない人も、ベッドの上でアスリートと同じように動き回ることができます。
目が見えない、耳が聞こえないといった障害も、脳への直接的な信号伝達で解消されます。見た目も自由に選べるため、外見による差別もなくなります。
もともとAI翻訳は、言語というハンディキャップをなくすために始めました。その延長線上にあるのが、物理的、能力的、距離的な制約をすべて取り払うメタバースです。
人類をあらゆる制約から解放する。そのミッションの達成に向けて、私たちはこれからも挑戦を続けます。
- 氏名
- 五石順一(ごいし・じゅんいち)
- 社名
- 株式会社メタリアル
- 役職
- 代表取締役 CEO