メイ首相,EU離脱,基本方針
(写真=Frederic Legrand - COMEO/Shutterstock.com)

要旨

  1. 1月17日、英国のテリーザ・メイ首相が欧州連合(EU)からの離脱について12の基本方針を示し、EUの単一市場からの離脱を明言した。
  2. 単一市場に残留すれば、EU離脱ショックや移行期の混乱は最小化されただろうが、離脱に票を投じた英国民の意志に反する。単一市場への残留は、政治的に困難だった。
  3. 英国はEUとの交渉で包括的な自由貿易協定(FTA)の締結を目指す。他地域との貿易協定の交渉を妨げるため、EUの関税同盟からも離脱、EUとは新たな関税協定締結を目指す。
  4. スケジュール面では、告知から離脱までの2年間でEUとの新たな関係に関する協議をまとめ、離脱後、段階的な移行のプロセスに入り、「崖っぷち」を回避する方針を示した。
  5. 英政府の方針通りに展開すれば、離脱は英経済や英国で活動する企業にとって「ハード」なものとはならない可能性がある。だが、27カ国で構成するEUと広範なFTAを2年以内にまとめることは困難であり、英政府の望む順序、スピードで交渉が推移するとは限らない。
  6. 首相は、EUが英国を罰するべきとの立場から、英国な不利な条件を強いるのであれば、協定なしで離脱する覚悟も示した。そうなれば「崖からの転落」、「ハード」な離脱となる。
  7. 離脱が「ハード」になるか「ソフト」になるかは、EUとの協議によって決まる部分が大きく、現段階ではあまり明るい展望を描くことはできない。

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メイ首相、EU単一市場離脱を明言

1月17日、英国のテリーザ・メイ首相がロンドンのランカスター・ハウスで欧州連合(EU)からの離脱方針について演説を行ない、EUの単一市場からの離脱を明言した。

メイ首相が公式の場でEU離脱に関する方針を表明するのは、昨年10月2日のバーミンガムの保守党大会以来。この時は、今年3月末までに、EU条約の第50条の離脱手続き開始のための「告知」を行う方針を示した。また、離脱によって移民のコントロールと、EU法に関して排他的権限を持つ欧州司法裁判所の管轄権から離脱、法の支配の権限を取り戻す方針を掲げた。この段階では、「告知」は政府の権限で行い、議会の承認は必要ないとしていた(図表1)。

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ハードな離脱懸念で下げていたポンド相場は一旦反発

ポンドの対ドル相場は、昨年6月の国民投票の結果を受けて大幅に下落した後も、EU離脱を巡る不透明感からポンド安が続く(1ページ図表参照)。

特に、昨年10月の保守党大会演説後は大幅安となった(*1)。メイ首相は、離脱担当大臣のデヴィット・ディヴィス、外務大臣のボリス・ジョンソン、国際貿易担当大臣のリアム・フォックスという離脱派の意向を強く反映して方針をまとめ、しかも、協議の開始にあたり、議会の承認を求めない方針を示した。移民コントロールを優先し、EUの単一市場へのアクセスを犠牲にする「ハードな離脱」への懸念が高まったことで、ポンド安が進んだ。

しかし、今回の演説の内容には為替市場は異なる反応をした。演説前から、メイ首相が「EUの単一市場からの離脱を明言する」ことが広く報じられていたため、為替市場では昨年10月以来の1ポンド=1.20ドル割れを伺う水準までポンド安が進んだ。しかし、演説後は1.23ドル台と今年初の水準まで戻した。

好感されたのは、メイ首相が、EU離脱交渉の12の基本方針のトップに「確実性・透明性」を挙げ、英国とEUの最終合意は、英国議会の上下両院の承認を経て発効すると述べた点だ。もっぱら離脱派が主導し、残留派の意向を置き去りにしていた10月の演説時と異なり、「残留派が多数を占める議会(*2)の承認を得られるよう協議を進めるだろう」と解釈されたようだ。

昨年10月の段階では政府の権限で行うとしていた「告知」も、今月24日に予定される英国の最高裁判決で、議会の承認が必要になる見通しだ。議会は国民投票前の段階で圧倒的多数が残留を支持していた。しかし、「告知」の承認手続きにあたっては、国民投票の結果を尊重する立場から、議会がより詳細な方針の説明を求めることはあっても、「告知」自体を妨げることはない見通しだ。

昨年10月にメイ首相が示した方針通り、今年3月末までには英国政府はEU首脳会議に離脱意思を「告知」、EUとの交渉が本格的に始まるだろう。

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(*1)10月7日には1ポンド=1.26ドルから31年振りの安値となる1.14ドル台に一気に下げる「フラッシュ・クラッシュ」が起きた。

