(本記事は、齋藤 孝氏の著書『100年後まで残したい日本人のすごい名言』=アスコム出版、2019年7月26日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)

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いじわるされるたびにしんせつにしてやったらどうだろう。ーー藤子・F・不二雄

100年後まで残したい日本人のすごい名言,齋藤孝
(画像=fizkes/Shutterstock.com)

心優しいいじめられっ子、のび太のモデルは藤子・F・不二雄自身であるようです。

子どものころは一言で言うと、のび太の生活でした。どの教室にもボスがいて、ドンケツがいる。僕はそのドンケツ。(中略)
ドラえもんみたいにイジメっ子をギャフンと言わせるものが、ポケットから出てきたらいいなと思ってましたけどね。
(『藤子・F・不二雄の発想術』ドラえもんルーム・編 小学館新書)

のび太くんが、ジャイアンにいじめられてドラえもんに助けを求めるのは定番の流れですが、あるときドラえもんはこう言います。

「いじわるされるたびに しんせつにしてやったらどうだろう。」

のび太くんは「そんなばかな。」と驚きますが、ドラえもんは、仕返ししてもまた仕返しされるだけできりがないから、逆に親切にしたほうが心が通じて意地悪されなくなると考えたのです。そこでのび太くんは、歌うのが好きなジャイアンのために、レコードを作ることができる道具を貸してあげます。ジャイアン大感激。涙を流して「今からおまえは、おれの親友だ! 心の友だ!」と言って、いじめるのをやめます。

「感じの悪い人」に出会ったら、人付き合いを学ぶチャンス

暴力に対して暴力で返す、仕返しするというのではなく、逆に優しくすると相手は「あれっ」となる。風向きが変わって関係も変化していくというのは確かにあります。

たとえば職場でも、嫌みを言いがちな人など感じの悪い人の一人や2人はいるものです。嫌なことを言われて、「悔しい~! そっちがそうなら、こっちだって!」と感じ悪く振る舞うのでは、関係は固定したままです。それなら、「いじわるされるたびに、しんせつにしてやったらどうだろう」の精神で、「素敵なお洋服ですね」と褒めてみたり、缶コーヒーやお菓子を持っていってみる。その人が得意なことを教えてもらう、アドバイスをもらうなんていうのもいいですね。誰しも、親切にしてくれる人、自分を頼って相談に来る人のことを悪くは思えないものです。だから、感じの悪い人がいたら、人付き合いのコツを学ぶチャンスだと思って積極的に関わってみてほしいと思います。

私も若い頃にはよく失敗をしました。感じの悪い先生に対し、感じ悪く振る舞ってしまいました。その結果、最悪な状態になりました。こういった経験から学び、いまでは私から見て「感じの悪い人」はほぼいなくなりました。周囲の人に「あの人は扱いづらい」「難しい人」と評されている人も、私にとってはそうでもない、むしろ仲がいいということが増えていったのです。そのポイントは、「相手が感じが悪いならこっちだって」というような考えをやめること。そして、相手が楽しくなったり嬉しくなったりする話を、雑談の中ですることです。雑談力は人間関係を良くし、意地悪を止める力にもなりますので、磨くことをおすすめします。

キング牧師、ガンジー、ドラえもんの共通性?

親切や雑談が通じず、かなり手ごわい相手である場合、そんな甘いことでうまくいくはずがないと思う人もいるかもしれません。

新約聖書に「右の頰を打たれたら左の頰を差し出しなさい」という言葉があるのはご存じでしょう。一方で、ハンムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」という考え方もあります。右の頰を打たれたのなら、相手の右の頰を打っておあいこにしたほうがいいのではないか、そのほうが相手の暴力はエスカレートしないのではないかというのも妥当な考え方だと思います。その場合、右の頰を打たれてさらに左の頰を差し出すというのは腑に落ちません。

米国で公民権運動のリーダーとなったキング牧師も、かつてそう考えていたことがありました。黒人が差別されていた当時、キング牧師はもちろんキリスト教を信じてはいるけれども、白人に右の頰を打たれている黒人が左の頰を差し出したって何も解決しないのではないかと思ったのです。もっともな疑問です。その疑問を解決してくれたのが、ガンジーの思想でした。

