「多様な価値観を、多様なまま許容する社会のインフラを創る」。このミッションを掲げるのが、旅のサービス「HafH」(ハフ)を運営する株式会社KabuK Style(カブクスタイル)だ。
代表取締役CEOの砂田憲治氏は、もともと金融工学を専門とし、ドイツ証券で上場企業の資金調達を手がけてきた人物である。価格変動のリスクや時間の価値を扱ってきたその発想を、約30年間ビジネスモデルが変わっていないとされる旅行業界へと持ち込んだ。
HafHが「従来の旅行予約の常識を覆す」と評されるのは、積み立てたぶんを旅行に使う「積立型」という独自の構造にある。
かつては「旅のサブスク」と呼ばれていたが、“毎日泊まれる使い放題”という誤解が広がったことを機に、2023年に「積立型」へと舵を切った。その転換は、解約率の低下とターゲット市場の拡大をもたらしたという。
砂田氏が金融業界から旅行の世界へ転じた理由、サブスクから積立型へと進化を遂げた戦略、そしてAIエージェントが切り拓く旅行業界の未来について聞いた。
企業サイト:https://kabuk.co.jp/
目次
金融工学の知見を旅行業界のイノベーションに活かす
── 金融業界からなぜ、旅行という領域で起業することを決断したのでしょうか。
砂田 私の専門は金融工学です。価格変動のリスクを扱うデリバティブや、時間の価値をオプション価値として具体化することに注力してきました。価格が変動するものはすべて、金融工学の対象になります。
大きな視点で見ると、金融工学は冷戦終結後に宇宙工学の技術者が金融業界へ流入したことで発展しました。
しかし、10年ほど前には金融領域のイノベーションも一巡し、AIによるトレーディングやリスクモニタリングが主流になりました。
その結果、技術者たちは次の活躍の場を探し始めます。私もその一人です。自分の知見を活かせる業界を探したことが、起業のきっかけの一つです。
── 金融から他業界へ、という流れがあったと。
砂田 はい。もう一つの理由は、扱う金額の大きさです。金融業界は報酬も扱う金額も非常に大きいため、起業するなら世界に通用するビジネスモデルにしたいと考えました。
たとえば、日本国内に特化したSaaSなどは選びません。日本の商習慣に最適化した事業では、グローバル展開のハードルが非常に高くなるからです。世界共通の課題を解決するビジネスを模索した結果、旅行業界にたどり着きました。
── 砂田社長も幼少期から転居・移動が多かったとか。
砂田 出身は福岡ですが、育った場所はさまざまです。幼いころから頻繁に引っ越しをしていたため、別の場所へ行くことは私にとって日常でした。
起業の意思決定をする際も、移動することに心理的な障壁はまったくありません。旅を事業領域に選んだのは、私にとって非常に自然なことでした。
「旅のサブスク」から「積立型」への転換と市場の拡大
── 2019年のサービス開始から現在に至るまでの事業の変遷を教えてください。
砂田 2019年4月に「HafH」をリリースして以来、一貫してこのプロダクトを磨き続けています。当初はプラットフォームとしての信頼を得るため、自社で宿泊施設を運営することから始めました。
宿泊施設側はユーザーがいないと提携してくれませんし、ユーザーは宿泊先がないと利用しません。この課題を解決するため、まずは自分たちでホテルを作り、そこに共感してくれるパートナー施設を募りました。
── 最初は「世界を旅して働こう」というコンセプトだったそうですね。
砂田 そうです。最初は非常にニッチな層をターゲットにしていました。その後、2024年までには宿泊事業をすべてクローズ、あるいは売却し、現在はインターネット旅行予約サービスに一本化しています。
大きな変化は、2023年8月からブランドを「つみたて旅行サービス」へと刷新したことです。それまでは5年ほど「旅のサブスク」と呼んでいました。
── 「サブスク」から「積立型」へ名称を変更した理由は?
