うまくいかないリーダーは中心にいたがる
天才の生産性を阻む最大の原因はただひとつ、リーダーであるあなただ。天才を率いる人々はたいてい、自分が天才の邪魔をしていると気づいてもいない。一方で自分自身の生産性については、実際よりもかなり高く評価している。そのほうがリーダーとして自信を持てるからだ。
リーダーとしての自分を想像するとき、かつての私は、大きなターミナル駅の駅長を思い浮かべていた。やってくる列車を次々にさばいて線路に引き入れ、定刻どおりに発車させる。自分が線路の真ん中に立って指示を出そうとしていると気づくまで、何年もかかった。
私はすべての中心にいたがった。線路をあっちへこっちへと走り、腕を振り回し、轟音を立てて行き交う列車に聞こえるように大声を張り上げ、ときには轢かれないように飛びのいたりする。
この手のリーダーシップは、どうやってもうまくいかない。天才を別の進路に引き込めても、ルートを無理に変えられた天才の思考プロセスは脱線する。
そうなると天才はやる気をなくして、独創性を発揮しなくなる。あるいは指示をしそこなえば、猛スピードで突っ込んでくる彼らの思考にのみ込まれて、チームの目標達成どころではなくなるかもしれない。指示が多すぎても少なすぎても、天才の生産性には有害なのである。
天才を邪魔するものを取り除く
アインシュタインがアメリカに来る日が近づくと、フレクスナーはしだいに不安になった。渡米前の予定はほぼ終えていたが、最後の滞在先であるオックスフォード大学の教授陣がアインシュタインを引きとめにかかっていたのだ。
さらに、ヨーロッパにいたアインシュタインはドイツの反ユダヤ主義を公然と批判していた。その報復として、ナチスは彼の自宅を接収し、ドイツの物理学者は相対性理論の反対運動を始めた。ナチスがアインシュタインの暗殺を企てているとの噂もドイツから流れてきた。イギリスでの滞在中、アインシュタインには覆面のボディガードがついていた。
アインシュタインの命が狙われていると思うと、フレクスナーは心配でならなかった。おまけに引き抜きの話まであったのだから、フレクスナーは気が気でなかったことだろう。
理事長のルイス・バンバーガーからは、アインシュタインの招聘合戦に関する新聞記事の切り抜きが届き始めた。アインシュタインの高まる名声が、学者の聖域となるべき研究所を政治の舞台にしてしまうこともフレクスナーは恐れていた。
アインシュタインを乗せた船が到着することになっていた埠頭では、ニューヨーク市長が盛大な式典を計画していた。出迎えのマーチングバンドまで駆り出された。選挙の年だったので、マスコミへのアピールに必死だったのだろう。
市長とマーチングバンド、記者、そして野次馬の山が、アインシュタインの下船を今か今かと待った。だが最後の乗客が降りても、アインシュタインは現れなかった。
すべてはフレクスナーの計らいだった。入港した外洋船にタグボートで近づき、アインシュタインとその妻をこっそりニューヨークに上陸させていたのだ。
船が埠頭に着くころには、アインシュタインはとっくにプリンストンへ移動し、カフェでアイスクリームを食べながら新しい環境を観察していた。
天才の発明を妨げるあらゆる障害を取り除く。それがフレクスナーの意図したことだった。
ニューヨーク・タイムズ紙が高等研究所の設立について初めて報じたときも、自分のことはあまり書くなと念押ししたほどだ。
フレクスナーは、派手なメディア向けイベントで新製品を披露したスティーブ・ジョブズとは違う。アインシュタインや高等研究所が話題の中心になることを望み、自分は裏方にまわって、部下の集中を邪魔するものを取り除くのが役目だと考えた。まさに天才を率いるリーダーのよきロールモデルだった。
しかし、そんな彼も、アインシュタインの環境を操作しすぎて信頼を失いかけたことがある。あの卓越した新人にふさわしい環境を築けるのは自分しかいないと考え、アインシュタイン宛ての招待を片っ端から断りだした。社交下手なアインシュタインに代わって予定を管理しようとしたのだ。果てはホワイトハウスでのルーズベルト大統領との食事の招待まで断り、それを本人に伝えなかった。
上司のしていることに気づいたアインシュタインは、血相を変えて怒った。研究所の理事会に乗り込み、フレクスナーが自分のプライバシーに「首を突っ込む」のをやめなければここを去ると脅した。
それからのフレクスナーは干渉をやめ、アインシュタインとの関係の修復に努めた。彼も天才の邪魔をしたせいで、偉大な才能を失いそうになったのである。
新しい手法を支持する
研究に関しては、フレクスナーは既存の問題に新しい手法を持ち込むのを恐れず支持した。未知の分野、とくに問いさえ立てられていない分野への挑戦を勧めた。地下室で初期のコンピュータを作ったジョン・フォン・ノイマンの邪魔をしなかったように、ほかの科学者にも好奇心に従うことを許した。
高等研究所の経済学者ウィンフィールド・リーフラーが、統計学を経済データに当てはめて将来の動向を予測しようとしたとき、ほかの経済学者は鼻でわらった。当時の経済学は哲学や心理学に近く、個人の行動原理を基礎にしていたからだ。
だがリーフラーは、わずかな個人データの合計よりも統計のほうが正確であること、一見意味のなさそうな動向が統計を使って細かく分析すると重要な意味を持ちうることに気づいた。
連邦政府はリーフラーの統計技術を広く使って、第二次大戦中の戦費をまかなった。戦争の勝利に寄与したこの技術は、のちに社会保障費の予測にも使われた。
フレクスナーはリーフラーの努力を支えた。この手法はいまや経済分析のスタンダードになっている。フレクスナーは、好奇心と学際的な協調の文化も育てた。新しいことに挑もうとしていたり、新たなアイデアに夢中になったりしている研究者がいれば、邪魔をせずに見守った。
フレクスナーは、こうした科学者の邪魔をしなかっただけではない。分野の垣根を越えた交流を積極的に勧め、革新的な手法を後押しした。それこそが、彼の理想とする高等研究所の姿だったのだ。
権限と責任をセットにする
新しい手法を支持する以外にも、天才を率いるリーダーにはすべきことがある。天才の邪魔をしないために、リーダーはプロジェクトの権限を委譲する必要があるのだ。権限を与えずに責任だけを問うことがあってはならない。
私の経験では、これは天才を率いる人々が犯しがちなミスだ。気をつけているときでさえ、われわれリーダーはそうしてしまう。リーダーとは権力を抱え込むもので、しかもたいがいそのことに無自覚なのである。
権限の委譲は、どんなプロジェクトの成功にも欠かせない。管理職五〇〇人を対象にしたある調査から、権限の欠如はプロジェクトを失敗させる主要因のひとつだとわかった。
天才にプロジェクトの権限を与えるときは、権限と責任をセットにして与えよう。天才が思いきり仕事に打ち込むには、プロジェクトを自分のものだと感じられなければならない。自分の意思で方向性を変えたり、リソースの配分を判断できたりしなければならない。
これは裏を返せば、天才にプロジェクトの目標に対して責任を持たせるということでもある。
従業員に業務の権限を委ねたことでよく知られているのは、物流サービスのフェデックスだ。この会社では、荷物の最適な配達ルートをドライバー自身に選ばせている。
ドライバーがルートを自由に選べることで、配達地域のナビの精度が上がり、配達にかかる時間が短縮される。その結果、従業員の仕事の満足度や定着率が大きく向上したのだ。
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