(本記事は、ひろゆき氏の著書『自分は自分、バカはバカ。他人に振り回されない一人勝ちメンタル術』=SB クリエイティブ出版、2019年4月15日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)

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「ネガティブな感情」を消す2つのルール

ストレス,発散,ためない
(画像=Shutterstock.com)

あえて、イヤな記憶をフラッシュバックさせる

日々生きていると、イヤな目に遭うことは避けられません。

他人から理不尽に怒られたり、近所の人にゴミ出しのことで文句を言われたり、いきなり天気が崩れて休日の予定が台無しになったり。誰かにぶつかってこられたとか、足を踏まれたとか、どんなにお金持ちだろうと、イヤな思いをすることは必ずあります。

時には、過去の失敗や不運がフラッシュバックしてきて、「ああーっ」と頭を抱えたくなることだってあるでしょう。

僕自身もこういうことはあるんですけど、対処法を見つけてからは、大して気にならなくなりました。

注意してほしいのは、「イヤな記憶」への対応方法は、人のタイプによるということ。人間のタイプには大きくわけて次の2つがあります。

・イヤなことを考え続けられる人
・イヤなことを考え続けるとそれがストレスになり、自爆してしまう人

僕は前者だということがわかっているので、それに応じた対処法を取るようにしているわけですが、もしあなたが後者の場合は、これから紹介する方法を無理に実行しないほうがいいでしょう。一、二度試してみて、どうしてもストレスが悪化するのであれば、あとでお伝えする別の方法を検討してくださいね。

「イヤな記憶」に対する僕の対処法は簡単で、あえて何度もそのことを思い出すようにするというもの。

たとえば、電車の中で足を踏まれて、なおかつ怒鳴られるなんて理不尽な目に遭ったら、すごくムカつきますよね。だけど、それを何度も何度も思い出していると、そのうち何も感じなくなる。人間の脳は、同じ刺激に慣れる性質がありますからね(繰り返しますが、何度思い出しても慣れない人は、無理に思い出そうとはしないでくださいね)。

足を踏まれて怒鳴られた時、自分ははたしてどうすればよかったのか。こっちも怒鳴り返してやったら、すっきりしたのか。でも、そんなことをすればさらにもめてもっとイヤな気分になっていたかもしれない。いや、やっぱり怒鳴り返すべきだったのか。でも現実にはそうしなかったし、今さらどうしようもない。じゃあ、やらなかった過去の自分が悪いのか。だけど、自分に非がないのに、なぜ自分を責めなければいけないのか……。

こんなことを繰り返し考えていると、僕はどうでもよくなってきちゃうんですね。

「イヤなこと」が思い浮かんだ時のリアクションを決める

イヤなことがあった時にあれこれ悩んでしまうのは、「こうすればよかった」という後悔があるからです。だけどたとえば、いきなり怒鳴られて動揺したら、とっさにうまい反応なんてなかなかできないですよね。だから、その時の自分の反応なんて、どうしようもないことです。よく考えてみると人間って、そんなに自分の言動に主導権を持っていません。

雨が降ってきた時、雨に対して真剣に怒る人はいないじゃないですか。もちろん、にわか雨に降られたらぶつくさ文句は言うにしても、雨自体に怒っているわけではないでしょう。僕たちは、自然現象に対してある意味あきらめている。

であれば、自分自身の反応も自然現象だと考えてみる。「自分のできること」ではないと認識すれば、雨に怒らないのと同じで、どうでもよくなってくるわけなのですよ。

では、イヤな記憶を思い出すことがどうしてもストレスになってしまう人は、どうすればいいか。

これは僕の知り合いが実行している方法なんですが、彼は「イヤなことを思い出した時」にするリアクションを決めているそうです。

たとえば、「大事なプレゼンで失敗してしまった」ということを思い出して、「ああーっ」となってしまったら、「左手をぐっと握る」。「告白したけどふられた」ことを思い出したら、「右の耳たぶを引っ張る」とか。

そうやってリアクションをあらかじめ決めておいて実行するようにすれば、アクションのほうに意識が向きますから「イヤなこと」自体がだんだん気にならなくなってくる。これはうまい対処の仕方だと思います。

