「日本の学生は、学ぶ前に“お金の心配”をしている」──。

海外の優秀な人材と日本企業をつないできた松原良輔氏は、日本の若者が置かれた経済的な学習環境の格差に強い危機感を抱いた。

年間16兆円の高等教育学費市場に対し、奨学金はわずか1.6兆円。その仕組みは複雑で、支援が必要な学生ほど恩恵を受けにくい。それでも誰も手を出さなかったこの領域に、松原氏はあえて踏み込んだ。なぜ彼は、「奨学金」というニッチで難解な市場を選んだのか。

日本最大級の奨学金プラットフォームを運営し、「若者のための新しいインフラ」構築と“シン・奨学金”構想を掲げる株式会社ガクシーの挑戦を追った。

松原 良輔(まつばら りょうすけ)──代表取締役

1977年12月生まれ。2002年、慶應義塾大学卒業後、三井化学株式会社にて経営企画/採用業務に従事。2008年、ジョブテシオ株式会社を海外の優秀な工学系人材と日本企業をマッチングする新しいビジネスモデルで創業。欧米をはじめ中国/インドなど33地域270以上の大学にて高度IT人材採用企画を立案・運営。2017年売却。2019年、日本の未来のために「諦めなくていい社会の実現」をビジョンに掲げガクシーを設立。奨学金関連事業を通じて教育格差の是正・貧困の撲滅といった社会課題解決を目指している。

株式会社ガクシー

「諦めなくていい社会の実現」を目指し、日本最大級の奨学金プラットフォームを運営。全国の奨学金情報を網羅した情報サイトで学生に最適な奨学金との出会いを提供し、学校法人や自治体向けのクラウドシステム「ガクシーAgent」で奨学金業務のDX化を提供。新たに奨学金の創出事業もスタート。奨学金の総量を増やす新しいお金の流れを構築し、若者を支援していく。

企業サイト:https://gaxi.co.jp/

目次

  1. したいと思ってなかった起業をしたのは「課題解決」のため
  2. 誰も手を出さなかった奨学金市場、その「複雑さ」こそが参入障壁
  3. ガクシーの経営哲学は『自由』。ビジョンへの共感すら強制しない
  4. 目次4市場の成長性と顧客獲得戦略
  5. 奨学金を“未来への投資”に変える──『シン・奨学金』構想の真意

したいと思ってなかった起業をしたのは「課題解決」のため

── 創業から現在までの事業変遷について教えてください。

松原 以前経営していた会社が、海外の学生や大学と触れる機会の多く、その中で、日本の学生と海外の学生の「学ぶ環境の違い」を強く感じました。一言で言えば、海外のほうが、お金の面も含めて心配しなくてよい環境が整っているなと。

このままでは、日本の将来を支える若者が世界に負けていく未来しか見えないと感じ、若者の役に立てるサービスやプロダクトをつくりたいと思ったのがきっかけです。

── 奨学金に着目したのはなぜですか?

松原 今や、二人に一人以上の若者が奨学金を活用しており、若者にとっては「なくてはならないインフラ」になりつつあります。ステークホルダー(利害関係者)が多く、かつ課題も大きい領域でした。まずは現在の奨学金市場(1.6兆円)にある課題(ペイン)を解決しながら事業をつくり、そこから本当に解決すべき「奨学金の総量を増やす」事業に発展させるという2段階で事業を進めてきました。今6年目になります。

── 会社員を6年ほど経験されていますが、もともと起業したいという思いがあったのですか?

松原 起業しようなんて思ったこともありませんでした。もっと言うと、今も別に起業が好きでもないです。「経営がしたい」「スタートアップがやりたい」「社長がやりたい」といった思いは、私の中にはまったくありません。

一社目を立ち上げたときも、私が「天才だ」と思っていた先輩が起業するというので、その人についていった形です。

ガクシーは、自分のやりたいこと、つまり先ほど申し上げた課題感を解決しようと思ったときに、それをやっている会社がなかった。そして、この「起業」という手段が一番やりやすいだろうと。自分の役割として、経営者をやればいいのではないか、という発想です。

誰も手を出さなかった奨学金市場、その「複雑さ」こそが参入障壁

── 御社の特徴・強みと、ここまでの成長要因はどこにあると分析していますか?

