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今回、取り上げるのは英語留学や 「レチョンカワリ」に代表される料理、美しいビーチなどで有名なフィリピン。華 僑とはあまり縁がないイメージが強いですが、首都マニラに華僑博物館があるくら い歴史が古いんです。
最後に、まとめとしてフィリピンとその他の国の華僑との違 いも考察してみたいと思います。今回も、最後までお付き合いいただけますようよ ろしくお願いします。


①フィリピン華僑の歴史


まず、フィリピンという国を構成する民族について見ていきます。
フィリピンは、スペイン系(メスティーソ)、フィリピン系(ピノイ)、華僑(チノ イ)、少数民族など5つ以上の民族が暮らす多民族国家です。 しかし、現地語でチノイと呼ばれる中国系の人口比率は全体の2割程度とごくわずかで す。その歴史は確かな文献は残っていないものの、現地で中国の唐の時代の紙幣や土 器が多数出土したことを根拠に唐の時代には既に華僑が移住してきていたと推測する ことが可能です。そのルーツは、中国・福建省の中でも唐の時代に貿易の中心地とし て繁栄した僑郷(華僑のふるさと)として有名な晋江市一帯が大半を占めています。

フィリピン華僑のグループは、富裕層とブルーカラーに二極化 されていて、特にスペイ ン統治時代には西洋人が経営するプランテーション農園などで働く労働者が多かった ようです。従って、フィリピンの財閥はアヤラ(スペイン系―不動産分野)とシー(華 僑系―ビジネス分野)という二つの財閥を見ても分かるように、分野によって系統が大き く分かれています。

第二次世界大戦後にフィリピンが独立、華僑系富裕層グループはビジネスのために政 府と、ブルーカラーは中国共産党とタッグを組んで対立を繰り返しました。 前回までの国には見られなかった、華僑同士の対立がフィリピンには見られま す。 また、フィリピン華僑の歴史は即ち商売人の歴史と言われていて宗主国と中国の外交 上の政策に翻弄されながらも現地に根付いてたくましく生きてきたことは、上述の華 僑博物館の中のパネルに展示されている財閥のオーナーのほとんどが華僑であること から立証できます。


②フィリピン華僑の家庭教育


次に、家庭教育について見ていきましょう。
数か国語を操るフィリピン人は珍しくありません。 華僑に限って言えば、アメリカ統治時代に多数開校した中華学校に通って中国語で教 育を受けた者は別として、家庭内では福建語か英語を話します。 一般的に若者は英語でコミュニケーションをとる場合が多く、中国語はそれほど重要 視されない ようです。会話はできても、漢字が書けない人も珍しくないのです。 当然のことながら、 他国の華僑と比較するとその中国色はぐっと薄くなります 。 日常生活の中にも、中国をイメージさせるものはほとんど見受けられません。 スペイン統治時代の非カソリック華僑の弾圧がきっかけでフィリピン人との混血が盛 んになったため、 若い華僑たちはフィリピン国籍を持ち、カソリックを信仰し、フ ィリピン系と結婚する人が半数 を占めています。故郷である中国を忘れられずに、多 額の資金援助や華僑向け中国語学留学奨学金を開設するなど中国色が比較的強い親世 代とは違って若い世代は中国をドライな目で見ているといえるでしょう。


③華僑とその他の民族の違い(お金に関する考え方など)


まず、華僑の結束の強さについて見ていきましょう。
フィリピンでは、政治からインフラにいたるまであらゆる面を華僑財閥が握っていま す。 その存在感は、おそらく他国の華僑たちよりもずっと強烈なものだといえるでし ょう。事実、華僑限定のパーティーがマニラ市内のホテルで盛んに開催されていて華 僑の人脈作りに一役買っています。ビジネスにおいて巨大な中国市場は存在感が強い ので、こうしたパーティーで知り合った大企業のオーナーたちは一緒に旅行に行くほ ど親しいだけでなくビジネスにおいても中国と何らかのパイプを持つと噂されていま す。

次に、華僑以外の民族と華僑を比較します。 「時間、お金、接客態度」―ビジネスの基本の考えから、まず異なります。
まず、 【時間】 例えば同じ30分という時間を与えられても 華僑はビジネスに精を出しま が、その他の民族はレジャーを楽しみます。
次に、 【お金】 フィリピン系は気前よく人 にごちそうしますが、 華僑は貯金しようと節約 します。
最後に 【接客態度】 フィリピン系 は自分優先ですが、 華僑は日本人に負けず劣らず低姿勢 で応対します。