イヤなことをずっと考えるのが辛い人は、思い出した時に意識を別のことに向けるように心がけるのがいいでしょうね。寝るのでもいいでしょうし、運動するのでもいいでしょう。とくに運動は集中しやすいので、おすすめです。余計なことを考える暇をなくしましょう。

自分自身を「機械」or「動物」として俯瞰してみる

多くの人は、自分たち人間のことを「知性的な存在」だと考えているようですが、僕はそうでもないと思っています。なぜなら、人間が物事を判断する際に使われるのは、たいていの場合、知性というより、「勘」や「その時の気分」などといった動物的な本能だからです。

たとえば、目の前にお茶と水を出されたとしましょう。あなたは、あれこれ考えた末に、お茶に手を出したつもりかもしれませんが、はたしてそれはあなたの意思によって選択した行動といえるでしょうか?

自分で選んだつもりでも、その日の温度や湿度といった環境に影響されたのかもしれないし、以前見たテレビのCMに影響されたのかもしれない。生まれつき、お茶の香りを好む遺伝的な形質があったのかもしれない。

人間は自由意思で選択したと思っているけど、たんに受けた刺激に対して、機械的に反応を返しているだけなのかもしれません。

恋愛や結婚にしてもそう。自由恋愛では、自分の意思で相手を選んだと多くの人は思っているけど、たんに脳のニューロンがたまたまそういうタイプに強く反応しているだけで、それを恋とか愛とか思い込んでいるだけ、と考えることもできるわけです。

もしかしたら皆さんは、「人間は機械じゃない!」といいたくなるかもしれませんが、自分のことを機械的な反応を返す機械、あるいは本能で行動する動物だと客観的にとらえてみると、メンタルを整えやすくなりますよ。

落ち込んだり不安になったりした時、「この機械あるいは動物に、どういう刺激を与えたら、調子がよくなるだろう」と考えてみましょう。

【POINT】
・イヤな記憶への対処法は、「1.イヤなことを考え続けられる人」「2.イヤなことを考え続けるとストレスになる人」の2タイプによって異なる。
・「1」のタイプの人は、イヤな気持ちに慣れてどうでもよくなるまで何度も思い出してみる。「2」のタイプの人は、イヤな記憶が浮かんだ時のリアクションを決める。
・自分自身を「機械」もしくは「動物」としてとらえてみると、精神状態を整えやすくなる。

ネットのバカを華麗にスルーするスキル

ネット上では「自分の理想像」がこじれるとキツい

本書でご紹介してきたバカな人やムダなものに振り回されない技術は、リアル社会だけではなく、ネット社会でも応用できます。

ネット、とくにSNSが普及したことで、僕たちは自分以外の人がどんな暮らしをしているのかをリアルタイムで知ることができるようになりました。

次々にタイムラインに流れてくる他人の「リア充投稿」を見て、自分と比較してがっかりする、なんていうことも、多くの人が普通にSNSを使い始める前の時代には考えられないことでした。とはいっても、SNSに上がっているのはあくまでも偶然生まれた「人生のキラキラした瞬間」を切り取ったものなんですけどね。

そうやって他人の人生をのぞき見できるようになると、人によっては「理想の自分」と「現実の自分」のギャップに苦しむことになるわけです。

いい暮らしをしている人を見て「うらやましいな」ですめばいいんですが、マイナスの感情をこじらせて論理が歪んでいくとけっこう厄介です。

こじらせてしまう人は、「自分はこうあるべきである」という「理想の自分」を持っています。

理想の自分像に近づくための「建設的努力」ができれば何の問題もないのですが、「理想の自分」になれないフラストレーションはやがて、次のような順序で、周囲の人への攻撃へと向かっていくことが多々あります。

「自分はこうあるべきである」
     ↓
「理想的な人生を送っている(ように見える)人がいる」
     ↓
「自分は理想通りに生きていない」
     ↓
「なぜこうあるべき状態にないのか」
     ↓
「きっとアイツが悪いに違いない」

こういう人ってリアル社会にもいますよね。やたらと他人を攻撃する迷惑な人は、「自分へのマイナスの感情をこじらせてる人なんだ」と認識して、自分からはなるべく関わらないのが吉ですよ。