砂田 提供している価値やプロダクトの構造は変わっていません。
しかし、時代のトレンドに合わせた見せ方の調整が必要でした。
当初はシェアリングエコノミーの文脈で「住み放題」と表現していましたが、住むように宿泊をする層だけでなく、より幅広い市場、年に数回の旅行層も獲得するため「旅のサブスク」と呼び始めました。
ただ、サブスクという言葉が定着するにつれ、Netflixのような「使い放題」のイメージが強くなりすぎました。月額9,800円でホテルに毎日泊まれるという誤解を解くコストが、ブランド価値を上回ってしまったのです。
── ユーザーの認識とサービスの実態を合わせるための決断だったのですね。
砂田 そのとおりです。積立型という表現に変えることは、社内でも自然な流れでした。1年ほどかけてブランドの専門家と議論し、現在の形に落ち着きました。
── コンセプトの変更によって、数値面での変化はありましたか。
砂田 想定どおりの変化が起きています。コンバージョンレート(CVR)は向上し、解約率(チャーンレート)は大幅に低下しました。
サブスクという言葉は、毎月利用しなければ損をするというプレッシャーをユーザーに与えます。そのため、頻繁に旅行するニッチな層しか獲得できませんでした。
しかし、積立型にすることで「年に1回の旅行のために貯める」という使い方が許容されます。これにより、ターゲット市場が一気に広がりました。
── ライフタイムバリュー(LTV)にも良い影響がありそうですね。
砂田 はい。1ヵ月だけ課金しても意味がない仕組みのため、1年後の旅行を見据えて入会する方が増えました。結果として、LTVは向上しています。
潜在的な旅行需要を掘り起こす独自のコミュニティ
── 「HafH」は、これまで旅行予約をしていなかった層も取り込んでいるように感じます。
砂田 私たちが創出した市場は間違いなく存在します。通常の旅行予約サイトを利用する人は、すでに行く場所や日程が決まっている層です。
しかし、統計的に見ると、年に1回以上宿泊旅行をする人は全体の半分程度しかいません。さらに、グループ旅行の予約を実際に行う人は、その中の一部に限られます。
── 予約という行為自体にハードルを感じる人は多いですよね。
砂田 「HafH」は一人一アカウントという概念を大切にしています。たとえば夫婦で登録し、コインを共有して旅行の頻度が増えるといった現象が起きています。
以前、多くの友人を招待してくださったユーザーの皆さんと忘年会をしました。そこで、あるシングルマザーの女性から涙ながらにお話をうかがったことがあります。
── どのようなお話だったのですか?
砂田 その方は仕事と育児で多忙を極め、旅行に行く余裕などまったくないと思っていました。
しかし「HafH」を知り、毎月積み立てをすることで、いつの間にか旅行に行けるようになったそうです。
お子さんたちが旅行を本当に楽しみにしていて、それが日々の活力になっているとうかがいました。これは「HafH」がなければ生まれなかった需要です。
── 素晴らしいエピソードですね。
砂田 こうしたメッセージを数多くいただきます。多様化した現代において、ニーズは細分化しています。私はこれを「スモールマス」と呼んでいます。
InstagramやSpotifyが個人の趣味嗜好に最適化されるように、旅行も個々のライフスタイルに寄り添うべきです。積立という仕組みを通じて、潜在的なニーズを顕在化させています。
── ユーザー同士の紹介で広がっている点も、御社の強みではないでしょうか。
砂田 今の時代、公式の発信する情報よりも、信頼できる知人の言葉が購買の決め手になります。「HafH」はマスマーケティングに頼らず、紹介を通じた信頼のネットワークで成長しています。
業界の構造を逆手に取った価格優位性と利便性の追求
── ビジネスモデルとしての優位性について、さらに詳しく教えてください。
砂田 ユーザーが「HafH」を選択する本質的な理由は三つあります。一つ目は先ほど申し上げた、信頼に基づく紹介制の動線です。
二つ目はお得さです。継続期間に応じてボーナスコインが付与され、実質的に年間12%もの還元になります。銀行に預けていてはあり得ない数字です。
