2017年1月、ドナルド・トランプ氏がアメリカ新大統領に就任しました。破天荒な物言いでなにかと物議を醸していますが、世界屈指の不動産王としてよく知られている人物でもあります。トランプ氏はいかにして「不動産王」と呼ばれるようになったのでしょうか。その波乱に満ちた半生と、ビジネスの軌跡を探ります。

父に学び、父を超えた青年時代

ドナルド・トランプの父、フレッド・トランプ氏は、最初は労働者向け一戸住宅の事業で財を築きました。黄金の20年代と呼ばれた時代に大成功を納め、1929年の大恐慌時からもいち早く抜け出して、セルフサービスのスーパーマーケットという当時としては独創的な業態で成功したのです。

1946年、ドナルド・トランプ氏は、この堅実な不動産事業者であった父の5人の子どもの次男として生まれます。

幼少期は現在を彷彿とさせるいたずら小僧だったそうですが、私立の士官学校、ニューヨーク・ミリタリー・アカデミーで軍隊式の規律を学び、その後アメリカ一のビジネス・スクールである超名門・ペンシルべニア大学ウォートン校に進学、同大学院でMBAを取得します。

卒業後トランプ氏は、父親の経営する中低所得層向け不動産会社に入社し、不動産投資関連の知識を身に付けます。しかし彼は、父親の堅実なスタイルとは異なり、派手でスケールの大きな不動産ビジネスに突き進みます。

派手な買収や「名義貸し」で荒稼ぎ

1980年代から1990年代にかけて、トランプ氏は内装が派手なビルやリゾートホテルなど、話題を呼ぶ大型不動産を次々と世に出し、全米に「トランプ」の名を広めていきます。

高層ビル建設では、空中権取得のために複数の関係者を巧みな交渉術で説得したり、あるいはカジノ経営拡大のためにライバル会社から幹部を高給で引き抜いて使い捨てたり、まさに豪腕を地で行くビジネスに邁進し、世界各国に広がる「トランプ王国」を築き上げていきました。

またこうした不動産売買と並行して、1980年代に参入したのがカジノ・ビジネスです。ニュージャージー州にあるアトランティックシティの一部を買収し、敷地内に宿泊施設も建設しました。後にホリデイ・インも買収し「トランプ・プラザ・ホテル・アンド・カジノ」を誕生させます。さらに同地区にあるヒルトンも買収してカジノ施設に再建。「トランプ・キャッスル(トランプの城)」としてスタートさせました。

不動産の売買やカジノ以外に大きな収入の柱となっているのが、「ライセンス事業」です。建設会社などと名義貸し契約を結び、リゾートホテルやゴルフ場に「トランプ」というブランドを提供することで、本人はまったく経営に携わることなく、数億ドルのライセンス料を受け取るというビジネスモデルは、現在でもトランプ王国の大きな収益源となっています。

一時は「世界でもっとも貧乏な男」との烙印も

ただし、すべてが順風満帆で進んだわけではありません。1980年代後半には、イースタン航空のシャトル便路線を買収し、「トランプ・シャトル」という航空会社を起こしましたが、巨額の借金を抱えることとなり、そのあおりでカジノやホテルも倒産に追い込まれました。

1990年代には米国の景気後退もあり、この頃のトランプ氏は総資産が急激に落ち込みます。しかしトランプ氏はこの時期、得意の交渉力で複数の銀行と債務を帳消しにする契約を結び、早くも1990年台後半の好景気を追い風に、カジノやホテルをオープンさせ、再び不動産王として華々しく返り咲いたのです。

ただその後も、トランプ氏のカジノ・ホテル事業は上昇と下降を繰り返し、2004年には多くのカジノ・ホテル事業が破産の憂き目を見ます。私生活上でもさまざまな問題が押し寄せていました。最初の妻との離婚、愛人との浮気がマスコミで大々的に取り上げられ、「トランプブランド」は地に落ちます。投資の失敗、破綻なども重なり、総額推定9億ドルの負債を抱え、経済誌から「世界一貧乏な男」という、不名誉な名も付けられました。

こうした状況を抜け出す大きなチャンスとなったのが、ビジネス初心者を厳しく選考するテレビ番組「ジ・アプレンティス」でした。この番組で司会者として大衆的な人気者を得たトランプ氏は、ビジネス界からも再び注目を集め、復活したブランド力を武器に、再び大きな勝負に打って出たのです。

再び不動産王へ、そして大統領に

現在、トランプタワーをはじめ、高級ホテルやゴルフ場など、世界中にトランプの名を冠した不動産や商業施設は多数あります。ニューヨークの五番街に建つ高層ビル「トランプ・ワールド・タワー」には、世界で活躍するスポーツ選手や有名人が多く暮らしています。またラスベガスやニューヨーク、ワイキキ、アトランティックシティなど、超都心や観光地などの好立地にも多くの不動産を建設・所有しています。

トランプ氏は「ひとつの取引に臨む場合、成功させるための計画をひとつではなく、5〜6パターン用意しておく」と発言をしています。リスクを最大限に考慮し、入念に複数の計画を練り、冷静に取引に臨んでいくビジネス・スタイルがあったからこそ、今日の不動産王の地位が築けたといえるでしょう。

私生活ではモデルや女優らと3回結婚するなど、女性好きを公言し、またビジネスからマスコミ、政治まで、多方面にわたる放言・毒舌に眉をしかめる人は多くいます。

一方で同業者からは「ビジネスマンとしての彼は天才。世界には今、彼のように交渉に長けた人材が必要」と絶賛する声も聞こえてきます。

不動産王・実業家としてのしたたかな生き方と経験は、国のリーダーとしての力に生かされるのでしょうか。大統領としての今後の手腕が大いに気になるところです。(提供: 不動産投資セミナー

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