ドイツを支えたジャガイモ

冷涼な気候のドイツ北部地域にとって、飢饉を乗り越えることは大きな課題であった。

しかも近隣諸国との紛争の多かった中世ヨーロッパでは、食糧の不足は国力や軍事力の低下を招く。そのため、ジャガイモの普及が重要な課題だったのである。

そこで、プロイセン王国(ドイツ北部)のフリードリッヒ2世は、ジャガイモの普及に取り組む。そして、人々が嫌うジャガイモを毎日のように自ら食べ、各地を回ってはジャガイモ普及のキャンペーンを展開したのである。また、いかにも大切なものであるかのように、軍隊にジャガイモ畑を警備させて、人々の興味を引かせた。そしてときには、武力で農民にジャガイモの栽培を強要したという。反抗する者には鼻と耳をそぎ落とす刑罰を与えたというから恐ろしい。しかし、この努力によってドイツには早い時期からジャガイモが普及することになるのである。

現在でもジャガイモは、ジャーマンポテトを始めとしてドイツ料理には欠かすことのできない存在である。

ルイ16世の策略

こうして徐々にヨーロッパの国々に広まっていたジャガイモだが、フランスにはなかなか広まらなかった。このフランスにジャガイモを広めた仕掛け人が、パルマンティエ男爵である。フランスとドイツ(プロイセン王国)が7年戦争を行ったときに、ドイツの捕虜となったパルマンティエは、ドイツの重要な食糧となっていたジャガイモを食べて生き延びた。

ヨーロッパが大飢饉に見舞われたとき、フランスはコムギに代わる救荒食を賞金付きで募集した。このときにパルマンティエがジャガイモの普及を提案したのである。

そして、彼の提案どおり、ルイ16世は、ボタン穴にジャガイモの花を飾った。そして、王妃のマリー・アントワネットにジャガイモの花飾りを付けさせて、ジャガイモを大いに宣伝したのである。その効果は絶大で、美しい観賞用の花としてジャガイモの栽培がフランス上流階級に広まり、王侯貴族は競って庭でジャガイモを栽培するようになった。

次に、ルイ16世とパルマンティエ男爵は、国営農場にジャガイモを展示栽培させた。

そして、「これはジャガイモといい、非常に美味で栄養に富むものである。王侯貴族が食べるものにつき、これを盗んで食べた者は厳罰に処す」とお触れを出して、大げさに見張りをつけた。

ジャガイモを庶民の間に普及させたいはずなのに、どうして独占するようなマネをしたのだろうか。じつはこれこそがルイ16世らの巧みな策略だったのである。

国営農場は、昼間は大げさに警備したが、夜になると警備は手薄にした。そして、好奇心に駆られた人々は、深夜に畑に侵入し、次々にジャガイモを盗み出したのである。こうしてジャガイモは庶民の間にも広まっていった。