一橋大学卒業後、三菱電機で営業職を経験し、半導体部門の統合プロジェクトにも従事した宮﨑進司氏。義父が経営する株式会社文明堂新宿店に入社と同時に、30歳で社長に就任するという異色の経歴を持つ。のれん分けしていたグループの再編を主導し、現在は株式会社文明堂東京の代表取締役社長を務める。伝統を守りつつも、スポーツの補食用「V!カステラ」など新たな挑戦を続ける宮﨑社長に、その経営哲学と未来への展望を聞いた。
創業から続く「人をつなぐ」菓子づくり
── 今年は創業から125年だとか。どのような変遷をたどってこられたのでしょうか。
宮﨑氏(以下、敬称略) 文明堂は1900年に長崎で創業し、2025年で125年を迎えます。東京での歩みは、大正11年に創業者の弟・宮﨑甚左衛門が事業を始めたのが起点です。以来、カステラを軸に、お菓子を通じて人と人をつなぐことを使命としてきました。
当時庶民のお菓子であり贈答には向いていなかったどら焼きを、「三笠山」と名付けて贈答品にしました。もちろん私たちはカステラを中心に据えていますが、同時に時勢の変化に後れを取らないように、どら焼きやバームクーヘンといった和菓子と洋菓子も製造しています。
── 他社と比べて御社ならではの強みや特徴は何でしょうか。
宮﨑 文明堂の強みは、全国的な知名度と「安心感」です。昭和30年代から放送された「カステラ一番、電話は二番」のテレビCMは長く親しまれ、特に東日本では「カステラといえば文明堂」という声を多くいただくようになり、 認知度の高まりを感じます。 贈答品を選ぶ際に「文明堂なら安心できる」と感じていただけることが、 私たちにとって大きな信頼の証だと考えています。その信頼は、添加物を使わず、 素材と製法に徹底的にこだわってきた姿勢によって築いてきました。
さらに、文明堂東京は伝統を守りつつも改良を続けてきました。小麦粉の比率を下げ、卵の風味をいかした軽やかな食感を生み出しました。同じ「カステラ」でも個性を持たせることで、新しい世代にも支持される味わいに育ててきたのです。
会社員から老舗社長へ、そしてグループ再編
── 社長就任の経緯と当時の心境を聞かせてください。
宮﨑 私はもともと三菱電機で半導体の営業をしていました。結婚を機に妻の実家である文明堂に関わることになりましたが、当時社長だった義父の体調が悪く、会社も低迷期にありました。30歳で突然社長を任され、右も左も分からないまま経営の最前線に立つことになったのです。三菱電機では入社以来営業で部下もまだいない状態でした。
── ある日突然、いきなり社長になったのですね。
宮﨑 そうです。キャッチーでしょう?(笑)
私が社長就任直後に直面したのが「のれん分け経営の複雑さ」でした。長年の経緯から新宿、日本橋、銀座に別々の文明堂が存在し、お客様から見ても「どの文明堂なのかわからない」という混乱がありました。私はまずここに手を付け、日本橋文明堂との統合を進め、さらに銀座文明堂とグループ化をしました。これにより東京のブランドを整理し、販売や製造の効率化も進めることができました。
この間、義父は会長でしたが、経営に口を挟まないどころか、会社にも来ませんでした。
── 会社員経験しかなかった宮﨑社長になぜ経営を任せたと思いますか。
宮﨑 義父は娘が連れてきた人なら誰でもいい、というような思いがあったのかもしれません。ただ、義父には決意があったんです。義父が亡くなった後、部屋を整理していた時に、一枚の紙が見つかりました。義父が書いた手紙の草稿だと思われるのですが、そこに「会長の使命」という項目があり、「社長との信頼関係を築く」「経営の実務は任せ、余計な口出しはしない」「将来の夢を語り合う」とありました。
たしかに、義父はこれしかしていなかったのです。会長から「何をやっているんだ?」と聞かれたことは一度もありませんでした。私が「この件、悩んでいるのですが、どうしましょうか?」と聞いても、それも答えてくれず、それに対して私が答えを持って「こうしたい」と言うと「いいじゃないか。やりなさい」と言う、というスタイルでした。これだけを決めて、あとは任せる、ということを決めていたのです。これを見つけた時、義父はやはりすごい人だと思いましたね。
社員との信頼関係と「人々の幸福の追求」という理念経営
── 社長就任時に苦労されたことは?
