この記事は2023年6月22日に「テレ東BIZ」で公開された「不屈の職人集団~新時代ものづくりの全貌:読んで分かる「カンブリア宮殿」」を一部編集し、転載したものです。
目次
ホンダ発!次世代の「乗り物」~独自技術を支える下町の町工場
7月から免許なしで公道を走行できるようになる電動モビリティ。静岡・伊豆市の「虹の郷」で、発売を間近に控えた新商品「ストリーモ」の試乗会が開かれていた。
独自技術でバランスを取るのをアシストしてくれる。従来の製品とは違い、車体の前の部分が揺れ動く構造になっているため、バランスがとりやすいのだという。
▽新商品「ストリーモ」の試乗会
開発したのは社員7人のスタートアップで、日々改良を繰り返している。「ストリーモ」社長の森庸太朗さんは元「ホンダ」のエンジニア。もともとはホンダの社内ベンチャーとしてスタートしたが、2021年、ホンダの出資を受けて独立した。
「使う人が自分に合ったものを選ぶ、選択肢をどんどん増やしていくことが大事だと思います。自転車、オートバイ、ストリーモ。1つの乗り物のカテゴリーとして定着することを目指していきたいですね」(森さん)
ものづくりの町、東京・墨田区。森さんたちが浜野製作所を訪ねた。「ストリーモ」の製品化に力を貸してもらっているという。
現れたのは真っ赤なジャンパーの男たち。浜野製作所の社員は約50人。薄い金属板に細かい加工をする精密板金を得意とし、医療機器などの部品を作っている。
森さんは改良が必要になるたびにここに持ち込み、加工をしてもらっている。魅力は何と言ってもそのスピード。この日も持ち込んでから5分とかからず作業が始まる。公道を走るのに必要なランプを付ける「穴」を開けてもらった。
ホンダから独立したものの、試作機を作る段階で行き詰まったという森さん。金属やプラスチックの部品、電気系の装置など、どこからどう調達したらいいか分からなかった。
「図面は描けるのですが、部品を製造・手配するのに苦労していました。その時にご相談したのが『浜野製作所』さんです。一括で必要な部品を手配・加工していただいて、ようやく我々の事業が始まった」(森さん)
部品の製造や調達、組み立てまで浜野製作所が対応してくれたことで、開発は円滑に進んだ。資金に余裕のないスタートアップにとって、スピード感は何より大事なのだ。
「高速で試作して『トライ&エラー』を繰り返す。ものづくりの支援というのが一番の役割だと思うので」(浜野製作所・小林亮)
スタートアップの強い味方~「困りごと」を次々と解決!
浜野製作所には日々、さまざまなスタートアップが相談に訪れる。
この日やってきたのは、中国出身の研究者で「バイオニックエム」社長の孫小軍さん。東京大学の支援で、太ももの動きを感知して実際の足に近い動きをする義足を開発している。
▽太ももの動きを感知して実際の足に近い動きをする義足
幼い頃に右足を失った孫さんは、「より自由に歩けるように」とこの義足を開発することにしたが、ある課題に直面していた。搭載しているモーターから発生する「音」をどうにかしたいという。さらに重さも「3キロのものを2キロまでは落としたい」と言う。
浜野製作所はただ製品を作るだけではなく、ものづくりの過程で発生するさまざまな課題の相談にも、親身に応じていく。
「我々ベンチャー企業はあまり相手にされないんですよ。その中で浜野製作所さんはベンチャーに対して手厚く支援してくれる」(孫さん)
浜野製作所社長・浜野慶一(60)は「できるかできないか、自信はやる前はいつもないんですけど、こういう機会をいただけるのは、僕らの成長にもなるから」と言う。
もともと下請けとして部品の量産を行っていた浜野。しかし、東京は土地や人件費が高く、海外の工場に仕事を奪われていったという。
「逆転の発想で、枠組みを変える、仕組みを変える。目線や視野を変えてみることによって、最大のメリットを生むものづくりがここから発信できるのではないか。“東京ならでは”のものづくりをやっていこう、と」(浜野)
そこで浜野が考えたのが、東京に多く集まるスタートアップを支援することだった。その受け皿として2014年、工場の一角に作ったのが「ガレージスミダ」だ。
すると狙い通り、多くの若者がアイデアを形にしたいと訪れるようになる。まさにものづくりの“駆け込み寺”となった。簡単なものならすぐ作れるように工作機械をそろえ、ここの住所で、法人登記もできるようにした。