「インド独立の父」と呼ばれるガンジーは、イギリス人によるインド人差別に対して非暴力運動を起こし、平和的な手段でインドを独立へ導きました。この事実を知って、キング牧師は「これだ!」と膝を打ちます。そして同じように、暴力に訴えるのではなく平和的に黒人が公民権を獲得する流れをつくっていったのです。具体的には、バスのボイコットが始まりでした。黒人がバスの座席で差別されていたのに抗議して、団結してバスに乗らないというボイコット運動を展開していきます。そして1963年ワシントン大行進での有名なスピーチ「I have a dream」(私には夢がある)は、世界中の人々の共感を呼びました。

キング牧師は、非暴力抵抗の根底にあるのは、人間に対する愛だと言っています。やられるままにしておくわけではなく、愛をもって抵抗し、相手に理解してもらえるよう行動するのです。

実際には、相手によって対処の仕方もさまざまだと思います。単純に「親切にする」のがいいわけではない場合もあるでしょう。しかし、憎しみをもって応じれば、さらに大きな憎しみ、争いを生むのが世の常です。

「いじわるされるたびに、しんせつにしてやったらどうだろう」は、意地悪にも愛をもって応じるという発想に気づかせてくれます。

『ドラえもん』の名言をもう一つ。

名作と評判の高い25巻の「のび太の結婚前夜」の中で、しずかちゃんが、のび太くんと結婚式を挙げる前夜に「やっていけるか不安」とお父さんに話をするシーンがあります。しずかちゃんのお父さんは、「のび太くんを選んだ君の判断は正しい」として、こう言うのです。「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね」。

のび太くんは勉強もスポーツもできず、いじめられっ子という、一般的なヒーローとはかなり違った主人公です。しかしそんなのび太くんが主人公の漫画が、国民的な人気を誇り、愛され続ける秘密はこういうところにもあるのかもしれません。

人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なりーー武田信玄

「企業は人なり」とよく言われます。どんな商品・サービスも人が生み出しているものであり、優れたシステムや制度、ビジネスモデルがあっても人材がなければ成り立ちません。企業にとっての最大の資産は人なのです。

これに通じるのが、武田信玄の「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり」です。どんなに立派な城、石垣、堀があっても人がいなければ役に立たない。逆に、信頼できる人たちが集まれば、強固な城、石垣、堀に匹敵する。人に情をかけ、大切にすれば味方になるが、恨みの感情を持てば敵になるということです。

この言葉は信玄の遺言とされ、『甲陽軍鑑』に書かれています。『甲陽軍鑑』とは、信玄とその子である勝頼の時代の、武田家の戦略や戦術を著した軍学書です。後世の創作の部分も多いようですが、信玄が人を大事にしていたことは間違いないでしょう。「甲斐の虎」と恐れられ、戦国最強と言われた武田軍団を率いていた信玄ですが、家臣たちからは「お館やかた様(お屋形様)」と呼ばれ、慕われていました。優れたマネジメント力もあり、今の時代なら、偉大な経営者になったのではないでしょうか。

戦国武将といえば、織田信長の安土城のように高い石垣に守られた城にいるところを思い浮かべますが、信玄は城らしい城を持たず、簡素な館に住んでいました。堅牢な城を築かなかったのは、建物よりも人を中心に考えていたことの表れでしょう。

確かに、立派な城があっても、それを守る人がいなければあっという間に陥落してしまいます。信玄には、情けをかけて心からの味方になってくれた家臣たちがいます。彼らが守ってくれるから大丈夫という気持ちだったに違いありません。

信玄に学ぶ実力主義と適材適所

信玄は家柄や身分にかかわらず、有能な人材を積極的に登用していたことでも有名です。農民出身の者、素性が不明の者、浪人していた者なども実力主義で重用しました。

一方で、「適材適所」にも長けていました。

有名なエピソードの一つに、臆病者の家臣の話があります。岩間大蔵左衛門は大変な臆病者で戦を怖がり、無理に引きずり出せば失神してしまうほど。重臣たちは呆れて、「お館様、あやつは使い物になりません。クビにしましょう」と言います。ところが信玄は、重要な役につけることにします。細かい気配りのできる性格をうまく活用し、戦で館を留守にする間、館を守る役と「かくし目付」役(ひそかに館内の人の行動を監視し、噂や情報を報告する役)を命じたのです。岩間大蔵左衛門は館の清掃や修理をするほか、家中の噂をよく聞いて報告することで、立派に活躍する家臣に成長しました。