宮﨑 就任当初、社員からは「外から来た若造はすぐ辞めるだろう」と思われていました。だからこそ私は早い段階で「経営理念」を掲げました。それが「人々の幸福の追求」です。お菓子を通じてお客様を幸せにし、その喜びが社員の誇りや働きがいにつながり、最終的に会社の幸福を生み出す。そうした好循環を目指しました。
社員との信頼関係を築くため、私は現場を徹底的に回りました。工場や店舗で直接声を聞き、改善要望はすぐに反映しました。たとえば、製造工程の小さな不便を取り除いたり、接客マニュアルを現場の意見で改良したりすることです。そうした積み重ねが「社長は本気で現場を見ている」という信頼に変わりました。
「人々の幸福の追求」はもともと私たちの会社にはあった言葉なのですが、掲げられているだけでまったく使われていませんでした。これをもう一度再定義し、皆さんに浸透させ、言葉だけではなく、どうやって日々の業務に落とし込むか、ということを考えました。社内では「レイヤーツリー」と呼んでいるのですが、「人々の幸福の追求」が最上位にあります。それを実現するために、みんなが今やるべきことは「社員が人として成長すること」と「適正な利益を上げること」の二つです。
たとえば「社員の成長」を促すためには、定期的な異動も必要です。営業をやっている人が製造もできたら最高じゃないか、と。以前は「いいから行って」と言うしかなかったのですが、今は「それが社員の成長につながり、ひいては幸福につながる」というストーリーができると、社員も納得してくれます。
このツリーを作ったことによって、私自身も「何のために今これをやっているのか」を説明できるようになり、みんなも「このツリーにあるから、あの仕事は確かにやるべき仕事なんだ」とわかるようになりました。
伝統と革新を両立させる経営の視点
── 今後の新規事業や既存事業の拡大プランについて、お聞かせください。
宮﨑 私たちのコアな部分は「人をつなぐ」ということです。カステラやお菓子を介して誰かと誰かがつながっていく、大切な人に自分の気持ちを伝えるお手伝いをする、ということがコアであり、そこは絶対ど真ん中でやっていきたいと思っています。
一方で、カステラという商品を、外部から来た人間として研究すると、面白い特性があることが分かりました。カステラを自分のためのエネルギーにするという方が一定数いることです。トップアスリートの皆さんです。弊社のカステラは無添加で脂質が少ないから消化がいい。胃に負担がかからず、すぐにエネルギーに変わるのです。
それを何人ものアスリートの声を受けて開発したのが「V!カステラ」です。エナジーバーのような大きさで、カステラを圧縮したものです。これは、誰かをつなぐという文脈ではない、私たちとしては新しいチャレンジだと思っています。発売して4年くらい経ちますが、今ではあるスポーツの日本代表が注文してくださったこともあり、かなり広がりを見せています。
こうした「自分のためのエネルギー」という点に可能性を感じています。今後は自分のためのエネルギーを必要とする、例えばご年配の方や受験生など、脳のエネルギーとして糖分を必要とする方々にも、この派生系を作って広げていきたいと考えています。
── 課題と今後の展望を教えてください。
宮﨑 老舗企業にとって最も重要な課題の一つは「承継」です。私は社長就任以来、少しずつ準備を進めてきました。株式や経営権の整理を段階的に行い、次の世代が迷わず経営を担える体制を整えています。承継で混乱する老舗は少なくありませんが、私自身が義父から完全に任された経験があるからこそ、「次に渡す準備」を怠らないようにしています。
しかし、どんな挑戦をしても変わらないのは「人をつなぐお菓子をつくる」という使命です。その思いを次の世代にしっかり伝え、さらに成長する文明堂を築いていきたいと考えています。
- 氏名
- 宮﨑 進司(みやざき しんじ)
- 社名
- 株式会社文明堂東京
- 役職
- 代表取締役社長