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幼い頃から四兄弟とすかいらーくの発展を間近で見てきた横川潤氏(画像=Foodist Media)

すかいらーく成功の理由、端氏長男の潤氏が語る「天・地・人」

すかいらーくはグループ総店舗数3000超、正社員6000人超(同社HP)の巨大企業である。日本の外食産業の萌芽の時代に誕生し、外食産業をリードする存在となった。このように大きな成功を収めた理由を、端氏の長男で、現在文教大学国際学部国際観光学科教授の横川潤氏は「天の時、地の利、人の和」と3つがそろった点にあるとする。

天の時・・・「高度経済成長が後半に差し掛かり多摩地区には比較的可処分所得があって、マイカーもかなり普及し巨大な市場が誕生してきた時でした。外食に対する漠然としたニーズがあり、そこに家族で外食という新しいライフスタイルの提案ができたということでしょう」。

地の利・・・「自動車で移動して食事というスタイルには幹線道路が多く、使える土地も多かった多摩地区は適していました。(前身の)ことぶき食品が電車で簡単に移動でき、土地も少ない都心にあったら、すかいらーくの発想は生まれなかったと思います」。

人の和・・・「普通の同族会社だと兄弟で仲違いしたりしますが、その点、非常にうまくいったと思います。それと戦争経験。(人生そのものが)どん底から、あるいはマイナスからのスタートになっていて、その起業のエネルギーというのは現代からは想像できないほどでした」。

すかいらーくを作った強烈な4つの個性、そして果たした役割

「人」という点において、横川潤氏は父を含む4人の兄弟を間近で見てきた。同氏による4人の評価が興味深い。

端氏・・・「兄弟をまとめ、客観的に物事を判断する力はすごいと思います。非常に冷静で4人の中では一番、他人に信頼されるタイプでしょう」。

亮氏・・・「典型的なアントレプレナー(起業家)。やり手の経営者であり、非常にハングリーです」。

竟氏・・・「傑出したコミュニケーション能力、一種の天才だと思います。会う人、会う人、みんなファンになってしまう。亮さんはちょっと負のオーラがありましたけど、竟さんは対照的に明るくて人に好かれるタイプで、それは会社経営においてプラスになったと思います」。

紀夫氏・・・「職人的、芸術家肌というべきか、物事を生み出すアイデアがすごい人です。今でも話をしますが80歳近くになって『よくこんな独創的で柔軟なアイデアが出るな』と思います」。

こうした強烈な個性を持つ4人が集まって、強烈なハングリー精神を持っているということは稀有なことであり、豊かになっていく時代の流れと、強烈な経営者群像とのマッチングで、すかいらーくが誕生したというのが同氏の考えである。こうして一気に巨大企業となったすかいらーくだが、日本の外食産業に与えた影響、果たした役割はどのようなものなのだろうか。

「すかいらーくをはじめとする企業によって、飲食業が近代的で健全な産業になったのは確かでしょう。いわゆる『水商売』から産業にしていくという理念を、当時の経営者たちが共有し実現したのです。すかいらーくが登場する前と後で、はっきりと歴史は変わっていると思います。そしてみんなが外食に親しむようになり、平均的な文化度を上げた、底上げができたように思います」。

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(画像=すかいらーくが日本の外食産業に与えた影響を語る横川潤氏(画像=Foodist Media))

文化活動、現役ビジネスマン、横川四兄弟のその後

最後に四兄弟のその後について記して、この連載を締めくくることとしよう。

端氏は最高顧問辞職後、文化活動に力を入れる。1988年に東京交響楽団の理事長職となった。その後、理事長職を退き、現在は会長として楽団を精神的にバックアップしている。2016年には本連載でもたびたび引用させていただいた自伝「エッセイで綴るわが不思議人生」(文芸春秋社・私家版)を上梓した。句集の出版もしており、俳句の活動も続けている。

竟氏は、2014年に株式会社高倉町珈琲を設立し、2017年現在、代表取締役会長を務めている。同社は同年末現在で17店舗、首都圏だけでなく、石川、富山など北陸地方にも出店している。同社のHP内のブログで情報を発信し続けている同氏は「今とこれからのお客様に本当に喜んでいただける店をつくりたいのです」とした上で、自らの人生を振り返り「『不完全』ばかりだったことを悔やんでいることもあって、今日も挑戦を続けている気がします」と記している。

紀夫氏は、株式会社ヴィア・ホールディングスの取締役会長を務めている。同社は店舗数551、業態は29、外食産業の大手企業であり、M&Aも積極的に行っている。また、2002年には設立されたディーン&デルーカジャパン(現株式会社ウェルカム)の社長に就任した。同社社長は現在、子息(長男)の横川正紀氏が務めている。紀夫氏の次男横川毅氏は株式会社ウィルプランニングを経営。『NINJA』(東京、京都、ニューヨークに4店舗)などエンターテイメント性、文化性の高いフードサービスビジネスを手がけ、紀夫氏は会長も兼務している。創業した四兄弟は同族支配の弊害を防ぐために株式上場以前に身内から後継者を出さないことを決め、茅野亮社長が退任した2002年には他の兄弟も役員を退任、2008年にすかいらーくを去る時も一斉に身を引いた。しかし、四兄弟それぞれの子は創業者たる親の薫陶を受け、多くがフードサービスビジネスに関わっている。

亮氏はことぶき食品の時代から社長を40年近く務め、2001年に退任後は最高顧問となり、2008年8月に他の兄弟とともに退任。2009年10月、最後の『すかいらーく』、川口新郷店が看板を降ろしガストとなった半年後の2010年5月4日、急性肺炎で死亡した。75歳。6月に都内のホテルで行われたお別れの会には元首相、財界の大物など1000人を超える人が故人との別れを惜しんだという。(連載「すかいらーく誕生 1970年の夜明け」終わり)

(提供:Foodist Media

執筆者:松田 隆