1983年3月慶応義塾大学工学部電気学科卒業。
1983年4月伊藤忠商事株式会社入社。1991年9月同社退社。
1991年10月株式会社電巧社入社。
2002年7月同社代表取締役に就任し現在に至る。
東芝ビジネスパートナーとして、受変電・空調・照明・昇降機などのビル用電気設備全般と産業用電機品を販売するほか、東芝協力工場として受変電設備を中心に配電盤の製造を行ってきました。
電気の世界を事業領域とする技術志向の会社で、建設業者として電気・空調・機械器具設置工事等も広く行っています。
近年はグリーントランスフォーメーション(GX)に取り組み、太陽光発電・小水力発電、省エネ機器や蓄電池設備を総合的に扱い補助金申請代行も行うほか、SI事業部ではデジタルトランスフォーメーション(DX)の一環としてサイバーセキュリティーに取り組んでいます。
このように 電気4領域で付加価値を提供する会社が電巧社です。
事業変遷と組織拡大の沿革
勤めていた会社を引き継いだ創業者は、ゼロスタートではないものの、金融恐慌という厳しい時代のなか苦労の船出でした。工員の出兵による人手不足で電気工事が営めず、戦後は中古モーターの販売をきっかけに東芝の特約代理店となり、モーター等の産業用電機品や受変電設備を販売する商社の道を歩みました。生き残っていくための事業の変還でした。
また、創業者はものづくりに価値を見出していました。早くから配電盤の製造に目を付け、東芝協力工場として配電盤製造に乗り出しました。このように電巧社は、商社と工場という2つの柱を持つことを強みに、世の中が高度経済成長からバブル経済へと進むなか、大きく組織を拡大したのでした。
私が入社したのはバブル崩壊のときで、後述するような厳しい時代を経験しましたが、商社と工場がなんとか会社を交互に支えてくれました。その後、更なる安定経営を目指して、空調設備、照明設備、昇降機、ポンプ、太陽光発電設備などのビジネスを加えて、屋台骨を支える柱を増やしていきました。このように地続きの事業領域の中で新たな事業を加えて組織を拡大していくことが電巧社の成長戦略となりました。その後も不採算事業を縮小しながら、システムインテグレーションや空調工事・電気工事、発電機などを加えて、更なる発展を目指しています。
乗り越えてきた組織課題とその取り組み
バブル崩壊により売上高が130億円から70億円弱まで落ち込みました。その結果、どんぶり勘定の甘い体質から生まれた架空売り上げや不良売掛金、不動在庫など、これまで見えなかった問題点が一気に噴き出しました。そこで取り組んだのが、問題を放置せずにすぐ処理することでした。不良売掛金や不良買掛金、不動在庫等を先送りせずに即刻に損失処理をする。当然その分の利益が減りますが、正しいことしかやらないという姿勢を社内に徹底しました。
それでも土地や有価証券など、全て売り払いながら3年間の赤字を耐え、さらにリストラを含む組織変革を断行して凌ぎました。もとより社員というのはまじめな存在です。正しいことをきちんと教えればきちんとした商売をしてくれます。信賞必罰として、故意に問題を起こした社員は退場です。そうやって会社はゆっくりではありますが着実に業績を回復していきました。
経営理念策定に向けて
バブル崩壊後、売上が急激に落ち込んだときに、私は震えるほど倒産の恐怖を経験しました。会社を潰さないために出来ることは何でも我武者羅にやりました。なんとか持ち直しましたが、恐怖に駆られていては会社は潰れなくても成長などできません。 そこで会社のあるべき姿や経営に対する考え方などを徹底的に学びました。そのなかで、会社は社員の幸せと社会貢献のためにあると悟りました。今となっては当たり前の考え方ですが、生き残るために辛いリストラまで踏み切らざるを得なかった当時の私にはカルチャーショックでした。
このとき経営理念をつくるとともに、事業計画を立てて将来の青写真をつくろうと考え始めました。健康、絆、そして幸せを追求しながら、全社員が人生の成功者を目指すという経営理念は、それだけを読むと薄っぺらに見えますが、過去の苦労を振り返ると当然の願いであり心の叫びでした。辛い経験でしたが、この苦労があったからこそ今があると思っています。
今の時代に必要な社員との向き合い方
あまりに当たり前なのですが、健康が何よりも大事だというのは父の教えです。私の父は、体が弱いのに高度経済成長時代に働き過ぎで胃癌になりました。「健康は全てではないが、健康を失うとすべてを失う」というのは父の口癖でした。 電巧社は健康経営優良法人(ブライト500)に4年連続で認定されています。健康管理に手厚く、働き方改革にも取り組んでいます。私は、健康とは体や心に加え、仕事にもあると考えています。たとえば、世の中には役割を終えた商品が沢山残っていて、そんな売れない商品を担当して頑張っていると、やがて担当者の体と心も侵されます。経営側が事業の状態を見定めて撤退するなど、仕事の健康を意識して行動するからこその健康経営です。特に、この20年間で日本製品の健康がどんどん失われた電気の世界では、大切な姿勢だと思います。
また、これも当たり前ですが、人は一人では生きられません。仕事においても仲間との絆が不可欠です。助け合い、刺激し合い、切磋琢磨して、時には褒め合う仲間が必要でしょう。会社は単なる作業場ではなく、そうした仲間との絆を深めるプラットフォームだと考えると、在宅勤務だけでは難しいのではないでしょうか。 世の中にはオフィス不要論がありますが、私は「会社」を社員にとって必要不可欠な居場所にすべきと考えています。成功者を目指す社員が、絆を感じ、励まし助け合いながら存分に活躍できる舞台としての居場所を提供するというのが、私が社員に向き合う姿勢です。
ですから電巧社では絆づくりの機会をたくさん用意しています。例えば、年2回の全社大会(アニュアルスタッフミーティングとカルチャーミーティング)は互いのビジネスを理解して関心を高め、仲間の協力を引き出すきっかけになっています。社員自らが企画して運営するバーベキュー大会では、全国から社員が集まり、部署を超えた混成チームで協力します。すべて仲間との絆づくりを意識した施策が盛り込まれています。
経営において大切にしている考え方とこれからの取り組み
あらゆる事業は安定と成長を繰り返しながら発展します。安定事業も放置すれば世の中の進化に取り残されてやがて衰退します。安定事業であっても、常にそれを成長させるための改善と強化を行う努力が必要です。
また、今ある安定事業だけに安住するのではなく、その利益の一部を使ってでも新たな事業の芽を成長させて、将来の柱づくりを行う長期投資はこれからの経営に不可欠でしょう。電巧社でも、この観点から新しい事業の芽を大切に育てています。
- 氏名
- 中嶋乃武也(なかじまのぶや)
- 会社名
- 株式会社電巧社
- 役職
- 代表取締役社長