事業承継マッチングプラットフォーム「relay」を運営するライトライト(宮崎市)は、「relay summit リアルマッチング商談会」を2月17日に都内で開催した。イベントでは事業承継を経験したゲストによるトークセッションが行われたほか、後継者を募集する事業者と事業承継の促進を図る自治体に直接相談する場が提供された。現地に訪れた60人を超える参加者は熱心に話を聞き入っていた。

400事業者がrelayを活用

イベントではまずライトライトの斎藤めぐみ取締役が登壇しrelayについて説明した。

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(画像=relayの役割について説明するライトライトの齋藤めぐみ取締役、「M&A Online」より引用)

日本で毎年5万件の店舗が廃業し、そのうち6割は黒字にも関わらず後継者不在で店舗が失われていると指摘。こうした現状を変えるために、中小企業や小規模事業者を対象に、オンラインで後継者をマッチングするrelayが2020年に誕生した。現在は全国50の地方自治体と連携し、400事業者がrelayで後継者を募っているという。

さらに、2023年10月には、事業承継に興味のある人、実際に承継をした人たちが集うコミュニティーも立ち上げ、様々に抱える悩みを相談できる場づくりも行ってきたとアピールした。

3人の女性が事業承継の苦労を語る

事業承継では、経営を引き継いでからが肝心。様々な問題が生じることは想像に難くないが、実際どのような壁があるのか。続いて行われたトークセッション「事業承継女子たちによる本音の座談会」では、3人の女性が事業承継のリアルを語った。

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(画像=千葉県松戸市の中華料理店「中華東東」の3代目店主、池田穂乃花さん、「M&A Online」より引用)

千葉県松戸市の中華料理店「中華東東」の3代目店主の池田穂乃花さんは、余命宣告を受けた祖父の店舗を引き継ぐことを高校生のときに決意。事業を承継するにあたり、「厨房で鍋を振るうおじいちゃんの姿だったりお客様と話すおじいちゃんの姿をずっと見ていて、本当に賑やかなお店を戻したいなっていう気持ちが一番強い原動力になった」という。

しかし、レシピは残されないまま、祖父は他界。店長を引き継ぐも、常連客からは「味が変わった」「量が減った」といった口コミが投稿された。残されたのは幼少のころから祖父の味に慣れ親しんだ池田さんの味覚だったが、味を再現するなかで、料理長と対立したこともあった。

また、経営に携わる中で、身銭を切るような経営を続けていたことも判明。大幅な価格改定を実施するも、批判の声はあがり、苦労は続いた。軌道に乗るまでには時間がかかったが、常連客から味が認められたときには感激して涙を流したという。

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(画像=約60年間、大分県で愛された「まるじゅう製菓」のどらやき作りを承継した岩根真奈美さん、「M&A Online」より引用)

看護師を辞め、どら焼き職人になった岩根真奈美さんは、技術承継の難しさを語った。結婚を機に大分県に移住した岩根さんは、地元で約60年間愛された「まるじゅう製菓」のどら焼きに感銘を受け、弟子入り。師匠は当時82歳で数年前に病気を患っており、店をたたむ予定でいたという。

火加減ひとつで大きく出来が変わる難しいどら焼きづくりで、師匠からの教えをマスターするまで苦労を重ねたが、師匠からもお客からも味の再現度の高さを認められる腕前に上達したという。「これはもう(お客に)出しても恥ずかしくない、このどら焼きなら間違いないと言ってくださったときはもう震えました」。

また、「師匠が長年守り続けてきたどら焼き作りを命をかけて教えてくれた」と振り返り、「味さえ受け継がれれば形は三角でも四角でも何でもいいと言ってくださった熱い思いが原動力のひとつになっている」と今の心境を語った。

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(画像=福岡の老舗蒲鉾屋「吉開のかまぼこ」を事業承継した林田茉優さん、「M&A Online」より引用)

創業132年の歴史を持つ無添加蒲鉾メーカー「吉開のかまぼこ」を引き継いだ林田茉優さんからは、地元住民との信頼関係の重要さが語られた。

林田さんが同社を知ったのは、大学4年生のとき。痛くない注射針で有名な岡野工業が廃業したことを知って後継者問題を調べるなかで、後継者不在で休業状態にあった同社に出会った。当時は廃業を考えていたが、顧客からの復活を望む声に応えようと、承継者探しを開始。林田さんも加わり奔走した。

一方で、事業再開に向けて課題もあった。設備は古くメンテナンスの必要があり、作り手となる従業員も離散していた。事業再開に向けてスポンサーが見つかってからは、林田さんが代表に就任するが、先代から直々にかまぼこ作りを学べる環境にあったものの、味や弾力を再現するために試行錯誤の連続だった。

近隣住民との関係にも苦労した。工場を稼働させると騒音と煙にクレームが入り、本格再開にストップがかかった。話し合いの場を設けるも、折り合いがつかず、林田さんは週に1回、近所を訪ね回ることに。門前払いされたこともあったが、正確な状況を把握し、ひとつひとつ問題を解決、休業してから3年目にしてようやく本格再開ができたという。「地元の方との繋がりや応援があって企業は成り立っていると感じました。誰との信頼関係なのか、いろんな関係性があるところを大事にすることの重要さを学びました」と語った。