SNSにはびこる「上から目線」の構造

TwitterやFacebook、InstagramなどのSNSは、アカウントを持っていない人のほうが珍しいくらい、みんながやっています。

だけど、たいていの人は、SNSを使っても大してトクしないと思うのですよ。

ニュースサイトや有益な情報を発信する人をフォローして、情報源として活用するのであればいいですけれど、普通の人がべらべら世間話をしているのを見たり、ましてやそこに自分も参加したりするのは、基本的に時間のムダです。

前述したように、SNSにアップされる写真やテキストは、投稿者の日常全部ではなく、たまたま発生した「キラキラした瞬間」を切り取ったものにすぎません。

「こんなにおいしいパンケーキを食べている」「こんなにすてきな異性とつき合っている」「こんなにきれいな場所を旅行している」、そういうのを見聞きすると、うらやましくなったり、自分はこんなにキラキラしてない、と落ち込んだりする。

すごい数のフォロワーがいるインスタグラマーも、ほとんどの時間はだらだらと過ごしているかもしれないけど、そういうところは見えない。他人の最高の瞬間だけを延々とながめ続けていても、手に入るのはマイナスの感情だけです。そのために貴重な時間を使うのはもったいない。

ただし、僕はアラブ石油王なんかのInstagramはよく見ますね。「白いヒョウを買った」という投稿を見て、「すごい! ヒョウって買うモノなんだ!」と感心しても、べつにそれが妬ましくなったりはしません。自分自身とはまったく別次元のネタとして楽しめるんですよね。

こんなふうに、あくまでSNSは、自分と関係のない面白ネタやお役立ちネタの情報源だと割り切り、マイナスの感情とは距離を取ることが重要です。

ネットで絡んでくる人は「正義感」を持っている

SNSでは「炎上」が頻発していますが、あれはシェアやリツイートといった情報拡散の仕組みによるだけではなく、マイナスの感情を持つ不幸せな人が増えているということの現れなのでしょう。

SNSがなかった頃でも、会社の給湯室や居酒屋で愚痴をこぼすという文化はありましたが、SNSの登場以降、不幸な人の割合が増えている印象を受けます。

Twitterで炎上したり、クソリプを飛ばしたりしてくる人たちは「正義」を振りかざす人の割合が高いです。それは、他人を攻撃する「大義名分」を得ていると思って、自分的には気分よくなってしまっているんですね。他人を攻撃するのって気持ちいいんですよ。だって、自分としては、いいことをしてるんですから。

彼らからすると、「落ち度は悪いヤツにある」ので、いくらでも攻撃していい。すると、いつも言わないようなキツい言い方にエスカレートしていきがちです。でも、炎上している人としては、相手は「悪者」なので、自分のしている行為は、正義なんです。他人を貶めたり罵倒したりすることで、自分のマイナス感情を何とか処理しようとする。幸せなプラスの感情になるわけではないのに、他者を引き下げることで自分のマイナスを相対的に減らそうとするんですね。

幸せな人ならそんなことをする必要はありません。ネット上で知らない人を罵倒するよりも、友達や恋人と遊んだりしているほうがぜんぜん楽しいわけですから。

僕は1999年に匿名掲示板「2ちゃんねる」を立ち上げましたけど、匿名掲示板と、実名あるいは固定アカウントが基本のSNSでは、かなり文化に違いがあると感じます。

匿名のやり取りであれば、論争になっても、面倒くさくなった時点でやめてしまえばいい。自分の書き込みに対して攻撃が加えられたところで、べつに守らなければならないものがあるわけでもないですし。

身元を特定されると、論争が泥仕合になる

とはいえ、実名や固定ハンドルネームのSNSだとそうはいきません。自分とひもづけられたアカウントがあるかぎり、それに対する攻撃には反応せざるをえません。とくにTwitterはわずか百数十文字でやり取りするわけですからね。論争に決着がつきにくいわけです。

