この記事は2024年6月13日に「テレ東BIZ」で公開された「全国が注目!にぎわいをつくる “ごちゃまぜ”戦略の全貌:読んで分かる「カンブリア宮殿」」を一部編集し、転載したものです。
目次
温泉&ビール、被災地に日常~異色の施設「輪島カブーレ」
石川・輪島市。
2024年元日の能登半島地震から半年近く経っても、朝市通りの倒壊した建物はそのままで、開いている店もまだ少ない。
▽朝市通りの倒壊した建物はそのままで、開いている店もまだ少ない
そんな中、人でにぎわう場所がある。
地下1,200mからくみ上げている天然温泉がある2018年オープンの「輪島カブーレ」。
▽地下1,200mからくみ上げている天然温泉がある2018年オープンの「輪島カブーレ」
被災地にもかかわらずにぎわっている理由は、1杯400円のクラフトビールや揚げたての天ぷら……カウンターでは、「風呂上がりに1杯」という人たちが肩を並べる。
▽カウンターでは、「風呂上がりに一杯」という人たちが肩を並べる
スポーツジムまであり、地域の人は誰でも利用できる。
▽スポーツジムまであり、地域の人は誰でも利用できる
「輪島カブーレ」を運営しているのは社会福祉法人・佛子園(ぶっしえん)。実はここは障害者の就労施設で、約50人の障害のある人たちが働いている。
接客担当の沖泙(おきなぎ)恵理加には軽度の知的障害がある。まじめで丁寧だ。覚えた仕事は確実にこなし、ビールのつぎ方にもこだわりがある。
▽覚えた仕事は確実にこなしビールのつぎ方にもこだわりがある
さらにここは高齢者が日中、介護を受けるデイサービス施設でもある。
福祉施設でありながら、温泉や食事処を地域住民に開放することで人々が自然に交流する。そんな「ごちゃまぜ」の場所に年間23万人が訪れる。
▽福祉施設でありながら、温泉や食事処を地域住民に開放している
「輪島カブーレ」も地震で被害を受けた。スタッフも全員が被災した。だが、施設長の寺田誠を先頭に、一日も早い復旧に力を尽くした。
「被災をして避難所で生活をされている方々は非日常。日常を感じられる場所で、少しでもリラックスしてほしかったんです」(寺田)
「輪島カブーレ」に来ている人の多くが被災者。自宅に住めなくなった人たちにとっても、ここはよりどころになっている。その1人、高木雅啓さんは、「本当に灯台みたいな感じでした。暗い世界の中で、カブーレという組織が機能をどんどん住民のために回復して」と言う。
運営母体である佛子園の本部は、能登とは離れた白山市にあり、大きな被害は受けなかった。地震の2日後には、本部や他の施設から水や食料、物資の運搬を開始。
▽地震の2日後には本部や他の施設から水や食料、物資の運搬を開始
11日後には、まだ水道が通っていない中で温泉を再開した。
支援物資の中には海外でも賞を取った佛子園オリジナルのクラフトビールもあった。被災地でのアルコールは不謹慎だという声もあったが、佛子園理事長・雄谷良成(62)は、こんな状態だからこそアルコールも出すべきだ、と言い切る。
▽「そういう時に僕らがやらないとダメでしょう。」と語る雄谷さん
「そういう時に僕らがやらないとダメでしょう。絶対必要になるんですよ。避難所で飲めないので、隠れて飲んだりすることになる」(雄谷)
「ごちゃまぜ」福祉施設で全国から注目~その手法を復興支援にも
雄谷は福祉業界に革命を起こしてきた人物だ。作ってきたのは従来の枠組みを超えた福祉施設。障害者も高齢者も地域住民もみんなが集まり交流する場にして、町全体を元気にしてきた。その取り組みが注目を集め、佛子園が運営する16の施設には、視察団など年間約150万人が訪れている。
2016年には「カンブリア宮殿」に登場し、掲げる「ごちゃまぜ」の必要性を説いた。
「高齢者は高齢者だけとか、障害者は障害者だけ、子どもたちは子どもたちだけということが思わしくない環境なのではないかと思っていたので、いろいろな人と関われる環境をつくろうと」(雄谷)
佛子園は、寺の住職だった雄谷の祖父が、戦災孤児や障害児などを預かり1960年に創設。雄谷は障害のある人たちと一緒に育った。