松原 強みは、奨学金分野に関する「ノウハウ」と、ピュアでまっすぐなメンバーが集まってくれていることですね。

成長要因としては、この奨学金というマーケットが、いわば「負のペイン」が大きいにもかかわらず、誰も手つかずの領域だったことです。そこを本気で解決しにいくプレーヤーが我々しかいなかったので、成長できている。ある意味、当たり前の話かなと思っています。

── 多くの企業が新しく生まれる中で、「奨学金」という大きな社会課題が手つかずだった理由はなぜなのでしょうか?

松原 イメージ先行だったことがすべての要因かなと思っています。奨学金というと、やはり国、つまり日本学生支援機構(JASSO)が全体の6割~7割を占めている。そのため、事業として参入してもマネタイズしにくいのではないか、成り立たないのではないか、という先入観が一番大きいと思います。かつ非常に複雑な世界です。奨学金は一つひとつ条件が違い、すべて別物です。

こうした複雑で面倒な領域の共通課題をうまく解決し、事業として成り立たせるのは難しいのではないか、と。ですから、我々のような株式会社が資金調達をして本気で解決しにいく、という存在がいなかったのだと思います。

── 大手企業はなぜ参入しないのでしょうか。

松原 創業の時に某大手プラットフォーム企業にもヒアリングをさせていただいたのですが、ニーズもあり、やりたいという声は社内でも毎年必ず出るそうです。

しかし、やはり複雑すぎること、そして企業が大きくなりすぎたために、今からそこに取り組むメリットが見えにくいということで、踏み切れないと聞きました。「奨学金をやっている会社があれば買収したい」というお話でした。そういう位置付けなのだと思います。

ガクシーの経営哲学は『自由』。ビジョンへの共感すら強制しない

── 経営者としてのこだわりや、一番大切にされていることは何ですか?

松原 こだわりという意味では、「自由」であることです。

会社の経営、特に現場のメンバーには、少しでも自由に働いてもらいたい。働き方もそうです。人間は自由が一番能力を発揮できるし、楽しいと思っているので。もちろん組織ですから締めるべきところはありますが、なるべく自由にという点は制度設計も含めて常に心がけています。

もう一つは、我々の事業は社会課題解決型ですが、その本質的な目的、つまり「日本の未来のために若者を支援する」という筋を絶対に外さないことです。今後、事業を新しく増やしていくかもしれませんが、若者の支援に資すること以外は絶対にやりません。大きくはこの二点です。

── 「自由」について、働き方以外ではどのようなことがありますか?

松原 働き方で言えば、リモートワークも出社もどちらでもよく、基本的には部署に任せています。営業は週2回集まることを推奨していますが、開発チームは月1回全員が集まる程度です。

それ以外で大きいのは、ガクシーで働く「動機」も自由でいいと思っている点です。 我々のビジョンは「諦めなくていい社会の実現」です。

究極的には、若者を支援する事業をつくること自体に興味がゼロでもいいとさえ思っています。スタートアップとして大きくなっていくかもしれない、その成長の過程が大好きだからガクシーにいる、という人でもいいと思っています。

── スタートアップというと、ミッションやビジョンへの共感が大前提というイメージが強いので、少し意外です。

松原 ビジョンを「否定さえしなければいい」というスタンスです。いろいろな思いや夢を持った人がいていい。先ほど「目的を外さない」と言いましたが、事業の結果として世の中を良くしているのであれば、ガクシーでやることはイコール世の中を良くすることになる。そこさえズレなければいい、という考えでやっています。

目次4市場の成長性と顧客獲得戦略

── 奨学金市場の成長性をどのようにとらえていますか?

松原 奨学金の市場、すなわちニーズというとらえ方ですが、少なくとも向こう10年は増えつづけていくイメージです。少子化と言われていますが、大学への進学率は上がっています。たとえ進学者が減りだすとしても、今後は外国人留学生が増えているという背景もあります。

残念なことですが、日本自体が貧しくなってきており、為替の影響もあって留学するのも大変になっています。こうした背景からも、学費の支援、若者へのお金の支援は今後ますます必要とされていきます。市場としては拡大しつづけると考えています。

── 競合や同業他社は?

