失敗しても、リカバーするまでが40代の責任だ

上田準二,40代の大ピンチ
(画像=The 21 online)

商社や食品会社を経てコンビニ大手ファミリーマートのトップに就任し、大規模な経営統合などを主導してきた上田準二氏。2017年の突然の引退は、それをネタにした「黒幕引き丼」の発売などでも話題になった。自らのキャリアを振り返りつつ、後輩世代の40代にアドバイスをいただいた。《取材・構成=村上敬、写真撮影=まるやゆういち》

年収は減っても「評価」に応えるべき

コンビニ業界を長年牽引してきた名物経営者、ユニー・ファミリーマートホールディングスの上田準二氏が、2017年3月、社長から取締役相談役に退き、さらに2カ月後には取締役を退任。鮮やかな幕引きでサラリーマン人生の掉尾を飾った。上田氏の目に、さまざまな悩みを抱えた今の40代ビジネスマンはどう映っているのか。

「サラリーマンにとって40代は中間点に過ぎません。昔は定年が早かったけど、最近は65歳まで働くことがあたりまえになって、将来は70歳定年もありうる。そうすると、40代はちょうど折り返し地点。まだこれからです。

実際、キャリアが分かれ始めるのも40代です。20~30代は、とにかくスキルを磨いて、プレーヤーとして経験を積んでいく時期で、それはだいたいみんな同じです。しかし、40代になると、それまでに磨いたスキルを発揮して中間管理職として実績を出すことが求められる。その結果によって、マネジャーあるいはプレイングマネジャーとしてそのままやっていくのか、さらに上のポジションをいくのかも決まってくる。キャリアの分岐点です。

私が伊藤忠商事で課長になったのも、40歳頃でした。実は最初は、出世したくなかったんですよ。課長を拝命したとき、真っ先に頭に浮かんだのは年収のことです。当時は、残業の割増賃金でばっちり稼いでいましたから。ところが、課長になるとそれがなくなり、年収が減ってしまう。妻にどう言い訳すればいいのかと頭を抱えました(笑)。

それでも課長昇進を受け入れたのは、会社が自分の能力を評価してくれたから。人に認められることのありがたさは、お金に換えられるものじゃない。そう考えたら、年収くらいなんだと思えるようになりました。

それに冷静に考えると、いったん年収が下がっても、そのあと管理職として階段を上っていけたら、プレーヤーで居続けるより生涯年収は高くなります。結局、自分が頑張れば年収の問題は解決するんです」

水曜日に部下を一斉に休ませた理由とは?

プレーヤーとマネジャーの最大の違いは、部下がいて、そのマネジメントが必要になること。そこに悩む四十代も多いが、「むしろ楽しかった」と振り返る。

「仕事においてもっとも重要なもの――。それは社内外で信頼できる仲間を増やすことです。できるだけ広範囲に、ただ知っているだけでなく、心の通い合う仲間を作る。それでたいていの仕事はうまくいきます。

部下は、心通い合う仲間になり得るもっとも身近な人たちでしょう。だから課長になって部下を持つとき、仲間が増えると思って楽しみでした。

今の若い人は考え方や行動が不可解で、心が通わない、ということも聞きますが、価値観が違うのは当たり前です。『今どきの若いやつは』というギャップは、いつの時代もありました。私から見れば、今の40代の方も世代が違うと感じます。

では、ギャップを埋めるにはどうすればいいのか。私は上司自身が、部下の間に入っていくしかないと思う。いまの時代に同じやり方が通用するかわからないけど、私はとにかく部下を飲みに連れて行って、話をしました。

当時、私がいたのは、食用の鶏肉を輸入する畜産課。自分たちが輸入した食肉原料がどのような最終商品になっているのか調べるのも勉強だと、『焼き鳥研究会』を毎晩開催していました。時には終電を過ぎることもありましたが、そんな時は、部下を近隣のホテルに泊まらせて、しっかりサウナにでも入って翌朝はシャンとした顔で出てこいと、檄を飛ばしたものです。

ただ、いつもこの調子ではみんな疲れますので、水曜日になると部下を一日休ませました。急ぎの仕事があっても、『そこは俺がやっとくから、いいから休め』と。水曜日、畜産課のシマには私一人しか座っていなかったから、管理部門からずいぶん目をつけられました。

もちろん普段の仕事でも、部下のフォローはやっていました。たとえば『他の商社にお客様を奪われた』と報告があれば、突き放すのではなく、翌週一緒に行って、自分が営業するところを見せて教えます。そして、部下が真似をして結果が出たら、ちゃんと部下の手柄として褒めます。山本五十六の『やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ』です」

上田準二,40代の大ピンチ
(画像=The 21 online)

将来を憂う前に、今日に集中せよ

プレイングマネジャーとして成果を上げつつ、そのうえで部下をフォローするのは大変だったが、不満に思ったことはないという。

「課長というのは、上からの要求に応え、部下のフォローをし、自分でも成果を出さねばならない。労力に比して地味な役回りです。でも、どんな仕事も仕事を誰かがしっかりやってこそ、全体がうまく回るのです。だから損な役回りだとか考えず、目の前の仕事に集中していました。

相撲で言えば、『今日一番』。力士は、千秋楽のことを考えて相撲を取るわけじゃない。毎日毎日、目の前の取り組みに集中して、その結果として勝ち越しとか優勝がついてくるわけです。

仕事も同じです。マネジャーになりたての四十代は精神的なものも含めていろいろキツいかもしれない。ときには、他の人のほうが恵まれているように見えることもあるでしょう。でも、『やらされ感』で仕事をしているうちは伸びません。一見地味に見える仕事でも、それを着実にこなし続けることで自分は成長していく。そう考えることで前向きな気持ちになれるし、実際にステップアップしていけます」

つらいときに唱えていた「呪文」とは?

