帝国データバンクの調べによると、2019年中に業歴100年となる企業を含めた「老舗企業」は全国に3万3259社存在する。うち、2019年に「百年企業」入りしたのは1,685 社に上った。これらの企業が創業した1919年とはどういう年だったのだろうか。今回は、創業100年を迎える代表企業の歴史を振り返ってみよう。

創業100年を迎える代表企業、各社のあゆみ

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(画像=El Nariz/Shutterstock.com)

2019年に創業100年を迎えたのは、総合商社の住友商事、光学機器のオリンパス、ヤマト運輸の親会社ヤマトホールディングス(東京都)、セラミックメーカーの日本碍子、建設機械のタダノなど。
住友商事は、1919年(大正8年)に住友本社が中心となり設立された大阪北港株式会社が母体となっている。大阪北港地帯の造成ならびに隣接地域の開発といった不動産事業を手掛けていた。1944年には、住友ビルディングを合併し住友土地工務株式会社と改称。さらに、1945年11月には日本建設産業株式会社と改称し、商事部門に乗り出した。その背景には、敗戦で財閥解体は必至と考えた住友本社総理事の古田俊之助の英断があった。以降、住友グループならびに大手生産会社の商品取り扱いといった商社機能に重点を置いて今に至る。
オリンパスの創業者、山下 長(やましたたけし)は、顕微鏡の国産化を目指して株式会社高千穂製作所を創業。オリンパスの前身となった。山下は、創業からわずか半年で初の国産顕微鏡「旭号」を製造し、悲願を叶える。さらに、創業から30年後には世界で初めて胃カメラの実用化にも成功した。
日本碍子は1919年、日本の国家発展を進める中で、高電圧に耐える特別高圧がいしの国産化を進めるべく、森村グループの創始者らによって設立された日本陶器(現ノリタケカンパニーリミテド)のがいし部門を分離して創業した。日本屈指の高級食器メーカーであるノリタケと日本碍子がもともとは同じ企業グループだったとは、意外に感じられるかもしれない。また実は、同じ日本陶器の衛生陶器部門を分離して設立されたのが東洋陶器株式会社(現在、TOTO株式会社)であり、これら3社は兄弟ともいえる「森村グループの一員」なのだ。

1919年の出来事:ヴェルサイユ条約締結、三・一独立運動など

では、これらの企業が創業した2019年(大正8年)とはどういった年だったのか。
2019年1月1日には、白ロシア・ソビエト社会主義共和国が樹立した。
また同月、フランス・パリにあるヴェルサイユ宮殿「鏡の間」で、第一次世界大戦における連合国とドイツの間にヴェルサイユ条約が締結された。日本はこの条約により、山東半島の旧ドイツ権益を継承し、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島での委任統治権を得ている。
3月には朝鮮半島で日本からの独立運動「三・一独立運動」が起き、5月には中華民国でパリ講和会議のベルサイユ条約の結果に不満を抱く民衆による「五・四運動」が起き、反英主義は中国全土に広まった。
日本国内では、1917年頃から大正天皇の病状が悪化。1919年ごろには食事を摂ったり勅語を音読したりすることもできないほど悪化していたといわれる。こうした中、1919年に皇太子の裕仁親王(のちの昭和天皇)が18歳を迎え、成人した。裕仁親王は20歳となった1921年に病身の大正天皇に代わり摂政に就任している。

時代の荒波を乗り越えて存続する百年企業に学ぶ

1919年は、ヴェルサイユ条約の締結による第一次世界大戦の後処理が完了した一方で、朝鮮半島や中国で独立の民衆の反発が高まるなど、第二次世界大戦の勃発に向けた火種がくすぶる時代だった。
今年創業100周年を迎える企業はこうした時代に創業され、戦争や焼け野原からの復興、高度経済成長期、バブル経済、平成不況、さらに自然災害などを乗り越えて、企業活動を存続してきた。艱難辛苦に耐えて老舗となる企業には、確固たる企業理念とそれを受け継ぐ後継者の育成、長期的視野に立ったビジネスマインドと時代を先取りする先進性がある。
平成も終わりを迎える今年、新たな時代の扉を開けるべく、百年企業の来し方をひもといてみてはいかがだろうか。(提供:百計ONLINE


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