SNSで激しく炎上したり、粘着質な人に絡まれたりして面倒だと感じた場合は、アカウントを消すのが一番の対応策です。固定のアカウントがあるかぎり、自分の周りの人にも炎上が波及したり、過去の発言まで根掘り葉掘り調べられたりして揚げ足を取られてしまう。それよりは、アカウントを削除して、被害を最小限に食い止められたほうがいいでしょう。一度SNSをやめたら、冷静になれると思いますよ。

ネット上で発信をしたいのであれば、SNSではなく、ブログがおすすめです。ある程度まとまった量のテキストを書こうと思えば、頭の中を整理してロジックを組み立てる必要がありますし、書いたテキストは成果物になります。成果物は長文のテキストでなく、詩や音楽、映像でもいいんですけどね。

SNSに投稿すると何かをやった気になりますけど、これって、たんなるガス抜きです。せっかくわいてきたモチベーションをムダに消費するだけで、何の成果物も残りません。

「自分に関係ないこと」を気にするだけムダ

ネット上には、いろんなことで怒ったり、不満になったりしている人がたくさんいます。「中国が攻めてきたらどうしよう」とか、「トランプ大統領のせいで、これから世界はどうなるんだろう」「日本経済はこれからどうなるんだろう」とか。

日本や世界がどうなっていくのかについて、情報を集めて冷静に考えてみることには意味があるでしょう。

だけど、中国がどうだとか、アメリカがどうだとか、日本の政治がどうだとか、憤ったり憂いたりしても、ぶっちゃけ、僕たち自身がその状況を変えられるわけではありませんよね。

国のことを心配するよりも、自分自身のことを心配したほうがメンタル的にも身体的にもよほど建設的で、意味があると思うのですよ。

まずは、自分の生活をきちんと立て直して、快適に暮らせることを優先しましょう。

それ以外のことは考えてもしょうがないし、自分の関与なしに決まることを「そうなったら困る」と心配してもあまり意味がありませんからね。

洗濯物を干して外出したら、雨が降ってきた。「洗濯物を取り込まないと!」なんて出先で考えても、雨がやむわけではありません。雨が降っているのはどうしようもないことだし、そんなことを考えること自体が無意味です。

だから、僕は「自分がどうにかできること」以外は、こだわらないようにしています。

匿名掲示板「2ちゃんねる」に関して、今現在も僕はたくさんの係争を抱えてるんですけど、それもべつにストレスにはなっていません。

なぜかといえば、裁判についてはすべて弁護士に任せてありますし、判決を決めるのは裁判官だから。今僕が何か考えたところで判決が変わるわけではありませんから、考えてもしょうがないですもんね。

自分にはどうにもできないこと、どうでもいいことより、自分の人生にとって有意義なことを考えたほうがずっとおトクです。

「自分の人生にとって有意義なことを考える」なんていうと、皆さんの中には意識高い系っぽく感じる人もいるかもしれません。

・すごく好きなもの
・強く興味があること
・やると楽しくなれること

こんなふうに言いかえてもいいでしょう。

肉が好きなら、安くておいしい肉を通販サイトで探すのもいいですね。怒ったり不安になったりしているよりも、そちらのほうがよほど意味のあることだと思うのですよ。

【POINT】
・SNSは、自分と無関係の「ネタの宝庫」として割り切り、「リア充投稿」に対するマイナスの感情とは距離を取ろう。
・ネット上で炎上したり、クソリプを飛ばしたりしている人は、自分流の「正義」が他人を攻撃する「大義名分」になっているので、厄介。
・「自分がどうにかできること」以外のことはこだわらないことが、メンタルを整える上では大切。

自分は自分、バカはバカ。他人に振り回されない一人勝ちメンタル術
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ひろゆき
本名・西村博之。1976年、神奈川県生まれ。東京都に移り、中央大学へと進学。
在学中に、アメリカのアーカンソー州に留学。1999年にインターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設し、管理人になる。東京プラス株式会社代表取締役、有限会社未来検索ブラジル取締役など、多くの企業に携わり、企画立案やサービス運営、プログラマーとしても活躍する。2005年に株式会社ニワンゴ取締役管理人に就任。2006年、「ニコニコ動画」を開始し、大反響を呼ぶ。2009年「2ちゃんねる」の譲渡を発表。2015年に英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人に。

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