明治35年創業、120年以上の歴史を持つ岩田商会は、化学薬品の専門商社として日本のものづくりを支えてきた。社長の岩田氏は、教員という異色の経歴を経て家業を継承。先代から受け継いだ「化学」を事業の核としつつ、半導体、医療、環境といった成長分野への積極的な展開、そして海外進出を推進している。伝統を守りながらも変革を恐れない同社の経営戦略と、未来を担う人材育成への熱い思いに迫った。
目次
■ 創業120年を超える歴史と強み
── 明治35年創業とありますが、それ以前の歴史は不明なのですね。
岩田 私で五世代目になります。明治35年に創業の地で商いを始めたのは間違いありませんが、それ以前に事業を行っていた可能性もあります。そこはもう分かりません。
── 五世代ですか。途中、番頭さんのような方が社長になられたりしたこともあったのでしょうか。
岩田 いえ、すべて岩田家で社長はつないでいます。
── 創業以来、家訓や書物などは残っているのでしょうか。事業変遷について、どのように把握されていますか。
岩田 書物は正直なところ残っていません。百周年の際に、当時ご健在だった方々にインタビューし、わかる範囲でまとめた『百年史』が唯一のバイブルとして残っています。
──現在、取り扱われている商材は多岐にわたりますが、現在の事業を選ばれた理由はどういったものでしょうか。事業変遷もうかがいたいです。
岩田 創業当初、愛知・中部地区の繊維業向けに化学薬品(アルカリ)を扱っていました。藁を燃やした後の灰をリヤカーに乗せて売り歩いたのが始まりです。その後、酸・アルカリ全般や輸入品もいち早く取り入れ、ものづくり産業の発展とともに成長。120年経った今も、化学薬品の酸・アルカリはあらゆる産業の基盤であり、当社の事業の軸です。これが長寿の大きな理由だと考えています。
── お取引先も大手企業が多いのでしょうか。
岩田 はい。仕入れ先は大手化学メーカーが中心で、国内ではほぼすべてのメーカーとお取引させていただいています。これは中部地区の同業他社では珍しく、100年来の付き合いです。販売先は国内外3,000社以上に納入しています。
── 先駆けとして事業を展開されてきたからこそ、売り手も仕入れ先も大手企業と強固なビジネス関係を築けているのですね。
岩田 はい、それが当社の揺るぎない強みです。
■ 教員から社長へ──異色の承継と学びの道
── 五世代にわたる承継は、一族経営であっても難しい部分があるかと思います。社長が承継された経緯はどういったものですか?その時はどんなお気持ちでしたか?
岩田 私が引き継いだ経緯は特殊で、さまざまなメディアでも話していますが、私は10年間、学校の教員をしていました。就職時、家業を継ぐか父に相談すると「俺は生きている限り社長を続けるから、お前は出る幕がない。好きなことをやれ」と言われ、当時打ち込んでいたバスケットボールを続けられる教職を選びました。
10年後、父が55歳で急逝。社内にいた父のいとこが社長を継ぎ、私は「早く戻ってこい」と言われました。当時関わっていた仕事を一段落させて入社し、承継準備を始めました。
── 急なご逝去で、資本の承継、特に相続は大変だったのではないでしょうか。
岩田 大変でした。父の思わぬ急逝で相続対策ができなかったため、祖父の遺産を持つ祖母に自社株を一旦承継し、それから私に相続する特殊なスキームで承継しました。自らファイナンシャル・プランナーの資格を取り、事業承継の方法についても学びました。
■ 「人の3倍」で経営を学ぶ──博士号取得と事業変革
── 入社後、化学の知識や経営を学ぶうえで苦労されたことや、やっておいてよかったことはありますか。
岩田 化学は学生時代から専攻し、教員も教科が化学でしたので、知識面での苦労はありませんでした。しかし、経営学は財務からマネジメントまでゼロからのスタートで、急ピッチで学ぶ必要がありました。
私は「とにかく人の3倍やろう」と目標を立てました。教員として10年間遠回りした分を、5年間で人の3倍こなせば取り戻せる、つまり5年で15年分を達成できると考えました。
入社後2年間は営業でビジネスを学び、3年目には中部産業連盟の経営後継者養成塾に1年間通い、経営全般を徹底的に学びました。戻ってからは経営企画室を立ち上げ、会社の未来を考えさまざまな社内改革に取り掛かりました。。
── 結局、入社されて何年目で社長を継がれたのですか。