(*2)国民投票前の段階で、メイ首相を含む保守党の議員の過半数、最大野党・労働党の殆どの議員、そして第3党のスコットランド国民党(SNP)の議員は全員が残留支持を表明していた。
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不可避だった単一市場離脱

今回の演説で、単一市場離脱を明言したことで、英国は、いよいよ「ハードな離脱」を選択したと受け止められたが、そもそも、昨年10月に、離脱の条件として「EU移民のコントロール権の回復」と「欧州司法裁判所の管轄権からの離脱」を掲げた時点で、単一市場残留という選択肢は消えていた。

欧州自由貿易連合(EFTA)に加盟するノルウェーの場合、欧州経済領域(EEA)という枠組みを通じてEUと単一市場を形成しているが、英国にはEUを離脱して、EEAに参加するベネフィットは見出せない。ノルウェーは、単一市場への参加にあたって、ヒトの移動の自由を受け入れているし、EUの財政にも一定の拠出を行なっている。EUの法規制に関しては、意思決定には加わることが出来ず、一方的に受け入れる関係だ。EU加盟国としての英国が、ユーロ未導入やヒトの移動の自由のための「シェンゲン協定」に参加しないなど特権的な立場を築いていたのに比べて、EEAの地位は見劣りする(図表3)。

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EUも「単一市場へのアクセスを望むのであれば、財・サービス・資本・人の4つの移動の自由を受け入れなければいけない」、「いいとこどり」は許さないという立場を貫いてきた。2017年はオランダ、フランス、ドイツと主要国で重要な選挙が相次ぐ。離脱を選んだ英国に特例を認めれば、反EU、反ユーロ、反移民・難民を掲げる政治勢力を勢いづかせ、EUの制度を維持できなくなるおそれがあり、譲歩出来なかった。

4つの自由の原則を受け入れて、単一市場に残留すれば、EU離脱ショックや移行期の混乱は最小化されただろう。EUからの大量の移民の流入やEUの法規制を嫌い離脱に票を投じた英国民の意志に反する。

単一市場への残留は、政治的に困難だった。

関税同盟からも撤退。しかし、英国はEUとの包括的な自由貿易協定を目指す

メイ首相は、17日の演説で、単一市場ばかりでなく、単一通商政策と域内のゼロ関税、域外共通関税からなる関税同盟からも撤退する方針を表明した(図表2基本方針9)。

EUとは包括的な自由貿易協定(FTA)の締結を目指し、金融サービス、自動車については共通ルールを取り入れる可能性も示唆した。関税についても新たな協定での合意に意欲を示し、その一例として、関税同盟の準加盟国といった地位も挙げた。EU市場との間でのゼロ関税を望みながら、関税同盟からは撤退するのは、米国や中国などEUがFTAを締結していない域外地域と、新たな協定の締結に動くためだ。

今回示された「より広く開かれた英国」を目指す方針はボリス・ジョンソン外相らが率いた離脱派が国民投票のキャンペーン時に展開した主張と重なる(図表4)。キャンペーンで、過剰に強調されたEU財政への拠出金の負担については、加盟国としての義務的な拠出の必要はなくなるが、EUが運営するプログラムに選択的に参加し、必要に応じて拠出する意向を示した。

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離脱協議と並行して包括的FTAについても協議。移行期間も設ける

スケジュールの面では、「告知」から離脱までの2年間で、EUとの新たな関係に関する協議をまとめ、離脱後、段階的な移行のプロセスに入り、「崖っぷち」を回避する方針を示した。

EUを離脱する時点で着地点が決まっており、着地点に至るまでに一定の移行期間があるとすれば、EU離脱は英経済や英国で活動する企業にとって「ハード」なものとはならない可能性がある。

だが、27カ国で構成するEUと包括的なFTAを、離脱までの2年という期限でまとめることは困難という見方が大勢だ。例えばスイスとのFTA交渉にはおよそ10年を要し、カナダとの包括的経済協定(CETA)も合意までに5年を要した。12月6日、英国の離脱協議のEU側の主席交渉官のミッシェル・バルニエ氏は、10月の就任以来初の記者会見で「協議に費やすことができる期限は18カ月以下」として、2年よりも短い期間で最終合意をまとめる必要があると述べてもいる。

英国とEUの交渉が、英国側が望む順序、スピードで交渉が推移するとは限らない。

協定なしの「ハード」な離脱も覚悟

メイ首相は、EUが英国を罰するべきとの立場を採り、英国に不利な条件を強いるようであれば、協定なしで離脱する覚悟も示した。そうなれば「崖からの転落」、「ハード」な離脱となる。

離脱が「ハード」になるか「ソフト」になるかは、今後のEUとの協議によって決まる部分が大きい。現段階ではあまり明るい展望を描くことはできない。

伊藤さゆり(いとう さゆり)
ニッセイ基礎研究所 経済研究部 上席研究員

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