「役に立たない」と切り捨てることは簡単です。しかし、信玄は情をもって人に接しました。だからこそ、家臣たちは「お館様のために」と力を尽くす、最強軍団になっていったのです。

「仇」を「情」に転ずれば、味方が増える

その反対は「仇」です。恨みや復讐心のようなものを持っていると、それが敵をつくってしまう。「あいつがこの間こんな失敗をしたから、とんだ恥をかかされた。許せない」などと思っていると、その感情が伝わり、相手は萎縮したり不満を持ったりします。

それよりも、「こんな失敗があったけれども、次はやり方を変えてみようか」「向いていないようだったら、もっと強みが活かせる仕事を頑張ってもらおうか」と情けをかければ、味方が増えていきます。

実力主義、成果主義自体はいいのですが、「情」の部分がないとチームとして弱いということがあります。自分の成果を上げることに気を取られ、チームのために頑張る気持ちが薄れてしまう。完全にドライな組織は、個々の能力を超えたパワーを出すことは難しいでしょう。

企業だけでなく、チームスポーツもそうです。あるスポーツの監督が、選手の子どもが病気だと知って「じゃあ明日の練習は来なくていいから、家族に会ってこい」と言ったら、その選手は感激して「監督のためにもっと頑張りたい」という気持ちになったという話もあります。

誰しも、自分の評価、成果のためだけに頑張るのには限界があります。チームのためにやリーダーのためになど、人のために頑張る気持ちになったとき、実力以上と言えるほどの力が出るのではないでしょうか。

「情」は数字で測れるものではないし、こうしたつながりを煩わしく感じる人もいるかもしれません。しかし、「情けは味方、仇は敵なり」を心に留め置いて悪いことはないでしょう。

私はビートたけしさんとテレビで何年もご一緒させていただいているので、雑談することがよくあります。たけしさんが事務所をやめて独立される前の話ですが、私が「たけしさんは軍団の方に本当に優しいですね。ご馳走したり世話を焼いてあげたりしていて、軍団の方は助かるでしょうね」と言ったら、たけしさんは「いや、俺が軍団を助けているんじゃなくて、軍団が俺を助けてくれているんだ。だから当たり前だよ」とおっしゃっていました。軍団の誰かの近親の方が亡くなったとき、たけしさんが行って弔い客に頭を下げることもあったとか。自分が軍団を養っているのではなくて、軍団が自分を支えてくれていると心から思っていたようです。まさに、「軍団は城、軍団は石垣、軍団は堀、情けは味方、仇は敵なり」を地でいっていたわけです。

ときどき上司の中には、部下の成功を自分のこととし、逆に自分のミスは部下のせいにするような人もいるようです。そういう人には「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり」を何度も唱えてもらいたい。部下たちがいなければ裸の自分がいるだけです。なんと心もとないことでしょうか。この部下たちがいるから、自分はこうやっていられるのだと再認識しなければなりません。そして、情の部分を大事にし、恨みのような気持ちが出てきたら、「この心が敵を生むのだ」と戒めるのです。

「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり」は五・七・五・七・七でリズムも良く、言ってみたくなる感じもあります。信玄気分になって、ぜひかっこよく声に出して言ってみてください。

吞気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。ーー夏目漱石

言わずと知れた名作『吾輩は猫である』の書き出しは、「吾輩は猫である。名前はまだない」。日本人なら誰でも暗唱できる一文でしょう。

日本を代表する文豪の一人、夏目漱石のデビュー作である本作は、中学校の英語教師である珍野苦沙弥のもとへやってきた猫を語り手に、珍野家とその周辺の人たちの人間模様を風刺的に描いた作品です。俳句雑誌『ホトトギス』に発表され、当初短編読み切りだった第1話が好評だったため、断続的に書き継がれて全11話となりました。

苦沙弥先生のもとへ集うのは、美学者の迷亭、理学者の寒月、哲学者の独仙、詩人の東風といった一癖ある知識人たち。文明批評を交えながら、軽妙洒脱にユーモラスに語られるのは結婚観、女性観、権力批判などのとりとめもない話、それから小事件の数々です。筋らしい筋はありませんが︑ちりばめられた説話は落語のように面白い。

