【国家戦略となった金融教育で大学が果たす役割】ー椙山女学園大学植林教授に取材ー
植林 茂(うえばやし しげる)教授
植林 茂(うえばやし しげる)教授
椙山女学園大学現代マネジメント学部学部長。大学卒業後、日本銀行に入行。考査局や調査統計局、経済企画庁への出向、営業局を経験した後、椙山女学園大学に着任。日本銀行時代の経験を活かし、金融論や経済論を教える。著書に『日本金融の誤解と誤算―通説を疑い検証する―』(編著、勁草書房)がある。

日本の金融教育は世界の先進国と比べると遅れている

- はじめに、先生のご経歴について教えてください。

植林教授
現在、椙山女学園大学の現代マネジメント学部で学部長を務めています。もともとアカデミアの世界にいたわけではなく、約30年間実務家としての経験を積んできました。1982年に大学を卒業し、日本銀行に入行しました。金融機構局や調査統計局、経済企画庁への出向、営業局、神戸支店での勤務などを経験しています。主に信用秩序の維持や金融機関の調査といった業務に長く携わってきました。

神戸支店に勤務していた時には、阪神・淡路大震災に遭遇しています。神戸の手形交換所を一時的に止めたり、金融特例措置の発出などの対応の一端を担いました。その後、整理回収銀行に改組されることが決まっていた東京共同銀行の総務課長として出向し、破綻金融機関の受け入れスキームの企画などを担当しました。

日本銀行法が改正された1998年には、日本銀行に戻り審議委員(役員)である中原伸之さんのスタッフを務め、金融政策決会合に提出する議案の策定などに携わりました。当時の審議委員には現在総裁に就任されている植田和男さんもおられました。

その後、山形事務所の所長や調査統計局の主幹を経験したのち、2016年に自ら希望して現在の椙山女学園大学に移りました。現在、椙山女学園大学に在籍して7年目を迎えています。

- 日本銀行時代からの詳しいお話をありがとうございます。続いて質問です。「金融教育は国家戦略」という金融庁の提言がありますが、こちらに関する感想をお聞かせください。

植林教授
私が理解する限り、日本の金融教育は世界の先進国と比べると遅れています。その理由のひとつは、2008年のリーマンショック後の金融教育です。この危機は、信用度の低い人向けの住宅ローン(サブプライムローン)を証券化し、それが価値を失うことで発生しました。リーマンショックの背後には、住宅ローンを利用する人々の金融知識不足がありました。それ以降、欧米諸国では金融教育が進んでいます。一方、日本では、まだ十分な金融教育が行われていないのが現状です。

現在の金融情勢を見ると、金融規模が実体経済を上回り、その差は年々拡大しています。日本はかつてのような大幅な貿易黒字国ではないため、金融資産を通じて収益を上げる必要があるものの、課題も多く抱えています。若者をはじめ、リスクの取り方や資産の分散方法について理解していない人が多いことから、金融庁や政府、日本銀行が積極的に金融教育を推進すべきだと考えています。

現状では、日本の学校や若者、さらには高齢者に対しても、適切な金融教育が行われていない状態です。数年前の学習指導要領の変更で金融の取扱いが増えましたが、まだ十分ではありません。受験勉強が中心となる教育現場では、先生たちも金融教育の取り組み方に悩んでしまうでしょう。しかし、人生100年時代と呼ばれる現代において、豊かな生活を送るためには金融教育が欠かせません。

- 椙山女学園大学の金融に関する教育カリキュラムは、どのような内容となっていますか?

植林教授
椙山女学園大学では、「金融」「金融政策論」「現代金融論」「ファイナンス基礎」といった科目を提供しています。学年や段階に応じてシームレスに学べる環境が整っている点が特徴です。私立大学であることから、フィナンシャルプランナーの養成を目的とした科目や、資格試験に対応できるカリキュラムも提供しています。

ほかにも、金融庁との提携講座である金融リテラシー講座が存在します。金融庁から講師を派遣してもらい、私自身もいくつかの講義を担当している状況です。また、証券実務に関する知識も重要と考え、野村証券の寄附講座も実施中です。

金融庁との提携講座である金融リテラシー講座は、2017年度からスタートしました。東海地区の中では、椙山女学園大学が最初に本講座を開始しています。金融教育に対する取り組みは、熱心にしているほうだと思います。

金融教育は、金融関連の職業に就く人や専門家を育成する意味でも重要

- 学生の経済的自立や金銭トラブルの防止といった点においても、金融教育は役立つのでしょうか?