松原 「いない」と意識しています。たとえば、海外留学を運営する会社が一部で海外用の奨学金を扱ったり、個人が奨学金情報を100~200件集めたサイトを運営したり、大手のシステムベンダーが特定の大学独自用の奨学金管理システムを開発したり、そういった競合はあります。

しかし、奨学金という領域の「ど真ん中」で、すべてを手がけているプレーヤーは現在いないと思っています。

我々の事業としての強みは、奨学金の「出し手側」(学校法人、財団、自治体など)に提供している業務管理システムと、奨学金の「もらう側」(学生・保護者)が情報を検索できるサイト、この両方をあわせて持っていることだと考えています。

── B(学校・財団・自治体)向けの顧客はどのように増やしてこられたのですか?

松原 自治体は入札が必要など特殊な世界で、我々も去年から始めたばかりです。学校や財団については、立ち上げから1~2年は、人づての紹介やDM(ダイレクトメール)などで少しずつ開拓しました。

現状は、そこからの口コミや横展開でのご紹介、あるいは我々が開催するセミナー経由が中心です。また株主、特にメガバンクからご紹介いただくこともあります。学校・財団・自治体とつながりを持つのは、やはり銀行が強いですからね。

── C(学生・保護者)向けはどうですか?

松原 C(学生・保護者)向けは、正直あまりやっていないのが実情です。SEO(検索エンジン最適化)に少し予算を投下している、というレベル感です。

にもかかわらず、サイトの登録者数(学生・保護者)は現在43万人を超え、年間PVは700万~800万ほどです。

── B向けの導入団体数はどのくらいでしょうか。

松原 主にシステム(ガクシーAgent)の導入団体でいうと、全部で約200団体です。そのうち学校と財団がほぼほぼを占めており、財団は去年から始めてまだ20団体ほどです。

── 今後の顧客獲得戦略についてお聞かせください。

松原 B向けに、こちらからアポイントを増やしていくようなことは正直考えていません。 今の延長線上でやっていこうと思っています。

それよりも、これはC向けにもつながることですが、ガクシーの存在そのもの、例えば「学生からすると申請が楽になる」といった利便性や良さを、世の中に広めていこうと思っています。

B(学校・財団)向けで言いますと、例えばある財団が我々のシステムを使っていただくと、当然、財団の方の業務も楽になりますが、一番は申し込む学生が楽になります。 ですから、B向けの営業という観点では、学生から自分の学校に対して「うちの学校はガクシーが入っていないのですか?」「隣の大学はガクシーで楽なのに、うちは紙で書かないといけないのですか?」といった声が上がることだと考えています。

学校側にも少しずつ知名度が出てきたこのタイミングでは、Bに直接アプローチするよりも、C、つまり学生や保護者に向けてガクシーの便利さを伝え、そこから声が上がるようにしていきたいと考えています。

奨学金を“未来への投資”に変える──『シン・奨学金』構想の真意

── プロダクト(「ガクシー」サイトと「ガクシーAgent」システム)は今後どのように改善・発展させていくご計画ですか。

松原 「ガクシーAgent(システム)」は、学校や財団などお客様の声をもとに、日々アップデートを重ねています。すでに日本に存在するあらゆる奨学金制度に対応できる設計になっており、現在も月に数十件の改善を反映しています。帳票の細かな仕様まで、利用者の要望に応じて磨き込んでいく──まさに“現場とともに育つシステム”です。

一方の「ガクシー(サイト)」は、まだ進化の途中です。目的は「学生や保護者が、自分に合う奨学金を確実に見つけられること」。単に“検索できる”だけでなく、AIによるレコメンドやマッチングなど、よりパーソナライズされた仕組みへ進化させていきたいと考えています。

── Agentシステムは、お客様の声をかなりスピーディーに反映されているのですね。

*松原** 細かいものも含めると、月に数十件は改善しています。お客様向けに改善要望などの窓口を用意しており、そこにどんどんご意見が上がってくる仕組みです。それらを取捨選択し、お声を聞きながら対応しています。

たとえば「ここの帳票の、この部分をこうしてほしい」といった、かなり細かいご要望まで上がってきます。Agentシステムは、原型をつくったあとは、お客様に寄り添う形で改善をつづける、というプロダクト思想です。

── 組織についてうかがいます。現在、従業員数は40人弱とのことですが、組織面での強みと課題を教えてください。

松原 組織面の強みは、ありがたいことに、しっかりしたレベルの高いメンバーが集まっていることです。個々人を重視するので、個人の戦闘力が強みです。

言い方は難しいですが、本当に「いい人」が多い。分からないことをきちんと教え合うなど、これは組織力だと思っています。

逆に弱みは、まさに制度や仕組みの部分です。年々倍々でメンバーが増えている状況ですので、ここをしっかり作り込まないといけない。そこは脆弱かなと感じています。

── なぜ御社には、そうしたレベルの高い方々が集まるのだと思われますか?