漱石は子どもの頃から落語や講談に親しんでおり、「話芸」をワザとして身につけていました。さらには漢学と英文学の素養があり、それらをベースに文化的な感性をいかんなく発揮しているのです。

さて、この長編小説の最後はどうなるのかご存じでしょうか。

最終回の第11話は、迷亭と独仙が苦沙弥先生の家で囲碁をしているところから始まります。寒月、東風も一緒によもやま話が続きます。いつものようにみんな言いたい放題。そして日は暮れ、「さすが吞気の連中も少しく興が尽きたとみえて」、一人また一人と帰っていきます。すっかり寂しくなった座敷で、吾輩は「吞気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。」と感想を漏らすのです。

これまで人間をばかにしたように見ていた吾輩が、人間の悲哀や人生のはかなさを悟ったようになります。そして最後は、人間のマネをしてビールを飲み、酔っ払って水瓶に落ちて死んでしまうのでした。

妬み心に効く「正負の法則」思考

悩みなんてなさそうで吞気に見える人も、それぞれに何かを抱えているものです。「自分はこんなに苦労しているのに、あの人は苦労も知らず幸せそうにしていてムカつく」と思うことがあっても、内情はわかりません。人に言えないつらさを抱えているかもしれません。

美輪明宏さんの『ああ正負の法則』(PARCO出版)という本があります。私はこの本のタイトルも名言だなぁと思っているのですが、世の中の出来事にはすべて「正負の法則」があり、どの人もプラスとマイナスがだいたい同じになっているということです。

マイナスばかりの人はいないし、プラスだけの人もいない。幸福のスケールが大きい人は、それに対応する大きなマイナスを抱えています。

遊郭のすぐ近くで、料亭、金融、質屋を営む家に育った美輪さんは、さまざまな人たちの人生の裏街道とでも言えるような面を見てきました。

健康で美しいけれど、家が貧しく女郎として売られる娘たち。お金持ちだけれど、病気の家族を抱えている人たち。冷静に観察するうち、「正負の法則」が漠然とながらわかってきたといいます。

歴史上の偉人や、芸能人、有名人を見ても、大きな正があれば大きな負もあるというのは納得できるのではないでしょうか。ですから、むやみに人をうらやんだり、妬だりする必要はないのです。

自分自身のことにしても、悪いことは続かないと考えることができます。逆に、いいことばかりも続きません。だから、意識して「負の先払いをする」のが、昔から考えられている知恵です。プラスを自分のところに貯めこまず、人に施しをする。人のためになることをする。あえて損をとって、バランスをとるようにするのです。

相手の心の底を思えば、人付き合いの悩みは軽くなる

表面だけで人を見ないことが大事です。「吞気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」は、そういうものの見方に気づかせてくれる名言です。

相手を妬んだり、翻って卑屈になったりすると人間関係は改善せず、悩みのもととなります。「あの人も本当はいろいろあるのかもなぁ」「つらいことを乗り越えてきたのかもなぁ」と思えば、相手に対する見方が変わり、人付き合いの悩みも軽くなります。そして、見方が変わることで関係性も変わっていくはずです。

また、この名言は、誰しも悲しみ、つらさを抱えているけれども、呑気に見えるように過ごしているのだと読み替えることもできます。呑気に見せて、周囲を和ませるのです。ピリピリしている人の周りにいると、萎縮したり不安になったりで、本来の力が出しにくくなります。一方、吞気にしていれば、周囲のエネルギーを奪うことがありません。

人に苦労を悟らせず、「いつも吞気でいいなぁ」と思われる人はたいしたものです。「いつも大変そう」と思われるより、そういう人になりたいですね。これは、「負の先払い」の考え方にも通じます。「吞気に見せて周囲を和ませる」という人のためになることをして、大きなマイナスを防ぎ、バランスをとるのです。

100年後まで残したい日本人のすごい名言,齋藤孝
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齋藤 孝
1960年静岡生まれ。明治大学文学部教授。東京大学法学部卒。同大学院教育学研究科博士課程を経て現職。『身体感覚を取り戻す』(NHK出版)で新潮学芸賞受賞。『声に出して読みたい日本語』(毎日出版文化賞特別賞、2002年新語・流行語大賞ベスト10、草思社)がシリーズ260万部のベストセラーになり日本語ブームをつくった。

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