植林教授
成人年齢が引き下げられたことで、多くの金融契約が可能になりました。また、IoTやスマートフォンの普及により、金融取引はますます簡単になってきています。しかし一方で、大学生たちが十分な金融知識を持っているかというと、例えば奨学金の延滞がクレジットカードの発行や住宅ローンの審査に影響を与える、といった基本的な知識が欠けていることがあります。

金融教育は、金融関連の職業に就く人や専門家を育成する意味でも重要です。椙山女学園大学の現代マネジメント学部では、2024年度から「企業経営」と「公共政策」の2つのコースに分けることになっています。学生たちの就職先としては、地域金融機関以外にも、公共政策に関連した団体が選択肢に入ります。一例として、日本銀行の名古屋支店、愛知県信用保証協会といった機関にゼミ生を送り出している状況です。

金融分野においては、今後女性の活躍がどんどん増えていくでしょう。そうした背景からも、コンプライアンスやコーポレートガバナンス、正義や共感性といった部分を重視した金融教育を提供しています。

- 「日本の金融教育が遅れている」というお話がありましたが、教えている学生に対して実際に感じることもあるのでしょうか?

植林教授
まず、具体的な話に入る前に、統計的なデータを紹介します。金融広報中央委員会の「金融リテラシー調査(2022年)」によると、日本の金融知識は他国と比べて劣っています。例えば、金融知識を問う問題の正答率を調査した結果では、日本の47%に対し、アメリカは50%でした。2016年の調査時で10%下回っていたことを考えると、差は以前より小さくなっています。しかし、同調査の他国(イギリス、ドイツ、フランス)との比較結果を見ても、金融知識に対する正答率が他国を下回っている状況です。

これらの結果は、日本で金融教育が十分に定着していないことが一因であると推測されます。現在、ほとんどの学生が銀行口座やクレジットカードを持っています。ネット決済や株式売買などに慣れ親しんでいる学生もいるでしょう。しかしそれでも、パスワード管理やリスク認識が不十分であることが問題となっています。

また、多くの学生は資産運用に対して保守的です。「ポートフォリオ理論」や「ドルコスト平均法」といった基本的な金融知識に関しても、理解していない学生が多いように感じられます。資産分散やリスクの取り方がわからず、リターンが見込めない投資を行うことも。それだと資産は増やせませんよね。

ほかにも、金融トラブルに遭った場合に、適切な相談先を知らないという問題も存在します。これらの事情を踏まえると、日本では全世代に対する金融教育が必要といえるでしょう。実務や生活との繋がりが理解できる形で、金融教育を進めていく必要があります。

- たしかに、金融は人生にも大きく関わってくるテーマですよね。椙山女学園大学のように、実務家の方をお招きして講義する形式は、非常に効果的だと感じています。

植林教授
やはり、実務と理論の2つの視点が重要です。両者を適切に組み合わせることで、資産運用におけるリスクを適切に評価し、購入資産を選択できるようになります。理屈がわからないままでは、リスクを恐れて資産運用を避けるようになり、長期的に見て損することになります。そのため、学生には偏った金融知識を教えるのではなく、全体のバランスを考慮しながら、適切な知識を伝えることが重要だと思っています。

- 大学のホームページに掲載されている「静かなるものは、健やかなり。健やかなるものは遠くへ行くなり」というメッセージには、どのような想いが込められているのでしょうか?

植林教授
この言葉は、経済学者のレオン・ワルラスやヴィルフレド・パレートが好んだ言葉です。私は卒業生へのはなむけの言葉として使うことが多く、「長い目で見て地道に努力し続けることが、自分にとってプラスになる」という意味が込められています。