25歳の時、途上国支援のため、青年海外協力隊員としてドミニカ共和国に赴任。貧しいながらも人々がつながり合って生きる姿に「ごちゃまぜ」の原点を見たという。帰国後、34歳で佛子園の仕事を始めた。
雄谷は今、「ごちゃまぜ」で地域を元気にしてきた手法で復興支援に取り組んでいる。
この日訪ねたのは、「サクラ醤油」で知られる輪島市の老舗「谷川醸造」の醤油蔵。築100年以上の蔵は今回の地震で全壊した。
▽輪島市の老舗「谷川醸造」築100年以上の蔵は今回の地震で全壊
最大震度7の揺れに襲われた輪島市では8,000棟以上の住宅が全半壊。多くの人が住まいや仕事を失った。この蔵も再建を模索中だが、代々受け継いできた木桶は、使えるかどうかわからない。
▽代々受け継いできた木桶は使えるかどうかわからない
「谷川醸造」社長・谷川貴昭さんに「ちょっと悪巧みをしますか」と、動き出した雄谷。三味線通りに屋台村を作るという。入るのは店を失った市内の飲食店だ。コストも人手も少なく済む屋台を再建の第一歩にしてもらおうと考えたのだ。
「関東大震災や空襲で焼け野原になった時も、闇市とか屋台から復興してそこから元気をつけている。みなさんが廃業する前に、ここからもう一度やるぞ、と」(雄谷)
松野克樹さんは、三味線通り近くで60年続く「美喜寿司」の二代目。震災前は地元客や観光客でにぎわう店だったが、店は全壊と判定された。再建の見通しが立たない中、屋台村の構想を聞き、希望を感じたという。
「いい話だなと。参加する人も協力して成功できるといいですよね」(松野さん)
津波から逃れて向かった施設~佛子園流復興支援とは?
2024年元日、能登町白丸地区は4.7メートルの津波に襲われた。多くの住宅が、跡形もなく流された。砂山由美子さんもその一人だが、地震があってすぐに近所の人たちと声を掛け合い、高台に逃げた。目指したのは佛子園が運営する農場施設「日本海倶楽部」だ。
「地域に密着して、このへんの方でもお世話になっている人もいるから」(砂山さん)
「日本海倶楽部」は1998年、佛子園が初めて「ごちゃまぜ」を実践した施設だ。26年前から障害のある人たちとクラフトビールを製造してきた。レストランもあり、地域の人や観光客が数多く訪れていた。さらに耕作放棄地が増える能登町で、障害者がそうした土地を耕し、地域の農業を支えてきた。
施設長の竹中誠は、震災直後から人々の避難生活を支えてきたが、今は復興支援にあたっている。
佛子園流の復興支援1~芋づる式に農業再建
能登町で最も多い農産物は米だが、震災で打撃を受けた。津波の影響による塩害で米作りができなくなった。さらに、地割れした田んぼも多く、水が貯められないために米作りを諦めた農家もいるという。能登町全体での米の収入は約6億円あったが、田んぼが使えないため、収入は激減する見込みだ。
そこで竹中は地域の農家に声をかけ、新たな取り組みを始めた。サツマイモで農業の再建を狙うという。荒れ地でもよく育つサツマイモを新たな特産品にしようというのだ。
▽サツマイモで農業の再建を狙う
収穫後の販路も確保してあり、お菓子の原料として石川県内の加工メーカーが買い取る。農家と障害者が協力して、2年後に3億円の収入を目指すという。
「ゆくゆくは加工業とか二次産業につながって、芋づる方式でいろいろなことがつながっていくといいですね」(竹中)
佛子園流の復興支援2~「ごちゃまぜ」チームが御用聞き
▽自治体だけではカバーしきれない仮設の見守り支援を託された
3月、入居が始まった仮設住宅を一軒一軒訪問している一団がいた。暮らしの困りごとを、聞き取っているのはJOCA(青年海外協力協会)だ。雄谷が会長を務める組織で、佛子園とともに、東日本や熊本の震災でも復興支援に携わってきた。今回は自治体だけではカバーしきれない仮設の見守り支援を託された。
ふだんの彼らは人を支えるさまざまな仕事についている。介護福祉士、保育士、僧侶……こうした「ごちゃまぜ」なチームを現場に送り込むのが佛子園の役割だ。
佛子園流の復興支援3~仮設に「ごちゃまぜ」の場を
仮設での生活は長期化が予想される。「そこに欠けているものがある」と雄谷は言う。懸念するのは、いわゆる災害関連死の発生だ。仮設でこもりきりになり、体調の悪化に気づかれないまま、1人で亡くなってしまう高齢者もいる。
