厚生省が保湿用塗り薬「ヒルドイド」の患者負担額を引き上げる。SNSで「優れた保湿性があり、肌に良い」との口コミが駆け巡り、美容用途で使用するために皮膚科で処方してもらうケースが激増したのが理由。医療費削減のため、負担額を引き上げた。この人気薬「ヒルドイド」を生産したのがマルホ(大阪市)だ。

創業者が渡米して最新技術を入手

同社創業者の木場栄熊は東京薬学校(現 東京薬科大学)を卒業し、薬局勤務を経て東京に薬局を開業。しかし、木場は「これからの時代に通用する新薬の知識を学べるのは、日本ではなく世界だ」と考え、1901年に26歳で単身渡米。現地薬局に勤務するなど、米国で医薬品業界の最新情報を収集した。

1915年に米マルフォードと日本代理店契約を締結し、薬の製造と卸しを兼ねた「マルホ商店」を大阪で創業。野口英世が発見した梅毒皮膚反応薬の「ルエチン」はじめ34製品の取り扱いを始める。「マルホ」の社名は提携したマルフォード社が由来という。

1917年に米マッケソン・エンド・ロビンスの蚊よけクリーム「モスキトン」や過酸化水素歯磨「カロッキス」、1922年に独ドクトル・カーデの喘息治療注射剤「アストモリジン」、1924年に米シンシナチ大学で開発された止血剤「フィブロニン」などを供給した。

1931年から1932年にかけてマッケンソン・エンド・ロビンスの鎮咳去痰剤「コフ」と、蚊よけクリーム「モスキトン」の国産化に成功している。

戦時統合で事業譲渡も戦後に営業再開、M&Aも

1942年に太平洋戦争の激化に伴い、医薬品業界でも戦時統合が図られた。マルホ商店はじめ製薬企業7社が発起人となり、全41社による和協製薬が設立。1943年にはマルホ商店を解散し、本社、工場の建物、製造施設などを全て和協製薬に譲渡する。

戦後の1949年に新たにマルホ商店を立ち上げ、事業を再開。1954年に大ヒット医薬品となる独ルイトポルド・ウエルク製の凝血阻止血行促進剤「ヒルドイド(現ヒルドイドクリーム)」発売した。その後は皮膚科と外用薬に特化した医療用医薬品などの研究・開発・製造・販売・輸出入を手がけている。

同社の有価証券報告書によると、2020年3月までに9件のM&Aを実施している。2023年9月期の売上高は961億円、営業利益は62億円、純資産は1560億円で、研究開発費は210億円。今後「ヒルドイド」の患者負担額引き上げが、同社の業績に影響を与えるかが注目される。

文:M&A Online