フランス革命後に登場した「メートル」

古代には他にも自然物のサイズ、人や家畜の能力などが「基準」として採用されていました。面白いところでは「牛の鳴き声が聞こえる長さ」とか「トナカイの枝角の分かれ目を見分けられる距離」とか「熱々のお茶が飲み頃になるまでに走れる長さ」などを単位にした例もあります。

15世紀の半ばに大航海時代が幕を開けてから、各国は盛んに交易するようになりました。しかしそうなってくると、それぞれの国がそれぞれの単位を使っていることの障害が浮き彫りになります。交易をスムーズに行うための「世界共通の単位」を求める声が高まる中、フランス革命直後のフランスで、1790年にタレーランが新しい長さの単位(後のメートル)の制定を求める法案を提出しました。

メートルは、「ものさし」や「測ること」を意味するギリシャ語のmetron(あるいはラテン語のmetrum)が語源です。

新しい単位の基準を何にするかは議論がありましたが、最終的には、北極点から赤道までの距離の1000万分の1を1メートルに定めることが決まりました(赤道の長さの4000万分の1という案もありましたが、赤道を実測するのは難しいことから見送られました)。だいたいダブルキュービット(約1m)程度になるように配慮されたそうです。それまでの経験上、1ヤード(0.9144m)と同じくダブルキュービット程度を基準にしておけば、生活をする上で都合がいいことを知っていたのでしょう。

メートル導入まで100年もかかった理由とは?

議会の決定を受けて、1792年には測量が始まっています。実測したのは、パリを通る子午線上のフランスの北端ダンケルクからスペイン領バルセロナまでの距離です。測量が終わったのは1798年ですから1メートルの長さを定める測量は実に6年もの歳月を要しました。この測量結果とダンケルクとバルセロナの緯度の違いから北極点から赤道までの距離が算出され、1799年には1mの長さを定めたいわゆる「メートル原器」が制作されています。

1メートル
(画像=The 21 online)

こうして1メートルの長さがようやく決まったわけですが、その普及は思うようには進みませんでした。その一つの要因は(今となっては意外ですが)メートルがデシ(10分の1)、センチ(100分の1)、ミリ(1000分の1)、キロ(1000倍)などの十進法を採用したからだと言われています。それまでのヨーロッパでは十二進法の方が一般的だったのです。

国際的な長さの単位の統一を目的としていわゆる「メートル条約」が結ばれたのは、測量から約100年後の1875年のことでした。

いずれにしても地球の1周がおよそ4万km =4000万mなのは1メートルの長さを決める際にこのような経緯があったからです。

(出典:『東大→JAXA→人気数学塾塾長が書いた数に強くなる本』)

永野裕之(ながの・ひろゆき)「永野数学塾」塾長
1974年、東京生まれ。暁星高等学校を経て東京大学理学部地球惑星物理学科卒。同大学院宇宙科学研究所(現JAXA)中退。レストラン経営、ウィーン国立音大への留学を経て、現在は個別指導塾・永野数学塾(大人の数学塾)の塾長を務める。これまでにNHK、日本経済新聞、プレジデント、プレジデントファミリー他、テレビ・ビジネス誌などから多数の取材を受け、週刊東洋経済では「数学に強い塾」として全国3校掲載の1つに選ばれた。プロの指揮者でもある(元東邦音楽大学講師)。著書に『東大教授の父が教えてくれた頭がよくなる勉強法』『数に強くなる本』(PHPエディターズ・グループ)、『大人のための数学勉強法』(ダイヤモンド社)など多数。(『The 21 online』2018年3月号より)

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