浜野製作所はスタートアップのさまざまなアイデアを形にしていった。そのためになくてはならない存在が、同じような町工場だ。浜野にはできない仕事をその道のプロに託している。浜野製作所がハブとなり、「町工場連合」で協力しあってものづくりを行うのだ。
「特殊な加工をやっていて、他にやっているところがあまりないんです。鉄を800℃まで熱してプレス機械で加工する」(「菱沢ネジ工業」社長・江澤利通さん)
「うちにはない技術なんです。そういう技術を持っている会社さんと手を組んで、お客さんの困りごとを解決していく」(浜野製作所・大熊光寛)
いまや協力するのは墨田区内だけで約120社。全国では約600社を超えるという。
浜野製作所はさまざまな製品が世に出るのを支えてきた。例えば最近、空港内で使われ始めた次世代型の電動車いす。大きな段差も難なく越え、小回りが効くのが特徴だ。秘密は複雑な構造をした車輪にある。浜野製作所の力で完成に漕ぎ着けた。
あるいは2020年、コロナ禍が始まった直後に企業や商業施設に設置された移動式の手洗い機。浜野製作所が設計から関わったことで迅速に製品化できたという。
この日、持ち込まれたのは段ボール。段ボールで家具を作っているスタートアップ「カミカグ」社長の和田亮佑さんが、量産化に向け、ネジなどの部品をどうしたらいいか、相談に来た。
▽「浜野さんに相談すれば何とかなるだろう、と」と語る和田さん
「コネクションや知見を含めて、いろいろ持っているということが非常に大きかった。ちょっと畑違いかなと思いつつ、浜野さんに相談すれば何とかなるだろう、と」(和田さん)
一方、町中華の「生駒軒」が直してもらったのはガス台の「五徳」。「溶接がすり減って落っこちちゃった」と言う。40年前に作った特注品。どこに相談したらいいか分からず、近所の浜野製作所に持ち込んだところ、見事復活した。
「持っていった日にその場で直してくれた。もう壊れることはないよね。おれが生きているうちは(笑)」(店主・北澤公夫さん)
新時代の町工場~ピンチを救った「下町の人情」
浜野製作所は2017年、新しく本社ビルを建設した。ガレージスミダは現在、その2階部分にある。人々が集えるようにと、カフェのような内装になっている。
▽「ガレージスミダ」植物が人々の行動にどう影響するのかを調べている
そこには地域の人の姿も。ここでレタスを栽培していて、時折、収穫を楽しむ交流会を開いているのだ。企画したのは環境デザインを研究する千葉大学工学部の今泉博子助教。ガレージスミダの一角を借り、植物が人々の行動にどう影響するのかを調べているという。
「こういう活動を楽しんで受け入れてくださるのが本当にありがたいな、と」(今泉さん)
東京工業大学の佐藤千明教授は、研究用の装置をチェックするため、たまたま来ていた。
「今日来たのが初めてです。レタスまで作っているとは思っていませんでした。町工場のイメージと違う。21世紀の町工場はこうじゃなきゃダメだという話をしました」(佐藤さん)
浜野が今泉さんを呼び寄せ、2人を引き合わせた。
「ここに用事で来た人がご縁で出会って、また何か新たなアイデアが生まれるというのが、『ガレージスミダ』のコンセプトの1つなので」(浜野)
浜野製作所は1978年、浜野の父・嘉彦が立ち上げた。当時作っていたのは、冷蔵庫などの家電製品に使う金属部品。メーカーからの下請けを専門とする町工場だった。
1993年に父が他界すると、浜野は30歳で2代目としてあとを継ぐ。職人は金岡裕之(現専務)ただ1人という小さな工場だった。
当時はバブル崩壊直後の不景気。部品の大量生産のような仕事は、人件費の安い海外へどんどん流出していた。そこで浜野は別の方向へと舵を切る。1件あたりの注文は少ないが、精密な加工が必要な仕事を数多くこなす「多品種少量生産」だ。
「数が少ないものは、採算が合わないのでそんなに海外へ持っていかないじゃないですか、そういうものだったらまだまだ国内に残るだろうと」(浜野)
技術力が必要で作る個数が少ないものなら、海外に仕事を奪われないと考えたのだ。だがそんな矢先、災難が浜野を襲う。2000年、隣の火事が燃え移り、自宅兼工場が全焼してしまったのだ。
まだ燃えているさなか、浜野は驚きの行動に出る。近くの不動産屋へ駆け込んだのだ。「納期が迫っているので、空いている工場を探してもらえませんか」と依頼すると、数時間後に工場が見つかった。大家のもとへ行き、浜野が事情を説明すると、大家は「大変だったわね。うちの工場でよかったら使って」と言ってくれた。それは亡くなった夫が営んでいた工場だった。