岩田 継いだのは10年前で、入社から11年かかりました。当時の社長(現会長)が元気だったこともあり、その間に後継者研修後、工学博士号を取得しました。
海外展開するうえで博士号の肩書きは大きいというアドバイスや、開発案件の成功・実用化がきっかけでした。東京農工大学の大野弘幸教授に勧められ、仕事と並行して論文を書き、社会人コースで博士号を取得しました。
── 勉強しながら経営も学ぶのはたいへんでしたね。
岩田 仕事と論文執筆の毎日でしたが、大野教授の「人生一度きりだから3倍遊んで3倍学ぶ!」という言葉に感銘を受け、「3倍速でこなす」意識で時間を有効活用しました。やろうと思えば人の3倍はできるというイメージです。
■ 化学の力で未来を拓く──成長分野と海外戦略
── 100年以上培ってきた事業を今後どのように拡大し、新しいビジネスを生み出していく構想をお持ちでしょうか。
岩田 今後のテーマは、化学の力でいかに成長分野に関わるかということです。若い社員には、100年以上続く当社の強みは「化学」に携わってきたことだと話しています。化学は不変ですが、常に変化します。環境やエネルギー問題、人間の生活の変化に伴い、使われる化学薬品や物質も変わるため、それに関わり続ける限り仕事は絶対になくなりません。
しかし、時代に合わせた化学の使い方、利用の仕方、生かし方を変えなければ、時代に置いていかれます。これが私たちのテーマです。
現在注力する成長分野は、半導体・電子、医療、食品、そして環境関連です。化学に携わる者として、地球環境や生活環境を考慮し、仕事を変革していく必要があります。
── 半導体分野では、日本勢は生産面で遅れを取っていると言われますが、御社はどこに注力されますか。
岩田 昨年、アジアの半導体生産ハブとなりつつあるマレーシアのペナン地区で企業買収を行いました。日本は半導体生産で遅れを取っていますが、半導体製造に不可欠な日本の素材や設備は世界的に優位です。半導体が求める高い品質、素材の機能性や付加価値において、日本は今後も優位を保つでしょう。
製品生産は海外に委ねるとしても、日本の優れた素材や設備を供給するビジネスは伸びると考え、そこに当社の使命があると考えています。
── 素材では、日本のウエハー(半導体集積回路の製造に使用される薄い円盤状の基板)などが強いと言われますが、いかがでしょうか。
岩田 日本の素材は多く使われています。汎用品では他国に劣る部分もありますが、半導体関連で使う高純度・高機能な素材や薬品は、日本の強みです。例えば、マレーシアの買収先で最も使われるフッ素樹脂フィルムや、レジスト、特殊薬品、特殊素材といった分野では、日本のメーカーが依然として強みを持っています。
── タイにも進出されていますが、今後も海外展開は積極的に進められますか。
岩田 はい。日本の市場や人口問題を考えると、海外展開は不可欠です。若い社員には「海外を視野に入れ、自ら踏み出せる人間になってほしい」と常に伝えています。
当社は最初の100年間、中部地区に根差し、国内メーカーの製品を扱うことで事業が成り立ってきました。しかし、これからの100年には次の展開が必要であり、海外は重要な要素です。
■ 「やってみやぁ」の精神と人材育成
── これから経営者になられる方々、特に日本の製造業に携わる方に伝えたいことはありますか?
岩田 そうですね、お伝えしたいこととしては、「チャレンジしてみないと分からない」ということです。
当社の120年の社風にもある「やってみやぁ」(名古屋弁で「やってみなはれ」の意)の精神です。まず否定から入らず肯定的に捉え、できることまでやってみる。実現を想定したうえで、どうすればよいかを考えることが重要だと考えています。
もう一つは「人」です。人材はどの企業にとっても大きな課題で、採用だけでなく育成が重要です。日本人には人の悪いところが目につきやすい傾向がありますが、教員時代から批判的・批評的な先生が多いと感じていました。一方で、まず良いところが何かを探す先生は生徒を成長させることに長けています。
人材育成は、長所をしっかりと見て、その人をどう伸ばし、どう生かすかを考えることが非常に大切です。それが人、そして企業を成長させる最善の方法だと信じ、私自身もまず良い点に目を向け、悪い点に目が行かないよう心がけています。
- 氏名
- 岩田 卓也(いわた たくや)
- 社名
- 株式会社岩田商会
- 役職
- 代表取締役社長