── なぜ、それほど高い還元が可能なのですか。
砂田 仕入れの構造に秘密があります。私たちは一般的なOTA(オンライン旅行代理店)が扱う消費者向け価格ではなく、B2Bのホールセール価格で仕入れています。
ホテル側には、価格を公表しないことを条件に安く提供してくれる枠組みがあります。私たちはコインという独自の単位で決済するため、現金価格を公表せずに済み、この安いレートを適用できるのです。
── 広告宣伝費を抑えていることも影響していますか。
砂田 そのとおりです。一般的なOTAは売上の半分以上を広告宣伝費に投じています。私たちはそのコストをユーザーへの還元に回しています。これが二つ目の理由です。
── 三つ目の理由は何でしょうか。
砂田 予約時のストレス、つまりフリクションを徹底的に排除していることです。旅行予約は本来、非常に煩雑な作業です。
私はこの認知ストレスを極限まで減らすため、あえて選択肢を絞っています。たとえば、一つのホテルに対して表示するルームタイプは最大三つまでと決めています。
── 選択肢が多すぎると、かえって選べなくなりますね。
砂田 はい。さらにキャンセルポリシーも、前日まで無料という「ワンポリシー」に統一しています。裏側の複雑な条件はすべて私たちがリスクを取って引き受けています。
ユーザーは三回のクリックで予約を完了できます。この圧倒的な使いやすさは、一度体験すると他のサイトには戻れないほどのインパクトがあります。
── 徹底したユーザー目線の設計が、高い満足度につながっているのですね。
砂田 育児中の方などは、予約の途中で子供に呼ばれてタイムアウトになり、最初からやり直しになるストレスを抱えています。そのわずかな手間を省くことが、大きな価値になると信じています。
AIエージェントが切り拓く100兆円市場への挑戦
── 今後の展望について。5年後、10年後にどのような状態を目指していますか。
砂田 現在、最も力を入れているのはAIエージェントの開発です。旅行業界には統一されたデータ規格が存在せず、同じ部屋でもサイトによって表記がバラバラです。
しかし、大規模言語モデル(LLM)の登場により、非構造化データを読み取ることが可能になりました。これにより、業界全体のデータ統合が加速度的に進むと考えています。
── AIが旅行予約を代行してくれる時代が来るのでしょうか。
砂田 はい。ただし、旅行予約には99.99%以上の精度が求められます。AIが嘘をついて予約ができていなかった、という事態は許されません。
この高いハードルを越えるためのイノベーションを今、進めています。5年後にはその形が見え、10年後には対話を通じてAIがすべてを完結させる時代が来るはずです。
── その市場規模はどれくらいになると予想していますか。
砂田 世界の旅行市場は1,000兆円規模です。AIエージェントが普及すれば、その予約動線の多くが数社のトッププレーヤーに集約される可能性があります。
一社で100兆円規模の取引を扱うプレーヤーが登場しても不思議ではありません。時価総額でいえば、1兆ドルを超える企業が生まれる領域です。
── 日本発のメガベンチャーとして、その一角を担うということですね。
砂田 そのとおりです。戦後、日本から世界を席巻するメガベンチャーはまだ生まれていません。私たちはその第一号になりたいと考えています。
── 開発中の技術をオープンソースで公開する予定もあるとか。
砂田 開発者向けのオープンソースをいくつか公開しております。AIエージェントが実現する未来について、私自身の言葉でブログも執筆する予定ですので、ぜひ読んでいただけると嬉しいです。
── 拝見させていただきます。最後に一言、HafHを通じて実現したい社会について聞かせてください。
砂田 旅行は人生を豊かにする貴重な体験です。私たちはテクノロジーの力で、その体験へのハードルを下げ、誰もが自由に旅を楽しめる社会を創ります。
- 氏名
- 砂田憲治(すなだ けんじ)
- 社名
- 株式会社KabuK Style
- 役職
- 代表取締役CEO

