音楽を聴きながら歩く若者が耳に着けたヘッドフォンやイヤフォンに「b」の文字を見たことはないだろうか。爆発的人気を誇る米国のブランド「Beats by Dr.Dre」(ビーツ・バイ・ドクター・ドレ?)のトレードマークだ。
このブランドを立ち上げたのは、ヒップホップの革命児ドクター・ドレー氏。1980年初頭に米国でメジャーデビューし、以後、ラッパー、音楽プロデューサーとして一時代を築いた黒人ミュージシャンだ。2014年にはAppleにブランドを30億ドルで売却、世界で最も高収入のミュージシャンとなった。
なぜ彼がブランドを立ち上げ、経営者としても成功できたのだろうか。彼の生い立ち、ミュージシャン、そして経営者としての顔を振り返る。
犯罪の多い地域で生まれ育ちクラブに通う少年時代
ドクター・ドレー氏は1965年2月18日、米国ロサンゼルスに隣接するコンプトンで生まれた。本名はAndre Romelle Young(アンドレ・ロメール・ヤング)という。
コンプトンはストリートギャングが多く、犯罪率の高いとされる地域だ。成績の思わしくなかった学生時代、ドレー氏は地元にあるクラブ「The Eve After Dark」に入りびたり、生のDJに釘づけになったという。この時に現在の礎となる「ヒップホップの魂」を養ったのだろう。
仲間とグループ「The World Class Wreckin’ Crew(ザ・ワールド・クラス・レッキン・クルー)」を結成し、1983年ごろレコーディングを開始する。1984年には「Juice」「Surgery」でローカルデビューし、5万枚をセールスした。東海岸と比べて、ヒップホップが低迷していた西海岸に大きな衝撃を与えた。そのグループは残念ながら解散してしまったが、1986年にはイェラ氏、イージー・イー氏、アイス・キューブ氏らとN.W.Aを結成する。
N.W.Aはストリートの過酷さとともに、黒人に対し不当な扱いを繰り返す警官の存在を叫ぶ歌詞で注目を浴びた。デビューアルバム「Straight Outta Compton(ストレイト・アウタ・コンプトン)」は200万枚のセールを記録した。しかし、N.W.A も1991年、ドレー氏の脱退を期に消滅してしまう。
ドレー氏はその後、マリオン・シュグ・ナイト氏とレコード会社「Death Row Records(デス・ロウ・レコード)」を設立する。都市犯罪やストリートの過激化をテーマにしたギャングスタ・ラップを中心としたドレー氏のソロ・アルバム「The Chronic」が爆発的に売れた。また、Death Rowの好調な出だしにスヌープ・ドギー・ドッグ氏が加わり、西海岸のヒップホップには革命期が到来した。同時に2Pac(トゥーパック)氏が刑務所から楽曲をリリースするという破天荒なプロモーションが受け、デス・ロウの存在を不動のものにしている。マーケティングの才能もあったということだろう。
若者に絶対的な支持を受け、プロデューサーとしての才能も認められたドレー氏。音楽性と生き方に現れた、白人優位社会、黒人差別への反骨精神は、世間に大きく認められた十数年でもあった。
『Beats Electronics』 設立、ブランドは大人気誇るも売却
音楽プロデューサーとして活躍してきたドレー氏は2008年、「Beats Electronics(ビーツ・エレクトロニクス)」を設立する。音楽ストリーミングサービスやヘッドフォンブランド「Beats by Dr.Dre」などを展開した。ヘッドフォンブランド立ち上げ時、Appleの安いヘッドフォンの売り上げが好調だった。「ヘッドフォンなんかは売れない」――そう危惧していたという。そこで「スニーカーブランドはどうか?」と検討するも、「NIKE、エア・ジョーダンは追い越せない……」と断念した。
結局、ドレー氏は自身のホームグラウンドである音楽のジャンルで勝負することにし、「音楽の質」に執着した「高音質・高機能ヘッドフォン」の開発に傾倒していく。その思いとドレー氏のカリスマ性もあってか、彼の名を冠したこのブランドは驚異的な売上を記録するようになった。
しかしドレー氏は、Beatsを2014年にAppleへ30億ドルで売却してしまう。Beatsの買収に際し、AppleのCEOティム・クック氏は、こう語ったという。
「Beatsのヘッドフォンには音の伸びと広がりがあって、夜も眠れないくらい心に響くものがあるんだ。今アップルに必要なもの、それがBeatsのヘッドフォンなんだ!」
競合だったアップルの心を動かしたのは、ミュージシャン、ラッパーとして音楽に人生をかけてきたドレー氏が情熱を注いで達したクオリティーだった。
差別や暴力という、決して恵まれたとはいえない環境で育ったドクター・ドレー氏。ストリートから経営者に這い上がった背景には、好きなものを永遠に追い続ける頑強な精神にあったといえそうだ。“カネのなる木”を譲ってしまったものの、ドレー氏の音楽に対しての貪欲な感情は今でも健在だ。
そしてBeatsはAppleファミリーの一員として、これからもより多くの人々に心揺さぶるビートを届け続けることだろう。(提供: 百計オンライン )
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