「お金もハンコも持っていないのに、『あなた、お困りでしょ』と言って、エプロンのポケットに入っていた貸し工場の鍵を、無一文の僕に契約もなしに貸してくださったんです」(浜野)
浜野とたった1人の職人、金岡はそこに焼け焦げた金型を持ちこみ、翌日には製造を再開。その金型は今も残っていて、現役で使われている。
「当時は4,000型くらいあったと思います。注文が入って『この金型を使って加工しなきゃいけない』と、それを探し出して磨く。それが終わると、また次の製品の注文が来るから、それを探し出して磨いて。その繰り返しでした」(浜野)
▽「当時は4000型くらいあったと思います。」と語る浜野さん
こうして徐々に仕事を増やしていった浜野。社長就任当時、たった4社だった取引先は今や約5,000社にまで拡大した。
月面探査機のタイヤ?~大手企業が頼る理由
浜野製作所を頼ってくる大手企業も増えているという。
この日、来ていたのはタイヤの世界的大企業「ブリヂストン」。依頼されたのは「月面探査機」に使う特別なタイヤの試作だ。表面温度マイナス170度、岩石だらけの過酷な環境に耐えるため、ゴムではなく、すべて金属で作る必要があるという。
「金属のタイヤなんか作ったことないので、平たく言うと、設計を始めて泣きついたというところです」(「ブリヂストン」フェロー・河野好秀さん)
浜野が作り上げたのは、驚きの構造を持つタイヤだった。
▽依頼されたのは「月面探査機」に使う特別なタイヤの試作
「ステンレスを極細の繊維にしてニット状に織ってあります」(「ブリヂストン」上席主幹・山本雅彦さん)
糸のように細いステンレスをより合わせ、幾重にも編み込んでいる。柔らかく、しかも強度があるので、ゴツゴツした月面でも安定して走れるという。耐久テストを繰り返しながら、改良を重ねている。耐久テスト用の装置も浜野が独自に作ったものだ。
「こういった装置まであって、ここで見られて、『ここはダメだ』ということが言えて、その日のうちに加工が始まる環境は浜野さんならでは。非常に心強い下町のパートナーです」(山本さん)
そんな浜野製作所にはいまや大企業からの出向組も。1年前に出向してきた角田旭さんは「コニカミノルタ」から。グループで4万人の従業員を抱える精密機器の大手企業で新規事業を担当する角田さんは、ビジネスの種を見つけるため、多くの企業が集まる浜野製作所にやってきた。
「刺激的ですよね。いろいろな人がいっぱい来るので、最先端のスタートアップがやろうとしている“新しい価値”を目の当たりにできるのは、いい機会だなと」(角田さん)
1万社→2,000社に激減~「町工場」は再生できるか?
最盛期には1万社近くあった墨田区内の町工場は現在、2,000社にまで激減した。そんななか、浜野製作所は世界に向けて動き出した。
この日、リモートでつないでいたのは、シンガポールのスタートアップ「クラウンデジタル」のキース・タン社長だ。開発しているのはコーヒーを淹れるバリスタロボット。日本に進出したいと、浜野に相談していた。
▽浜野製作所は今年から海外の相談にも応じることにした
英語ができる社員が手を挙げ、今年から海外の相談にも応じることにしたのだ。
「このビジネスを日本で成功させるためには日本国内でのサポートが欠かせないんです。浜野はやりたいことを理解し、提案してくれるので、助かっています」(キースさん)
浜野はまた、地域を盛り上げる活動にも力を入れている。
案内してくれたのは、5月にオープンしたばかりの施設「コネクトすみだ『まち処』」。墨田区の観光協会が運営する「メイド・イン・スミダ」をアピールする店だ。
実は浜野は観光協会の理事も務めている。墨田に根付く「ものづくり」の文化を発信していこうというのだ。
「浜野さんは『墨田区の元気』ですね」(墨田区産業観光部・郡司剛英部長)
「何かあれば浜野さんに連絡をして、『ちょっとご相談が……』となります」(墨田区観光協会・森山育子理事長)
~村上龍の編集後記~
隣家からもらい火によって工場が全焼。焼け跡から金型を掘り出して夜中まで磨くという生活を何ヶ月も続ける。
同僚の金岡に「給料が払えない」すると「金じゃない、あんたと仕事がしたいからここにいるんだ」会社を建て直せたら、常日頃から社員に感謝をして、いっしょに働かせてもらう、と覚悟が決まった瞬間。
今、金岡氏は専務に。他に大勢の若者が「浜野」に集まってくる。魅力は何なのだろう。浜野のオープンな雰囲気ではないか。そしてそのオープンな雰囲気は、墨田区が持つ高度な技術に支えられている。