松原 先ほどの「競合がいない」という話と一緒だと思います。この奨学金、あるいは若者支援といった社会課題解決をストレートにやっている企業は、他にはないと思っています。事業面では、「そんなニッチで、他になさそうな面白そうなことをやっている」という部分が、一番のフックになっていると思います。

── 資金調達については?

松原 資金調達については、ここまではエクイティ中心でやってきました。

そもそも創業時、最初に投資いただいたのはNOW(ナウ)というVCです。前職のときからの知り合いで、「我々が事業案をつくり、NOWが縦に首を振ってくれたらスタートしよう」という取り決めでした。

我々の自己満足ではなく、投資のプロが「いいね」と認めてくれるもの、という壁打ち相手がNOWさんで、壁打ちに1年ほど使いました。いろいろなアイデアが潰されていく中で、奨学金の話をしたときは、最初の5分で「それだ」と決まりました。

次はグロービスのアクセラレータープログラムに入れて頂き、その延長線上で出資につながり、その後、みずほ系などから調達してきました。

── 今後の計画はいかがですか?

松原 IPOを目指していて、実現可能かは別として、2028年あたりを一つの目途としています。そこに向けて、あと1回か2回の資金調達を視野に入れています。現在もブリッジラウンドが動いているところです。

いわゆる社会インパクト系の企業は、この数年で特に注目されています。多くのインパクト系企業が生まれてきており、この流れをさらに盛り上げるには、実例というか、「アイドル」がもっと出ないといけません。

言い方は悪いかもしれませんが、資本主義の社会で戦って成果を出し、「美味しい」と目立たないと、この風潮も続かないと思っています。ガクシーもその一端を担えれば、社会インパクトの領域をさらに盛り上げられるのかな、と考えています。

── 今後奨学金事業をどう広げていくのか、その構想を教えてください。

松原 我々の奨学金事業の進め方は、二段階で考えています。日本の学費は年間で約16兆円かかると言われていますが、現在、奨学金として流れているお金は1.6兆円ほどにすぎません。

第一段階は、この1.6兆円という現状の奨学金マーケットの「ペイン」を解決し、プラットフォームをつくることです。これが現在のシステム(ガクシーAgent)とサイト(ガクシー)です。

第二段階は、残りの差額、16兆円とのギャップを埋めること。つまり、奨学金の「総量」を増やすことです。奨学金の総量が増えれば課題は解決しますし、究極的には日本の学費がすべてタダになれば、奨学金すら不要になり、若者が平等なスタートラインに立てるはずです。

この第二段階である「総量を増やす」取り組みを、今年の4月から新規事業として立ち上げました。我々の冠名をつけ、「シン・奨学金」と呼んでいます。

── 「シン・奨学金」とは、どのようなものですか?

松原 お金の出し手は、個人と企業・団体があります。個人の富裕層にあるニーズは、「こういう人を支援したいから奨学金をやりたいが、よく分からないし面倒だ。運営を手数料でやってくれないか」というもの。企業の場合は、販促やCSR、採用といった効果も半分見込んでいるものです。そうしたニーズをくみ取り、新しい奨学金の形をつくれればと考えています。

シン・奨学金では、個人への奨学金という形がとれます。先日お話しした方は、ある大学の理系研究室のご出身で、「その大学で、まさにその研究を学んでいる学生(後輩)を応援したい」と。そのようなピンポイントでの支援が可能です。大谷翔平選手が野球をやっている人(野球少年)にグローブを贈るのと同じです。このような若者への「投資」の形を、個人・企業問わず広げていきたいと考えています。

スターバックスのコーヒーを1杯買ったら1%が寄付されるといった取り組みがありますが、あの1%が奨学金になってもいいと思っています。企業にとってはCSRとイメージ向上・販促にもなります。こうした支援の輪が広がれば、学ぶ機会は格段に増えるはずです。

奨学金はある意味「投資」だととらえています。大きく言えば日本の未来への、あるいは若者への投資です。この考えにご賛同いただける方々と、ぜひ一緒に取り組んでいきたいです。

氏名
松原 良輔(まつばら りょうすけ)
社名
株式会社ガクシー
役職
代表取締役