Amazonのベストセラーランキング「和書総合」1位を獲得した『日本一稼ぐ弁護士の仕事術』の著者、福永活也さんは独立わずか数年で年収10億円を達成したという。

レンタルビデオ屋でアルバイトをしていたいわゆる「一般的な大学生」であり、フリーター生活をしていたこともあった福永さんが年収10億円の境地にたどり着くまでの過程を伺うと、意外なターニングポイントと、ある意味地味で、ストイックな独特の道のりがあった。そして年収10億円を稼いだことにより福永さんがたどり着いた価値観とは……。

通常、富裕層といえば金融資産1億円以上の人を指すケースが多いが、本特集ではあえて「年収10億円」をテーマに取り上げた。国税庁の「統計年報(平成29年)」の所得階級別人員を見てみると、年収10億円を超える人の割合は1755人と、所得者全体に占める割合はわずか0.008%ほど。10億という突き抜けた数字をたたき出した人間だからこそ語れる境地があり、そこには一味違う富裕層の世界が存在するに違いない。そんな思いで企画された本特集。まずは都内某所にある福永さんの自宅で行われたインタビューからお届けしよう。あなたも、年収10億円プレイヤーに一歩近づけるかもしれない。(全5回、取材・新美友那/写真・森口新太郎)

福永活也さん
2003年名古屋工業大学卒業。フリーターとして働いた後、05年関西大学法科大学院に入学。司法試験に1回で合格し、出願者数7842人中56位の成績を残す。09年北浜法律事務所に弁護士として就職し、5年目にあたる14年に福永法律事務所を設立。独立1年目から2年連続して弁護士業のみで課税所得5億円を突破し、「日本一稼ぐ弁護士」となる。その後、不動産投資、レストラン、モデル事務所、人狼ゲーム店舗の経営など、幅広く活動。

夢中で仕事にのめり込み月400時間勤務。気づけば年収10億円に

(画像=森口新太郎,ZUU online)

――福永さんは年収10億円を達成されたということですが、内訳が知りたいです。どのようにして年収10億円を稼いだのでしょうか?

連続した12ヵ月間でという意味ですが、年収10億円を達成したのは弁護士として独立後、1人で事業を行うようになってからです。主に事業再生案件や風評被害対策業務など東日本大震災にかかわる案件を受注していました。

特に、原発事故に関する東京電力の責任について、風評被害の賠償請求を行っていました。案件をこなしていくうちに徐々に信頼を得られ、僕宛てにどんどん依頼が来るようになりました。

最終的には東京電力から約150億円の賠償金を回収。同時に年収も10億円に達しました。着手金なしで勝った場合に賠償金の一部を報酬とする形を取っており、案件の単価自体は相場より低いくらいでしたが、とにかく多くの案件をこなすことで年収10億円に至ったということです。

——年収が10億円に至るまでの過程を教えてください。

大学時代は、特にやりたいこともない普通の学生でした。卒業後は駆け込みで一般企業の営業職に就いたのですが、それも2ヵ月で辞めてフリーター生活をしていました。レンタルビデオ屋で働きながら週末は友人と大好きな草野球で遊ぶ毎日でした。

転機は23歳の頃、父が病気で亡くなったことです。親子関係はあまり良くありませんでしたが、それをきっかけに自分の人生を見つめ直し「勉強や仕事を頑張ってみよう」と思ったんです。ちょうどその頃、テレビで『カバチタレ!』という行政書士がテーマのドラマを観て、「法律って面白いな」と興味を持ち、弁護士を志すようになりました。

じつはロースクールではじめて「勉強」というものに真剣に取り組んだのですが、自主的にする勉強はとてつもなく面白いんですね。知識を得て自分なりに整理することにすっかりのめり込んでしまいました。努力した記憶もないまま、結果として初の司法試験で56番という成績で合格できました。

その後は法律事務所に就職し、深夜2時に帰宅して朝10時に出社する生活を送り、とにかく楽しくて仕事に夢中だったので、休みもほぼ取りませんでしたね。来た仕事は断らず、受けてからどうやり切るかを考えるスタンスで行動していました。気づけば月400時間勤務。そこで働き方や働く姿勢を覚えたことが、独立してからの成果につながりました。

失敗しても忙しくてもノーストレス

(画像=森口新太郎撮影)

――年収を高めるにあたりぶつかった壁や失敗はありますか?