熊本地震では、直接、地震で亡くなった人よりも災害関連死のほうが4倍も多かった。能登半島地震ではすでに30人が災害関連死と認定されている。
それを防ぐのに有効だと雄谷が考えたのが、「コミュニティーセンター」。仮設のある一角に、銭湯や食堂が入った、みんなが集まれる場所を作ろうという。
▽「まさに『輪島カブーレ』のミニ版。」と語る雄谷さん
「まさに『輪島カブーレ』のミニ版。『輪島カブーレ』では、皆さんお風呂から上がってきていろいろなお話をすると、それですごく元気になる」(雄谷)
仮設の住民からも「そういうのはすごく必要だと思います。そこからまた知り合いが増えていく」とも声があがった。自然と「ごちゃまぜ」になれる場所を作り、人と人のつながりが生まれるようにする。それが孤立を防ぎ、命を守ることになる。
▽自然と「ごちゃまぜ」になれる場所を作り人と人のつながりが生まれるようにする
「ごちゃまぜ」で町を活性化~地域の「熱」を生む方法
島鳥取・南部町。人口約1万200人の豊かな里山の町だが、この20年で人口が約2割減り、活気がなくなっていた。そんな町に2022年オープンした「法勝寺温泉」は、佛子園流で問題の解決を図っている。
前町長の坂本昭文さんは、雄谷の進める「ごちゃまぜ」が町を活性化させるよりどころになると考えたという。
「施設を作っただけでは回りません。施設を作るには理念が必要です。『ごちゃまぜ』の考え方で熱を出せば、必ず熱のあるところには人が寄ってくる。人が寄ってくれば、やはり活気が湧く」(坂本さん)
人が寄ってくる、南部町の「ごちゃまぜ」施設。一番人気はやはり温泉だ。
地下1,200メートルから湧き出る温泉はとろみがあり、肌がつるつるになると評判だ。
料金は大人450円だが、ここで週に1回ボランティアをすると、働いた疲れを癒すという名目で温泉に無料で入れる仕組みもある。
佛子園同様、ここでも障害のある人たちが約30人働いている。そのうちの一人、西康弘さんは、働くことで以前より元気に過ごせるようになったという。
「まだ慣れないところがあり、きついですけど楽しいですね」(西さん)
ここには毎日のように、町の高齢者から子どもまで、がやがやと集まってくる。
▽毎日のように町の高齢者から子どもまで、がやがやと集まってくる
大人たちは風呂上がりにビール。その横で子どもたちが静かに宿題。まるで町のリビングだ。
学童保育なども運営している。こうした取り組みによって子育て世代が移住、町に少しずつ、活気が戻ってきたという。
久しぶりの焼き鳥、寿司… ~がれきの中、輪島で復興イベント
▽まだ瓦礫も残る中、被災した店が、模擬店を出した
2024年4月28日、「輪島カブーレ」の周辺に大勢の人が集まっていた。雄谷の声掛けで開かれた復興イベントだ。実行委員は、被災した町の人たち。その1人は「悪いことばかりじゃなくて、明日を楽しむいい経験をさせていただいている」と言う。
まだ瓦礫も残る中、被災した店が、模擬店を出した。店主たちも久しぶりに商売ができると張り切っている。
地元で人気の焼き鳥店の店主は「手が震えて焼けるかな」と笑う。「谷川醸造」の谷川社長は「できることをやっていこうと思う」と、無事だった醤油で焼きおにぎりを作った。「美喜寿司」の店主・松野さんは久しぶりに腕を振るい、海苔巻きとお稲荷さんを作った。
「最初のステップ。いずれにしても1人じゃできないので、いろいろな人が手を取り合って協力すれば」(松野さん)
人とつながり合える「ごちゃまぜ」の場があるから、明日も前を向いていける。
※価格は放送時の金額です。
~村上龍の編集後記~
寺の住職だった祖父が、戦災孤児・障がい児など、行き場がなくなった子どもたちを引き取ったことからはじまった佛子園。雄谷良成氏はその子どもたちといっしょに育った。「ごちゃまぜ」で育ったのだ。
能登町に「日本海倶楽部」がある。レストランは地元の人、観光客に人気で、福祉施設が地元に愛される存在に。今回の震災では津波に襲われた地域の人々が日本海倶楽部に逃げてきた。日頃から付き合いがあったため、助け合うことが可能になった。「ごちゃまぜ」でトラブルは起こる。見守り、解決する。面倒でむずかしい。