富裕層が去った自治体

一方、富裕層が去った自治体はどうなっているのでしょうか。富裕層が居なくなれば、歳入が減り、公共サービスの運営に支障が生じることは容易に想像が付きます。 例えば前述のサンディ・スプリングス市が独立したことで、ジョージア州フルトン郡の税収は、年間で約40億円余りが減ってしまいました。その結果、住民の生活にはどのような変化が生じているでしょうか。

例えばゴミ収集車のゴミの回収頻度が激減してしまい、住宅地は常に腐臭が漂っている状態です。郡が運営する図書館も開館時間が2時間以上短縮され、利用している子供達も時間になれば追い出されます。郡が運営する公園の予算も削減されたため、適切な維持管理が困難になっています。さらに高齢者センターでは、食事代が値上げされることになりました。そして注目すべきは、公立病院の予算が約26億円も削減されたことです。この公立病院は、貧困層の治療には無くてはならない存在ですが、医師の数も削減され、今後貧困層の診断や治療が困難になる事態が予想されます。

この状態を受け、格差の研究をしているテキサス大学・公共社会学部のコナー准教授は、米国社会の分断が深まっている、と警告しています。

広がる格差社会

サンディ・スプリングス市という富裕層の理想郷が独立した市(City)になることは合法です。つまり、後を追って次々と富裕層が貧困層を切り捨てて独立していく動きが加速する可能性があります。このように、自治体の運営を民営に委託する仕組みは、国家や自治体が相互扶助として税金を出し、公共サービスを賄うという感覚を無くし、公共サービスは契約として金で購入するのが当然である、といった社会が台頭していきます。同時に、富裕層が去った自治体は、公共サービスを維持できないすさんだ社会を生み出していきます。

つまり、米国という一つの国家の中に、2種類の社会が現れるという、まるでSF映画の様な状況が生まれつつあります。片方では高レベルのセキュリティーや高品質の公共サービスが提供される豊かで安全な地域があり、片方では犯罪が跋扈し、治療も満足に受けられない荒れ果てた地域が増加しているのです。例えばサンディ・スプリングス市の近隣には、既に刑務所さえ維持できなくなりつつ有る地域が出てきています。近い将来、囚人達は街に解き放たれるでしょう。しかし既に警察官は失業していますから、非常に危険な街が生まれ出されつつあります。そのような地域では、公共教育も賄えなくなっていますので、教育を受けられないまま成人した住民達が仕事も得られずに、ますます犯罪に走るでしょう。一方、富裕層の自治体では、そもそも公共教育など不要で、各家庭が十分に子供達に高額な教育を受けさせることが可能です。

このように、同じ国の中で、地域格差が激しくなっていこうとしているのです。

富裕層が変貌させる国家観

米国は岐路に立っています。オバマ大統領は1%対99%の分断を無くす政策を進めたいとしています。しかし1%の人々は、それは不公平だとして独立しようとしています。ここにはもはや国家という観念が薄くなっている様に思えます。理想郷として自治体を独立させた富裕層には、もはや貧困層の人々を同じ「国民」として見る事ができなくなりつつあるのではないでしょうか。ナショナリズムが喪失しようとしているように見えます。米国での出来事は、自治体に競争原理を持ち込もうとしている道州制を目指す日本にとっては、未来の姿かもしれません。

photo:Sandy Springs Friends School At Night / RyanCrierie