大変なときも、つらい状況も、プラスに受け止めて豪快に笑い飛ばす上田氏。ポジティブに考えることの重要性はわかるが、実際にどうやって気持ちを切り替えているのか。

「自分は不遇だと思っていると、先が見えなくなってしまいます。どうしてもそうした思いから抜け出せない人は、毎日朝晩、『元気、勇気、夢』と呪文のごとく3回唱えることをすすめていました。元気とは何か、勇気とは何かと理屈っぽく考えなくていい。とにかくポジティブな言葉を発していたら、だんだんその気になるんです。

これが板についてくると、苦しい状況ほど快感になってきます。今は厳しいけど、この試練を乗り越えたら自分はさらに大きくなれる。そう思って逆にワクワクしてきます」

40代では戦略的な仕事が求められる

上田氏自身、40代最大の試練をこのポジティブシンキングで乗り越えたという。

「畜産課長をしていた頃の話です。通常、食肉はアメリカやオーストラリア、デンマークなどのサプライヤーから買い付けて、それを国内の買い手に販売します。しかし、私は先にお客様から注文を取って、それから買い付けにいきました。国内のお客様をいち早く押さえたので、ライバルの商社は注文がとれず、サプライヤーに発注することもできません。そうすると、いつも日本から注文が入る時期に注文がなくなるので、食肉相場は下落。そこに私が登場して、安く買い付けるというわけです。

この掟破りの方法で、2年は莫大な利益を得ました。しかし、調子に乗って天罰が下ったのでしょう。3年目に大手のサプライヤーが倒産して、すでに注文を受けた食肉原料を急に調達できなくなったのです。急いで国内市場に出荷済みの原料を押さえましたが、それでも6割しかカバーできず、4割分は会社に大損害を与えてしまいました。

社内の評価はガタ落ちです。きちんと会社から許可をもらってしていた仕事なのに、いざ失敗すると、『いい加減なお前が悪い』と。業界でも『上田が調子に乗って倍返しを食らったらしい』と笑いものです。

結局、この失敗の処理に一年以上かかりました。針のむしろの一年でしたが、このとき支えてくれたのも、『元気、勇気、夢』。逃げずに前向きに敗戦処理を地道に頑張っていたら、逆にお客様から『信用できる奴だ』と評価されて、その後、長い取引関係を築くことができました。

仕事に戦略、戦術、実践のレベルがあるとしたら、20代、30代の仕事は戦術や実践で、失敗してもたいしたダメージはありません。しかし、40代になると戦略的な仕事にシフトしていき、一つの失敗が命取りになることもある。だからむやみにリスクを取りに行くのはダメ。現実にリスクはどの程度なのか、失敗したときはどうやってリカバーするのかを計算したうえでリスクを取りに行くべき。それが40代の責任です。

もしそこまで考えて結果的に失敗したなら、仕方がないじゃないですか。厳しい状況を乗り切る方法について悩んで考えるのはいい。だけど、気分まで落ち込ませる必要はない。40代は今まで経験してこなかった壁にぶち当たる時期ですが、追い詰められたときほど『元気、勇気、夢』で前を向いてほしいですね」

【コラム】家でも「元気」でいることが家庭円満の秘訣!?

最近は働き方改革で長時間労働が否定されているが、上田氏が40代の頃は正反対の働き方が主流だった。ライフとのバランスは、どう取っていたのだろうか。

「当時は、家族を顧みることはほとんどなかったです。埋め合わせしようと今になって妻を旅行に誘ったら、『私にも趣味の友達がいます。あなたのスケジュールに合わせられません』と言われてしまいました(笑)。それでも当時、家庭が崩壊しなかったのは、家でも『元気、勇気、夢』を実践していたからでしょう。時間が早かろうと遅かろうと、しょぼくれた顔して家に帰れば、家庭の空気も悪くなります。だから仕事がキツいときほど、意識して元気な顔をして家に帰るようにしました。12時前に帰宅できた日は、『今帰ったぞー!風呂に入るぞ!一緒に入るか!?』と言うくらいの勢いです。そして、朝はまたハツラツと出社する。そうすると妻もなんとなく機嫌がいい。今は時代が違うけど、どうしても忙しくて遅くなるときは、家庭でも明るく振る舞うことが大切ですね」(上田氏)

上田準二(うえだ・じゅんじ)
ユニー・ファミリーマートホールディングス〔株〕相談役
1946年、秋田県生まれ。山形大学を卒業後、70年に伊藤忠商事に入社。畜産部長、関連会社プリマハム取締役を経て、99年に食料部門長補佐兼CVS事業部長。2000年にファミリーマートに移り、02年に代表取締役社長に就任。13年に代表取締役会長に就任。ユニーグループとの経営統合を主導したのち、16年、ユニー・ファミリーマートホールディングスの代表取締役社長。17年3月から同社取締役相談役、5月に取締役退任。(『The 21 online』2018年1月号より)

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