衝撃的だった。
なぜ、この人はこんなにも堂々と権力に立ち向かうことができるのか。我々はダメなことを「ダメと言う」良心をどこに捨て去ってしまったのだろう。

社会人として、上司からの指示、組織の方針に従わなければならないのは言うまでもない。しかし、それが間違っていたなら、納得できなかったとしたら、どうだろうか。「それは間違っている」と一体どれほどの人が声をあげることができるだろうか。

それだけに、一人の個人が権力相手に「もの申す姿」は痛快だった。

なぜ、ダメなものを「ダメと言えない」のか?

「あったものをなかったことにはできない」
「『黒を白』と言わされる、いまの文科省は本当に気の毒」

権力に屈することなく、こんなことを言える人がいたとは驚きだ。5月25日、文科省の前川喜平前事務次官の記者会見をテレビで見て、私は言葉を失った。国会答弁でしどろもどろの受け答えしかできない大臣、森友学園を巡る官僚の国民を馬鹿にしたかのような詭弁を目の当たりにしていただけに、かえって前川氏の姿勢に衝撃を受けたのかも知れない。

ニッポン一億総活躍プラン、名目GDP600兆円の実現……首相官邸のWebサイトには耳あたりの良いキャッチフレーズが並び、日本の未来はバラ色に輝いているかのような錯覚を与える。

人は、バラ色の幻想をちらつかせられると、権力に楯突き、物申すよりも「権力に迎合する方が自分の利益になる」と考えてしまうのだろうか。いや、そもそも「権力を権力として意識する」ことすら、もはやなくなってしまったのかも知れない。

我々には憲法のもと「言論の自由」が保障されている。生まれながらに「言論の自由」が保障され、それが当たり前となっている現状では、その重要性を意識することはない。

しかし、実は無意識のうちに我々は「言論の自由」という権利の上にあぐらをかいているのではないか。官僚だけではない。我々だっていまや「あったものをなかったこと」にしたり、平然と「黒を白」と言ってのけているのではないだろうか。

かつて「NOと言える」機運が高まった時代があった

『「NO」と言える日本』をご存じだろうか。1989年、バブル経済の絶頂期に当時のソニー会長の盛田昭夫氏、石原慎太郎氏が共同執筆したエッセイだ。

当時、日米貿易摩擦が深刻化する中で、米国は様々な難題を日本に突きつけてきた。そんな状況下で米国流のビジネスのあり方を疑問視し、日本はビジネスから国際問題にいたるまで他国に依存しない態度を取るべきであるとの主張がつづられている。

当時、この本は各方面で話題となり、タイトルにあやかって「NOと言える○○」といったフレーズがもてはやされ、さまざまな場面で用いられた。NOと言えない日本人の間で「NOと言える」機運が高まった時代があったのだ。

「NOと言わなければならない相手」はそこにいる

だが、いまこうして振り返ってみると我々が「NOと言わなければならない相手」は、米国ではなく我々日本人自身ではないか、と気付かされる。

たとえば、金融資産の運用に目線を移してみよう。日本には本当の資産運用など存在しない。その実態は「悲惨運用」だ……そう揶揄されるほど資産運用の現場は悲惨である。

銀行は手数料稼ぎを目的に顧客に次から次へと投資信託を乗り替えさせようとする。販売サイドの都合で次から次へと投資信託が設定され、同じような投資信託が乱立している。気がつけば分配金が多い投資信託ばかりが売れ筋を占めている。必ずしも全面的に同意するものではないが、少なくともその責任の一端は、経営幹部に対して「NO」と言えない我々銀行員自身にあることも確かだ。

時代が求める『「NO」と言える銀行員』

最近になって、金融庁は「フィデューシャリー・デューティー」という新しい概念を導入した。直訳すると、「受託者の忠実義務」ということになる。当コラムでも度々取り上げているが、信認を受けた者、すなわち金融機関は「顧客のことを第一に考えなければならない」という意味だ。

これからの時代、フィデューシャリー・デューティーという概念を無視して金融商品を販売することはできなくなりつつある。実際、多くの金融機関がフィデューシャリー・デューティーを実践すべく動き出している。たとえば、販売担当者の評価基準を変えたり、販売目標を撤廃する金融機関まである。

しかし、本当にこうした取り組みが成功するのか私には半信半疑だ。「それでも収益をあげなければならない」という本音がさまざまなところに見え隠れしているからだ。

真の意味でフィデューシャリー・デューティーを実現するためには、現場で直接お客様に接する人間が「NO」と言える体制が必要ではないだろうか。

銀行が導入する新商品は本当に顧客のためになるのか。新たな営業方針・体制は本当に顧客のためになるのか。

何もかもが顧客本位では当然収益は圧迫されることになるので、どこかで折り合いをつけなければならない。だが、それでも、現場が一方的に押しつけられるのではなく、「NO」と言える体制を早急に構築する必要がある。現場の最前線の声を経営に反映できてこそのフィデューシャリー・デューティーのはずだ。

「そんな商品はダメです」
「そんな営業方針はお客様のためになりません」

何よりも、我々最前線の銀行員は、ダメなものを「ダメと言える」人間に変わらなければならない。それは時代の要請でもあるのだ。(或る銀行員)